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人は変われると気付いた話【前編】

大学のときに教育学を学んでから、私は「幼少期の環境が人格に大きな影響を与え、培われた人格は変わらない」と思っていた。けれど、それは間違いだったと数年後に気づくことになる。

実際はどうなのかは誰にもわからない。
でも私は、「人は変われる」ということを身をもって知った。今日はそんなお話を書こうと思う。


幼少期に作られた「劣等感」

私には3才歳の離れた妹がいる。母は、私より妹をよくかわいがり、子どもながらによく妹が贔屓されているなと思っていた。

私の母の姉は、生まれつき身体に障がいを持っている。その影響で、祖母は姉に付きっきりだったため、母は寂しい幼少期を過ごしたらしい。

自身の経験から「自分の子どもが生まれたときは、2人目を大切にしたい」という思いがあったらしい。当時小学生だった私に、母が冗談混じりでそう言ったのをおぼえている。
言葉は、呪文のように私を苦しめた。今から考えれば「2人目も」という意味だとは思うが、「母親の一番じゃない」という意味に聞こえ、私に劣等感を抱かせた。

劣等感は暴力性につながった

劣等感はストレスに変わり、小学生のころはよく友達を叩いていたことを覚えている。
中学生になるころには、叩くことはよくないことだと気づき、自制できるようになったが、その分言葉が鋭くなり、私は友人の中で「毒舌キャラ」として浸透した。今から考えると、なんと暖かい環境だったのかとしみじみ思う。
人のことを非難してばかりで、自分でもとても嫌なヤツだったと思うが、友人たちはむしろ毒舌を面白がって私を受け入れてくれていた。

就職活動で掘り起こされた劣等感


転機は就職活動中に訪れた。
大学4回生のころ、ある広告関連の会社に応募し、書類通過ののちに面接を受けた。その場では、志望動機や自己PRなどありきたりな質問はあまりされず、私の「早く成長して人の役に立つ仕事がしたい」という言葉を深掘りするために「なぜ」とひたすら聞かれ続けた。
「なぜ人の役に立ちたいと思う?」から、なぜ、と何回聞かれただろう。最後の答えとして自分の劣等感に行き着いたとき、面接中に関わらず涙があふれた。面接官に「それが今のあなたを築いた根本の体験だ。だからあなたは人の役に立ちたいと思うんだ。劣等感がある人は、承認欲求が強い」と言われたとき、「ああ、そうなのか」と心から納得できた。
人格形成の理由なんてものには、正解がない。ただ、人生においてこのように自己分析を手伝ってもらえた経験は、とても貴重だった。

ただ、この面接官は、ここで終わらなかった。「でも、あなたの母親は本当にあなたのことを愛していないのか?本当に愛された記憶は皆無か」と聞いてきた。
たっぷり時間を使い、私はあるエピソードを思い出した。あれは小学生高学年のとき。母親に「あなたは一番じゃない」と笑いながら言われたショックで、一度だけ家出を試みた。友達に誘われて家からこっそり抜け出し、夜の19時くらいまで帰らなかった。
あたりが真っ暗になったころ、さすがにまずいと思い、恐る恐る家に帰った。きっと怒られる!と思いドアを開けた私を、母は泣きながら抱きしめてくれた。「帰ってきてよかった」と言われたとき、ああ、私は愛されてるなあと確かに思ったんだった。完全に、忘れていた。

あの経験があったから、いままで私は少しひねくれながらも、ぐれずに真っ直ぐ育ったと思う。
家に帰ればご飯を作ってくれること、バイト帰り必ず駅まで迎えにきてくれること、体を気遣ってくれること。当たり前だと思っていたけれど、それこそが母の愛だと、恥ずかしい話だが、面接官のその質問で、やっと気付いた。

気づいたら面接なのに号泣していた。面接官は笑いながら「思い込みはよくない。事実を見に行くべき。こういう人間になれるよう、うちでは考え方から指導している。いいと思ったらうちに入社してほしい」と言った。
その後、その会社に私は22才で入社し、27才まで働くことになる。

後編に続きます。

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