見出し画像

ヴィパッサナー合宿から3ヶ月後

あれから3ヶ月、どんな変化があったかの記録。

合宿の終わりには、毎日2時間ヴィパッサナー瞑想を続けるようにと勧められた。
合宿所を出たときは、絶対に続けようと心に決めていたのだけれど・・・

合宿の終わりに家族がお迎えに来てくれて、その足で近くのカフェで朝食をとっていた時のこと。
子供達と夫の会話を聞いていると、声のトーンや言葉遣いに過敏に反応する自分がいた。
合宿中は、体の感覚をとても敏感にする練習をしていたため、おそらく自分と違う波長を感じると不協和音のようにとても不快に感じられた。
こうやって少しずつ元の世界に戻っていくのだろうな、と思って気にしないようにしていたのだけれど数日経ってもなかなかいつもの生活に戻れない自分がいた。

特に、ヴィパッサナーに対する理解があまりない家族との生活が日々苦痛になってきていた。
朝瞑想していても遠慮なく部屋に入ってきたり、肉を食べるのをやめてしまった私は、自分の食事と家族用の食事を分けて作らなければならなくなった。
合宿中はどんな生き物も殺してはならないが、家では蚊でもゴキブリでも家族が容赦なく殺虫剤を吹きかけている光景を見て、正直辛かった。

ゴエンカ氏は、家族皆がヴィパッサナー瞑想を実践すると、とても落ち着いた家庭になると言っていたけれど、本当にそう思うし、そうなったらとてもいいなとも思う。でも現実はそう簡単ではない。子供のいる夫婦が合宿に行こうとすると、周りのサポートや仕事の人たちの理解なしでは到底実現するのは難しい。
そんな中で1人で黙々と瞑想を続けることは、自分を孤立させてしまう気がして、数週間後には瞑想をやめてしまった。

私はとてもストイックなタイプなので、このまま言われた通りしっかり続けていったら家族との溝が深くなってしまう気がした。
その代わり、自分の気持ちをとことん俯瞰するようになった。

家族がヴィパッサナー瞑想に対して理解を示してくれないことに不快を感じた自分。その「不快」の下には何があるのだろうか?
そこには隠れ身の術を使った忍者のように「エゴ」がまだいた。
私はこの合宿をやり遂げてすごいんだから、みんな私のやり方を尊重してよ、とでも言わんばかりに。

完璧にやりきれない自分に対する不満や嫌悪。
ヴィパッサナー瞑想をやっても、苦悩から解放できないという失望感。
私に根付いているネガティブなエゴはとても深いようだ。
でもそれと同時に、ヴィパッサナーの教えやDhamma(自然の法則)を忠実に守ってこの世の中で生きていくことは容易ではない。よほどヴィパッサナーのコミュニティと深く関わったり、何度も合宿に参加しないことには継続は難しいと私は感じた。

この頃ちょうど、知り合いの方にある本を勧められて読んでみた。
Brandon Baysというアメリカの女性が書いた「The Journey」という本だった。
彼女は、ジャーニーメソッドという感情の奥深くを自分で追求し、解放するという方法を自らの経験をもとに発見し、世界中でメソッドを教えている人らしい。本を読んでとても興味が湧いたので、早速近所でジャーニーメソッドを実践しているプラクティショナーを見つけて体験してみた。

今感じてる感情の下には、どんな感情がある?その下には?もっと下には?そこには誰がいる?

そうやって丁寧に自分の感情とひとつひとつ向き合うと、実は今感じている怒りは、悲しみや裏切られたという感覚や過去のトラウマから引き起こされたものだったりする。
その根底にある怒りの原因を癒すと、苦しみから解放されるというものらしい。

このメソッドにはヴィパッサナー瞑想と全く違うものだけれど共通するものがある気がする。
ヴィパッサナーはとにかくマインドを静かにし呼吸を観察して感覚に注意を払う。自分に話しかけたり、イメージの視覚化などはしたりしないけれど、瞑想を通して自分のさまざまな感情や考え方のレイヤーの奥の奥へ行き、自分のことを深く知り智慧を得る部分は、ジャーニーメソッドと似ている。ただ、ジャーニーメソッドはその感情をありのままに感じるし、泣きたいと思ったら泣いてもいい。アプローチは違うけれど目指すところは同じ、といったところだろうか。

両方経験して私が思ったのは、どちらのアプローチでも最終的にぶつかった壁は同じだった。
それは、ありのままの自分を受け入れられるかどうか、だ。
瞑想をしても、ジャーニーメソッドをやっても、それで変化をそれほど感じない自分に対するガッカリしているのは、自分に厳しくて自己肯定感が低いから。そんな自分を丸ごと受け入れられないから。
いいところも悪いところも、全てそれを受け入れる。ただ、それだけのこと。
でも過去のトラウマや辛い経験が、それをし辛い状態にしていた。

そこに行き着いたとき、いくべき方向性が少しずつわかってきた気がして、再び瞑想を始めた。でも、数ヶ月ぶりなのでまずはアナパナから。
呼吸と思考パターンを観察しながらひたすら呼吸に注意を払う。
でも、何かの感情が浮かんできたら、蔑ろにしない。瞑想が終わったあと、ジャーニーメソッドに習ってその感情のレイヤーを探っていく。
そうしていたら、いろんな素敵な本に出会って、毎日いろんな本を読んで自分と対話をしている。

そんな自分をふと客観的にみてみると、ヴィパッサナー合宿へいく前の自分とは少し違う場所にいるのを感じた。
私は確実にいくべき方向へ歩き出しているのだと。

誰かに対して不安を持つと、その感覚を呼吸とともに観察し自分とそのことについてとことん話し合っている自分がいる。
今までは、自分を正当化する弁明ばかりだったマインドの言葉が、少しずつ静かに、短くなっていっている。

そして、自然に対して「愛おしい」という気持ちがとても強くなった。
天気が良ければすぐに外に出て、木や雲、花や虫に話しかける。体の感覚で、自然をいっぱい感じる。
近所の人が見たら絶対にアブナイ人確実な行為ばかりだけれど、気持ちが落ち着くのだ。
そのせいか、食べ物に対する感謝の気持ちも増えたし、いまだに肉が食べたい欲求もない。
そう考えると、瞑想はしっかりやってはいないけどヴィパッサナーは私の生活の中にとても生きている。
私は、確実に癒しを感じているし、暗い森の中からお花畑の湖を目にしてそこにウキウキしながら歩いているような感覚だ。

ヴィパッサナーは誰しもに合うものではないけれど、私にはSerendipity (思わぬものを偶然に発見する幸運)だったのではないかと感じている。(とりあえず3ヶ月経過地点では)。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。あなたの「今」が幸せでいっぱいになりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?