見出し画像

【創作BL】拾った / 拾われた

 窓の外を見たら、地面が濡れていた。
 乾き切ったアスファルトに色濃く残された雫が、目に焼き付く。それは降り始めの雨のように、一滴、二滴、ぽつぽつと跡を残していた。
 窓を開け、半身を覗かせる。空を仰ごうとした瞬間、男の泣き叫ぶ声が聞こえて来た。何事かと声の方へ目を向けると、俺と同じ制服を着た男が、背中を震わせて泣いていた。校舎裏とはいえ、ここ、外だぞ。というか、その足跡は、お前のか。

「おい」

 声を掛けると、びくりと肩を跳ねさせた男は振り向いた。涙でぐちゃぐちゃの顔の中、漆黒の瞳がぱちぱちと瞬きをする。悲しそうな表情から一転、険しい顔をして顔を擦った。

「……人がいると思わなくて。すみません」

 男は居心地が悪そうに謝ると、さっさと身を翻した。

「ちょっと待て」
「……何ですか」
「何があったんだよ、そんなに泣いて」

 俺は面倒見が良い方だと思っていたが、流石に初対面の人間にここまで関わろうとはしなかった。ただ、あの泣き方は普通では無かったし、一人で泣いていたこの男のことが気になった。再び振り返った男は鼻をすすると、視線を合わさずに口を開いた。

「……貴方には関係ないですから。うるさくして、ごめんなさい」
「関係ねぇけど、気になるだろ。お前、とてもあんな泣き方するような奴には見えねぇし」

 どちらかと言うと啜り泣くような泣き方をしそうな、線の細い男だった。よくよく見れば顔は非常に整っていて、息を呑む。じっと見つめていると、赤くなった瞳が再び潤み、ぽろぽろと雫が落ちた。ああ、そう、そういう泣き方をしそうだ。

「とりあえず、こっち来いよ」
「……どうして、友達でもないのに」
「友達じゃねぇけど、別に良いだろ。理由なんかなくたって」

 ぽつりと、男が何かを呟いたような気がした。そして小さく頷くと、ドアから入ると言って姿を消した。


 少しして、静かにドアが開けられた。あれ、というように男は物珍しげに室内を見渡す。

「美術部じゃ、ないよね?」
「ああ、ちょっと借りてるだけだ」

 独特の香りが漂う美術室。居残り補習をしていた友人がようやく課題の絵を完成させ、提出に行ったかと思えば帰って来ない為、俺は慣れない場所で待ちぼうけを食らっていた。
 椅子を寄越すと、男は素直に腰を下ろした。揃えて閉じられた脚、膝の上で硬く握られた拳。到底あんな風に喚き散らしていた奴とは思えない。そしてやっぱり、整った顔をしていた。イケメン、というか、美人、というか。男に美人と言うのは褒め言葉にならないかもしれないが、そう感じてしまった。

「それで、何があったんだよ」
「……失恋、したんだ」

 真っ直ぐに、驚いた。容姿が整ってるだけあって、この男がまさかそんな境遇に陥っているなんて、予想外だった。

「失恋にも色々あるだろ。まさか、振られたのか?」
「ううん。好きで好きで堪らない人に、恋人がいるって知っちゃったんだ」
「……なるほどな」

 深く息を吐いた。それは、さぞかし辛かったことだろう。辛いのは分かるが、上手い慰めの言葉なんてのは思い付かない性分だった。

「でも、そんな突然知ったのか? 普段から話してれば、気付けるだろ」
「全然……いや、ほとんど話したこと無かったから」
「なんだそれ」

 思わず苦笑いを見せると、男はむっとしたように口を尖らせた。その仕草も、ちょっと意外だった。

「なんだそれって何、別にいいじゃん」
「ほぼ話したことねぇんだろ、それで好きになれんのか?」
「なれるよ」

 きっぱりと言い放つ姿に、目の前の男の印象が目まぐるしく変わって行く。か弱そうに見えていたが、実際はそうでもないらしい。一筋縄ではいかなそうだ。

「どこが好きなんだよ、そいつの」
「とびきり優しくて、情に厚い、素敵な人だよ」
「それ、外面良いだけじゃねぇか?」
「でも口はあんまりよろしくないかな。でもね、めちゃくちゃ好き」
「……そうかよ」

 大層甘い声で惚気られ、視線を逸らした。でもお前、そいつに振られたんだろ。そんな悲しそうな、苦しそうな顔をしてよく『めちゃくちゃ好き』とか言えるな。

「恋人がいるって、なんで知ったんだ?」
「偶然聞いちゃったんだ。それで、目の前が真っ暗になって、どこか一人になれる所まで歩いてたんだけど、耐えられなかったみたい。でもね、俺に見える範囲には誰もいなかったんだよ。君に見つかっちゃったのは、本当に失態」
「……足跡があったからな」
「足跡? ……まぁいいや。あー……、思い出したらまた泣きそうになって来ちゃった」

 へにゃりと歪んだ笑顔を向けた男は、目尻を指先で拭った。

「本当に、素敵な人だからさ。恋人がいるのにも納得って感じ。潔く諦めないとね」
「潔く? 未練たらたらだろ」

 ちょっと正直に言い過ぎたか。また反論が返って来るか、はたまた泣かれるか、身構えた。ここに呼び込んだのは、興味本位とかからかうとか、そんな悪意のあるものではなかった。むしろ、慰めてやりたいと思っていたはずなのに、いつも以上に悪態をついてしまうのは何故なのか。
 次の言葉を探していると、男はしゅんとしたように肩をすくめた。

「……分かっちゃう?」
「嫌でも分かる」
「そっかぁ〜……うん、でも、そうだよ。本当は諦めたくないし、まだ、好きだし」
「もういっそ当たって砕けて来いよ」
「これ以上砕けたら、もう元に戻れないよ」
「俺で良けりゃ拾ってやるよ。綺麗にくっつくかは保証しないけどな」

 なにそれ、と言った男は顔を歪めて、また泣き出した。いや今の全然泣く所じゃねぇけど。

「……困っちゃうなぁ。ねぇ、今の言葉、本当? 拾ってくれるの?」
「ああ」
「……じゃあ」

 その瞬間、勢い良くドアが開けられた。

「ごめんごめんお待たせーーって何泣かしてるの!?」
「泣かしてねぇ!!」

 大袈裟に驚いた友人は俺達の元へ駆け寄ると、男の手を取った。

「どうしたの〜? 大丈夫? あ、ねぇこれからおれたちたこ焼きパーティーするんだけど、良かったらおいでよ!」
「え、でも」
「作るのはこの人だから大丈夫! こんな見た目だけど料理の腕はピカイチだし、毎日自分のとお姉さんのお弁当作ってるし、でも今日は間違えて持って来てたみたいでおっちょこちょいな所もあるし、しかもその中身が凝ってて可愛くて」
「黙れ」

 喋り出したら止まらない背中をひっぱたいた。痛い! と言いつつも男の手を握ったまま、ぶんぶんと動かす様子を見つめる。

「おれたち二人、独り者が集まってのパーティーだから気にしないで!」
「えっ」

 その言葉に、男の視線は俺を捉えた。見たことのない表情をしている。なんだその顔。

「ん? この人? この見た目で彼女なんているわけないじゃん〜!」
「否定はしねぇけどやめろ」
「…………行く」
「おお! やったぁ! ねぇ君、名前なんて言うの?」

 名乗った後、男は初めて屈託のない笑顔を見せた。その笑顔が、最初に見た足跡よりも目に焼き付いてしまって、火傷をしそうなくらいだった。
 お前は、そんな顔をして笑うんだな。ずっと、笑っていればいいのに。泣きながら想うのなんて、止めちまえ。


「見た? 先輩のお弁当。めっちゃ可愛いのなんのって! あれ絶対彼女に作って貰ったやつだって〜! うらやま〜!」

 廊下で耳にしたその声は、意中の男と仲の良い後輩だった。紡がれる言葉から、その『先輩』が紛れもなく、思い描いていた男であることが分かる。

 彼女、いたんだ。知らなかった。

 突然首を絞められたように息が苦しくなり、手のひらに爪が食い込んだ。心臓が異常なほど音を立てて暴れ出し、頭の中がぐらりと回る。
 そんな、嫌だ、信じたくない。ずっと、好きだった。でも、関わろうともしなかった。結ばれるはずがないって、思っていたから。だから、ショックを受ける資格なんてのも、ないはずなのに。

 歪んだ視界。込み上げる涙が耐えられなくて、人気のない方を目指して足を進めた。目の前に誰も居なくなった途端、声にならない嗚咽が飛び出した。その波に乗るかのように、溢れ出す涙。文字に表せない醜い悲鳴が、喉の奥の奥から吐き出されて行く。悲しくて、悔しくて、どうしたらいいのか分からなくて、ただ泣きじゃくっていた。

「おい」

 水でふやけた紙を、鮮やかに切り裂くような声だった。その声に、俺は聞き覚えがあった。振り向くと、近くの教室の窓から、俺を泣かせた張本人が半身を覗かせていた。あまりのことに、涙が止まった。夢か、幻か、瞬きをしても怪訝な表情の君は消えずにそこに存在していた。
 現実なら、とんでもない姿を見せてしまったことになる。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃで、慌てて手で顔を擦った。

「……人がいると思わなくて。すみません」

 まさか、人が、ていうかよりによって君がいるなんて思わなかった。こんなみっともない姿を晒しているわけにはいかない。一刻も早くこの場から去りたくて、身を翻した。

「ちょっと待て」
「……何ですか」
「何があったんだよ、そんなに泣いて」

 止まっていた涙が、込み上げた。何がって、知らないだろうし知られたくないけど、俺は君に失恋したんだよ。この場から立ち去りたかったはずなのに、掛けられた言葉を無視することだって出来たのに、俺の足は動かなかった。ずっと、ずっと好きだった。本当は、俺のことを見て欲しいって思ってた。どんな形であれ、今、君の目が、君の興味が俺に向いていると知ってしまえば、この場から離れることは出来なかった。瞳を強く擦って、振り向いた。でも、本当のことなんて言えるはずもない。

「……貴方には、関係ないですから。うるさくして、ごめんなさい」
「関係ねぇけど、気になるだろ。お前、とてもあんな泣き方するような奴には見えねぇし」

 なにそれ、君には俺がどんな風に見えてるの? 厳しい視線が、俺を貫く。目つきが悪いとか、怖いとかよく言われている君だけど、俺は本当に本当に、格好良いと思うよ。諦めなきゃいけないはずなのに、愛おしくて堪らなくて、涙がまた零れた。

「とりあえずこっち来いよ」
「……どうして、友達でもないのに」
「友達じゃねぇけど、別に良いだろ。理由なんかなくたって」

「……そういう所が、好きなんだよ」

 聞こえないように呟いて、頷いた。まさか窓から入るわけにもいかない。ドアから入ると告げて、固まった足をぎこちなく動かした。
 もう、いいや、冥土の土産だ。


 君がいるであろう教室は、美術室だった。ドアを開けると、窓際で椅子に腰掛けている君の姿が目に入った。

「美術部じゃ、ないよね?」
「ああ、ちょっと借りてるだけだ」

 だよね、間違ってたらどうしようかと思った。促され、椅子に腰掛ける。君の正面、光が差す窓際で、なんだか縁側に居るような気分だった。夢心地とは、このことか。堪らなく悲しいのに、堪らなく嬉しかった。

「それで、何があったんだよ」
「……失恋、したんだ」

 明らかに驚く表情を見せる君に、ちょっとだけ笑ってしまった。苦笑、というのが正しいか。

「失恋にも色々あるだろ。まさか、振られたのか?」
「ううん。好きで好きで堪らない人に、恋人がいるって知っちゃったんだ」
「……なるほどな」

 思ったより真面目に聞いてくれている。全部、全部、君のことなんだけどな。まさか話題の中心が自分だなんて、夢にも思ってないだろう。だからこそ、正直に話すことが出来た。

「でも、そんな突然知ったのか? 普段から話してれば、気付けるだろ」
「全然……いや、ほとんど話したこと無かったから」
「なんだそれ」

 自分には到底有り得ない、というような態度に、意地を張った。君への想いが否定されたようで、絶対に屈したくないと口を開く。

「なんだそれってなに、別にいいじゃん」
「ほぼ話したことねぇんだろ、それで好きになれんのか?」
「なれるよ」

 ふぅん、と君は意外と直ぐに受け入れた。考え込むように顎に手を当てる仕草に、一体何を思っているのだろうと胸がざわつく。まさか、恋人との馴れ初めを思い出しているんじゃないだろうな。

「どこが好きなんだよ、そいつの」
「とびきり優しくて、情に厚い、素敵な人だよ」
「それ、外面良いだけじゃねぇか?」
「でも口はあんまりよろしくないかな。でもね、めちゃくちゃ好き」
「……そうかよ」

 ふふ、と笑いかけると、居心地が悪そうにそっぽを向かれた。ああ、実際に愛の告白をされても、君は照れ隠しでこんな反応をするのだろうな。不器用で、愛おしい。困っちゃう。

「恋人がいるって、なんで知ったんだ?」
「偶然聞いちゃったんだ。それで、目の前が真っ暗になって、どこか一人になれる所まで歩いてたんだけど、耐えられなかったみたい。でもね、俺に見える範囲には誰もいなかったんだよ。君に見つかっちゃったのは、本当に失態」
「……足跡があったからな」
「足跡? ……まぁいいや、あー……、思い出したらまた泣きそうになって来ちゃった」

 酷い顔を隠すように、おどけた笑顔を向けた。そうだ、俺は君を諦めなければいけないんだ。

「本当に、素敵な人だからさ。恋人がいるのにも納得って感じ。潔く諦めないとね」
「潔く? 未練たらたらだろ」

 返す言葉が無いとはこのことか。

「……分かっちゃう?」
「嫌でも分かる」
「そっかぁ〜……うん、でも、そうだよ。本当は諦めたくないし、まだ、好きだし」
「もういっそ当たって砕けて来いよ」
「……これ以上砕けたら、もう元に戻れないよ」
「俺で良けりゃ拾ってやるよ。綺麗にくっつくかは保証しないけどな」

 なにそれ、と呟いた瞬間、涙が溢れた。笑い飛ばそうとしたのに、出来なかった。今の泣く所だったか? とでも言いたげな表情を見せる君を前にして、涙は止まらない。冗談でもそんなの言われたら、無理だよ。馬鹿、鈍感、死ぬほど好き。

「……困っちゃうなぁ、本当に。ねぇ、今の言葉、本当? 拾ってくれるの?」
「ああ」
「……じゃあ」

 目の前にいる君に向けて、好きだと言っても良い?

 終わりにしようと口を開いた瞬間、勢い良くドアが開け放たれた。

「ごめんごめんお待たせーーって何泣かしてるの!?」
「泣かしてねぇ!!」

 いや、泣かされてますが。
 入ってきた人物には見覚えがあった。そうだ、君のクラスメイトだ。駆け寄って来たかと思うと、なんの前振りもなく手を取られた。驚いて顔を上げると、彼はじっと俺のことを見つめていた。

「どうしたの〜? 大丈夫? あ、ねぇこれからおれたちたこ焼きパーティーするんだけど、良かったらおいでよ!」
「え、でも」
「作るのはこの人だから大丈夫! こんな見た目だけど料理の腕はピカイチだし、毎日自分のとお姉さんのお弁当作ってるし、でも今日は間違えて持って来てたみたいでおっちょこちょいな所もあるし、しかもその中身が凝ってて可愛くて」
「黙れ」

 ……お弁当?

「おれたち二人、独り者が集まってのパーティーだから気にしないで!」
「えっ」

 心からの声が洩れる。待って、独り者って、本当に?
 思わず君に視線を戻すと、世界がきらめいて見えた。もしかして俺は、とんでもない勘違いをしていた?

「ん? この人? この見た目で彼女なんているわけないじゃん〜!」
「否定はしねぇけどやめろ」
「…………行く」
「おお! やったぁ! ねぇ君、名前なんて言うの?」

 名乗った瞬間、笑みが零れた。ああでも、もう見つめているだけじゃ我慢出来ないよ。思っていたよりも君はずっと優しくて、ずっと素敵な人だった。
 どうしよう、君を好きでいられることが、幸せだ。やっぱり、いや、絶対に、諦められそうにない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?