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#22  トルコ人から学ばされた英語会話メソッド 日本人じゃ真似できない英語脳に戦慄 そして渡英2週目 英語30代からの英国語学留学記 2018年2月19日

2週目突入。睡眠導入剤も使わず普通に眠れるようになった。
朝食の場にはシナンもアブドゥルもいて一安心。だが相変わらず朝弱いからか二人ともピリピリした雰囲気。

通学バス内で週末いなかった理由をシナンに問う。長年英国にいた友人が今朝の便でイギリスを離れるため、ファラウェイパーティーを金土日の三日連続で開いていたとのこと。

納得。

義理堅い男である。

午前中はテストの時間。
どの程度英語力がついているか、何が得意で何が不足しているかを測るのが目的で、テスト結果を基に今後の個別指導に役立てるためのテストとのこと。
1週間で何が変わるんだ、と正直思うが、毎週進捗を調べるのは本当に大事だと思う。得意な所だけをしても意味がないし、苦手な所を避けていたら永遠に成長しない。

リーディングやライティングは流石に受験時代及び前々職で散々やっており、普段から趣味でも触れているので問題はないのだが、リスニングが本当にしんどい。

テストはIELTSと呼ばれる英語能力を測定する世界的に有名な資格の試験を基にしている。しかし日本で著名なTOEICのソレより引っ掛けが多い問題ばかりで、部分部分ではなく全部まじめに聞き取らないと正解できない
テクニックだけでは到底通用しない真の英語力が求められるように思える。リスニング能力が絶望的であると自覚はしていたが、ここまで難しいとは思わなんだ。

結果は明日出るとのこと。
自分の人生を左右するようなテストではないが、テスト結果を待つというのはどのような場合であっても嫌なものである。

午後は普通にスピーキングの授業をこなし、相変わらず中東勢には無碍に扱われ屈辱感を味わう。1週間では何も変われない自分がいる。

土日でシティーセンターには散々滞在したため、午後の授業終了後、さっさと家に帰る。テストの問題用紙は返却させられたが、何となく覚えていた分からなかった問題を調べたり、自分にとって早急に改善すべきリスニング能力と発音能力を改善するため、英語学習アプリやYoutube等でそれなりに勉強をする。
英語の本場であるイギリスに来てまで、日本でも出来るような学習法をしているのは情けないし、無駄であるとは心底思うのだが、今の自分にはこれくらいしか出来る方法がない。

折角イギリスにいるため、ホストファミリーの人々ともっと積極的に交流できれば良いのだが、それがどうして叶わない。

彼らは親切でとても良い人たちではあるのだが、極めて禁欲的な生活を送っているのか、生活のために留学生を受け入れているからなのか、殆ど絡む機会が設けられない。生活空間を完全に別にさせられている。

最も会話する機会が多くなるであろう、ご飯を食べる場も、留学生とホストファミリーとで完全にきっちり部屋を分けられてしまっている。

オヌールら他の留学生の話を聞く限りでは、掃除洗濯皿洗い等の各種家事は全てお任せできているのは非常にありがたい話ではあるのだが、交流が一切ないのは態々ホームステイをしている意味がないのではないか、と毎度思う。


だが幸か不幸か、この家にはトルコ人のシナンと、サウジアラビア人のアブドゥルがいる。
アブドゥルはあまり僕らと交流を持ちたがらない様子ではあるが、シナンは極めてフレンドリーに僕と接してくれる。

今日のディナーは久々にシナンと食を共にすることができた。
9割はシナンが一方的に話をしており、その内容は金土日の友人への送別会に関する内容であった。

金土でオックスフォードのクラブでオールをし、日曜はロンドンまで言って友人と飲み明かしたらしい。オックスフォードにクラブがあることに驚いたが、今度連れて行ってくれるとのこと。

日本でもクラブなんぞ行ったことない人種なのだが、彼の誘いであれば間違いはないであろう。

夕食後、一緒に外へ散歩に行こうと誘われ、快諾。二人で煙草を吹かしながら会話を楽しむ。

このシナンという男、僕が今まで出会っ英語を非母国語とする人間の中でもかなり特異な男である。
そして英語学習に関する僕の固定観念を大きく変えてくれた

英国在住歴は1年近いというのもあるが、リスニングやスピーキング能力は正直はほぼネイティブレベルと言ってもよい。

リスニング能力が酷い僕でも彼が話す英語はスッと頭に入るし、僕の酷い発音でも彼は容易に理解してくれる。

そして学校の先生だけではなく、オックスフォードの商店の店員、バスの運転手にも積極的に話しかけており、コミュニケーションを何も問題なく取れている。

だが文法と語彙力は驚くほど壊滅的である。

失礼な話だが、本当に酷い。

特に語彙力は何故1年も住んでいてここまで無いのか、と正直思うレベルである。

大卒レベルの教育を受けている日本人であれば全員知っているwithinやnarrowも知らない。これはまぁ百歩譲って分かる。

だがJersey(ジャージ)やcoat(コート)、medicine(薬) という超基本的な英単語すら知らないのはどうなんだ。

ジャージやコートという単語を知らない日本人は皆無であろう。だがシナンは知らないのだ。いや、覚えようとも思っていないのだ。

なんでよ

だがそれでも僕よりも、そして大多数の日本人よりも、彼は伝わる英語をペラペラ話せるし、ネイティブ英国人が発する英語も苦も無く理解できているように見える。


なんでだよ


シナン曰く、服(clothという単語は何故か知っていた)についてはjacketとshirtとpantsだけ言ってれば十分とのこと。

因みに所謂ズボンを意味するpantsはアメリカ英語であり、イギリス英語ではtrouserという。
英国人はpantsと聞くと下着のパンツを連想してしまうそうであり、それを普通のボトムズを意味する単語として使うアメリカ人は実にはしたない奴だと思うらしい。

シナンは1年英国にいるのに何故覚えないのだろうか。


そして薬を意味するmedicineについて。
シナン曰く、”薬はdrugだろ。medicineなんて聞いたこともないし、覚えても意味がない”と強く主張していた。


メディシンなんて聞いたら、コロンビアの麻薬王、パブロ・エスコバルのメデジンカルテルのことだと普通思うだろ?ドラックの方がナチュナルなイングリッシュだ

何の衒いもなく熱弁を振うシナン。
いくらなんでもそりゃねぇだろ!

思わず笑ってしまうよ。
何でパブロ・エスコパルが日常会話で当たり前のように出てくるのか。

だが彼は終始そのような感じで英語を捉えているのである。

つまり、自分が知っている範囲、自分が脊髄反射で対応できる英語単語と英語構文だけを用いて驚くほど器用に英語を使う。

彼にとって英語は従属すべき手段であり、目的ではないのだ。

アウトプットとして英語を使う場合はそれが顕著である。

シナンはmedicineすら知らないほど英語の語彙力が極めて貧弱なのだが、英語で会話をするにあたり、表現したい英単語を知らなくともシナンは身動ぐことを決してしない。
超自然過ぎるスピードで、自分が知っている単語を実に器用に組み合わせて英語を間髪入れずにとにかく発するのである。

例えば襟(collar)という単語をシナンは知らないが、表現する際はneck parts of shirtsと何の躊躇もなく言う。襟ってなんていうのだろう、という躊躇がシナンにはない。neck parts of shirtsも文法的に正しいのが正直疑問ではあるのだが、ジェスチャーも交えて発すれば彼が襟について言いたいのだとは誰でも理解できる。

頭痛薬が欲しい、という表現であれば" I need a drug, killing my bad head condition! please kill my head pain"という表現を使う。文法的にも正しいとはとても言えないが、”kill my bad head pain”と言えばそりゃ何となくは誰でも分かる。

終始こんな感じなのである。
基礎的な英単語のみを用いて、会話というスピード感が求められる条件で、全てに於いてオンタイムで発してコミュニケーションをひたすら繋ごうとする。

僕を含め日本人の大半はどう表現すれば良いか分からないものにぶち当たってしまえば、数秒は絶対考え込んでしまうし、文法的な誤り等があり通じなければ恥である、と悩んでしまうのが、シナンには全くそのような躊躇はない。

とにかく基礎的な英単語の組み合わせだけで高速正面突破を狙う。
大して頭を使わずとも分かる、超基本単語の組み合わせだけなので、文法的には滅茶苦茶ではあるが、却って何を言いたいのか分かりやすい、と感じてしまうのである。

もっと賢い人間であれば、この種のコミュニケーションでネイティブからより高度な語彙、表現を学び、徐々にステップアップしていくのだが、シナンは「通じたんだからそれで良い」と満足し、高度な語彙や正しい文法を学習することを放棄し、砕けすぎている基礎的な英単語の組み合わせのみで気にせず会話をし続けるのである。

アウトプットはそんな感じでなるほどと関心するのだが、問題はインプットの方である。

相手がより高度な英語能力を持っていれば、特にネイティブの人間であれば、シレっと自分の知らない英単語、英語表現を沢山使ってくる。

僕のように英語に不慣れな人間であれば、知らない言葉・表現が出てくるとパニックになってしまい、レスポンスに間が空く。そして自分の能力の無さを恥じ、劣等感に苛まれ、その後のコミュニケーションも後手後手に回ってしまい、主導権を相手に握られ、残念な印象を相手に与えてしまう。
そのような経験を今まで何度もしてきたし、今でもしている。

しかしシナンは違う。

貧弱な語彙力且つそれを改善しようとしない男ではあるが、相手が分からない単語・表現を使ってきたら「Whats?」と即座に分からない、伝わっていないことをアピールする。すると相手はシナンでも分かるような、平易な単語、表現で言い返し、コミュニケーションが続くのである。

シナンにとっては、自分が分からない英語があることを恥じるのではなく、そのような英語を使う相手が悪い、という立場を常に取っているのである。

だから分からない場合は「whats?」と相手が誰であれ使う。

街中であうネイティブ英国人であれ、語学学校の先生であれ、間髪いれずに「何それ?」と自分には伝えられていないぞオイ!とアピールをする。
そこには
何の躊躇もなく、何ら恥じらいもない。

英語に限らず、外国語を学ぶ日本人で、シナンのような態度を取れる日本人は恐らく全くいないだろう。

ネイティブだろうと伝わらない言葉を俺に発する奴が悪い、という傲慢不遜という言葉では片付けられない態度を平然と取れる人間は正直普通ではない。

場合によっては単なるヤバい奴と片付けられて無視されるのがオチではあるのだが、シナンはとにかく英語のレスポンス速度が自然で早く、且つ人を惹きつける謎のカリスマ性が彼にはあるため、周りはそれを許してしまうのである。

英語力を凌駕する彼と会話したくなる謎のカリスマ性。

真のコミュニケーション能力というのはそういうことなのかもしれない。


現にシナンは全く英語が出来ないサウジアラビア人男性から、オックスフォードの大学準備組のエリートフランス人女性に至るまで、誰とでも自分のポジションを崩すことなく、円滑なコミュニケーションを取っている。誰しもがシナンに合わせて何のストレスもなく会話できてしまうのだ。

まるで語学の天才かのようにシナンを描写したが、勿論彼のスタンスには大きな欠点がある。


文法や語彙を測るペーパーテスト、そして一方的なコミュニケーションで対処しなければいけないリーディングやリスニングテストの結果が壊滅的であり、1年も在英しているのに語学学校でレベル3という平均以下に位置しているのである。

それもその筈、彼は英語力を鍛えよう、という気概が一ミリもないのだ。
自分が持ち合わせている英の知力を高度にフル回転させて、それで会話やチャットによるコミュニケーションはほぼネイティブ並みにできており、それ以上を全く望んでいないのである。
(流石に全く読めないのは高度な情報を得られないから問題だとは思うのだが)

これは僕にとっては色々な意味で衝撃的であった。

medicineすらも知らない、そしてこの単語を全く覚える気もない奴が、何の問題もなく英国社会に溶け込み、英語でのコミュニケーションも一切支障がなく暮らせているいるのだ。

トレーニングジムにも留学生割で会員になれたり、パニーニ屋の店主と仲良くなり恒常的にコーヒーのサービスを受けたり、見ず知らずの人間とチャットで交渉し、直取引で型落ちの中古アイフォーンを割安で購入出来ているのである。

読み書きが原則壊滅的であり、それを全く意に介さないのは流石にどうかと思うが、TOEIC 900点台にも関わらず極端に失敗を恐れて全く英語によるコミュニケーションが出来ない人が大勢いる日本人は、シナンを見習う必要があると本気で思う。

昔から、そしてSNSやYOUTUBE全盛期の今でも、「あなたの英語はネイティブには馬鹿にされます、恥をかきます」等のコンプレックスを煽るだけのクソみたいなコンテンツを自称英語マスターの日本人が非常に多いのがそもそも問題である。

そしてコンプレックスを付かれて、それに飛びついてお布施をしてしまい、自分自身はなんら英語力を鍛えられない人が多くいるのがこの日本という国の残念な所である。

なぜなら僕もその種の典型的日本人であったからだ。

外国人が一生懸命に伝えようとしている英語を普通の英語ネイティブは笑わないし馬鹿にもしない。当たり前のことである。そんな奴が仮にいたとしても、そのような傲慢不遜な輩とは付き合う必要がそもそもないのだ。

非ネイティブの英語を理解できず、また伝えられない英語を使うネイティブ英語話者が悪い、と心底思っているシナンのような図太さも時には必要だと彼と会話をしていると思えるようになった。

相手がどのようなレベルであれども自然とコミュニケーションを取れる、取りたいと思う人徳こそが異文化コミュニケーションで最も重要ではないかと思っている。

価値がないと思われている人間とは誰も会話をしたくないものだ。
シナンには価値があると皆が判断しているから、彼のようなやや強引な方法がまかり通っているのである。

翻って見ると自分は価値のある人間だろうか。不慣れな英語でのやり取りをしてでも、僕とコミュニケーションを積極的に続けたい、と思うような人間が果たしているのだろうか。

中肉中背で30代東アジア人の男。容姿も優れておらず、特に優れた徳ぐもなく、他の飛び道具も何ら持っておらず、おまけに退職して無職のつまらない男。

そんな人間とわざわざ会話したい奴なんていない。だから午後のスピーキングの授業でアラブ人たちは露骨に僕を蔑ろにするのである。

シナンと夜の散歩で彼と長々と会話し、自分が何て至らぬ奴であるのか、強く思い知らされた夜であった。

彼との会話は楽しい。人を楽しくさせる能力がある奴はどのような人種であれ有益である。


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