苺大福の主役問題(表参道「南青山まめ」)
苺大福の主役は、
「苺」と「大福」のどちらであるか。
そんなこと、「カレーパン」が「パン」であって「カレー」ではない価値観から抜け出せない自分からすれば、疑いなく「大福」が主役であった。
「南青山まめ」の苺大福に出会うまでは。
あれ?苺の面積だいぶ大きいな。
断面を見て「苺大福の主役問題」が未解決案件だと思い知った。
口にして未解決問題はさらに混迷を極める。
水分たっぷり…。
大福を食べてこんなにも水分を感じたことがあろうか。恐るべしあまおう 2Lサイズ。
舌の上が瑞々しい苺の甘さの独壇場かと思いきや、ここまで存在を消していた手作りのこしあんが踊り狂うあまおうを包み込んでいく。
この包容力、すべてを許す聖母のよう。
皮は柔らかすぎて気持ちいいし。
どちらが主役とか、そういう問題ではないと気づいた。苺大福は親子関係そのものじゃないか。自己主張が止まらない子どもとそれを包み込むように受け止める親。親が強すぎても駄目だし、子が強すぎても駄目。
完璧な苺大福は均衡のとれた親子関係なんだ。
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