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『Poker』

前日に40000の大台を回復した日経先物。広尾のジムで朝のワークアウトを終え、明治通り沿いにあるシティーベーカリーの窓側にある席に腰掛けた私は、みずからの構築しているポジションに対してマーケットのポジティブな反応を予想しつつ、ポートフォリオ管理アプリにログインした。東証に上場している個別株とETFをある程度保有している私は、前日による終値からの変動額を見て、ふと労働の対価としてお金を得る意味について考える。

経済的自由を得るには、いかにして人生の早い時期に資本家サイドに自らが移行できるかで大方決まると感じる。一生を労働者として終えるのではなく、その労働を通じて早い段階から資本家に至ることが可能な道を選ぶことが、お金に一喜一憂しない生き方、ひいては自らによる人生の目的に対して純粋な行動ができるはずだ。

東京にいるとあらゆる場面で隣の芝が青く見えてしまうことがある。日本とは別の文化圏で何年も過ごした帰国子女の友人。親が大きな会社を経営している裕福な友人。アベノミクス開始時にフルローンでタワマンを購入した知人。彼らを羨ましく思うと同時に自らの境遇を惨めに感じ、自らを逆境から這い上がってきたヒーローとして定義していた時期もあった。(大学4年生の就職活動の頃笑)

そうした輝かしい人々による経験は、SNSが普及した現代で増幅され、人々の心理的不安を掻き立てる。

しかしながらふと羨望の眼鏡を外し、冷静になって周囲を見渡すとどうしようもないほど運に恵まれなかった人だっていることに気づく。パワハラ上司のもとで働きメンタルを病んでしまった前職の友人。職業選択の時期が就職氷河期と重なってしまった職場の同僚。親が宗教にのめりこんでしまった地元の友人。能力があるのに親の意向で田舎を出ることができなかった高校の同級生。

そう考えたときに、私の運は相当恵まれていたと気づく。優秀な人たちに揉まれたくて、片道30分かけて学習塾に送迎してくれた親。愛知県を離れることに寂しさを表明しながらも私を送り出してくれた親。高い目標設定に対して絶望しそうになったとき、必ずできると私を励まし続けてくれた部活動のコーチ。自らの努力によって成し遂げたと捉えていた私の実績は、私がそのときにおかれていた環境のおかげであって、私自身の努力が作用した要素は僅かであったことに気づいたとき、私はむやみに他人を羨ましく思う考えから脱却し、それと同時に私より若い人たちをどう励ましていくかについて考えが至るようになった。

人生とは、運によって手元に配られた持ち札に対して、どう自らで考えて行動すること。自らの手札がそのゲームにおいて勝ち目がないと判断するなら、早くからそのゲームを降りて、サンクコストや機会損失を最小限にとどめるよう行動をしなければならない。考えること、判断することをやめずに環境を探していけば、いつか勝負ができる持ち札を手にすることができるはず。そうした環境にいれば、人生は上昇気流に乗ることができるはず。

投資をすること、今後のキャリアについて考えることを通じてそう感じた2024年4月4日、正午。恵比寿にて。


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