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私がライターになるまでの14年間

私は安田峰俊。2020年でメジャーデビュー10年目(キャリア自体は14年目)を迎える、主に中国関連分野を得意とするプロのルポライターである。

思うところあってnoteをはじめてみることにしたが、まずはサイトの使い方に慣れておきたい。そこで今回はテストがわりに、2016年末に当時の自分のブログに投稿した昔話に加筆・修正した原稿を載せておこう。当該のブログはすでにクローズしたが、愛着のある記事なのである。

なお下記の文章は、当時世間を騒がせていたWELQ事件を受けて書かれたものだ。

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「ライター」という名の単純労働者

2016年11月、大手IT企業DeNAが、医療情報サイトwelqをはじめとした複数の情報サイト上で、転載に近い内容を含む不確かな記事を多数配信していたことが問題視された。

同社はウェブサービス上で、1文字1円以下という安価な報酬で記事執筆者を雇い、ネット上の既存の情報を参考にまとめさせていた。事実上のパクリ原稿の製作過程をマニュアル化して執筆者に通達し、不正確な記事を組織的に量産させていたとも指摘されている。

DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言  (BuzzFeed)

記事の執筆者は「ライター」と呼ばれていた。だが、welqの執筆者たちと、足を使った取材や文献調査などが必要な出版社系のウェブメディアや雑誌に寄稿するライターの仕事内容は大きく異なる。welq執筆者の仕事は、AIの技術がもう少し進捗すれば代替が可能な種類の「作業」であり、彼らは実質的には単純労働者に近い。

往年、母さんが夜なべ仕事でおこなっていた1台5円のチョロQの組み立てのようなお茶の間の内職が、現代風にデジタル化されたものだとイメージしてもいいだろう。『マガジン航[kɔː] 』に掲載された下記の記事を読めば実態を想像しやすい。

1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場

こうしたデジタル内職の従事者に対して、発注者側は単純労働者を「ライター」、機械的作業を「執筆」、文字データ製品を「原稿」といったギョーカイっぽい名称に置き換えることで、薄給で単純作業を受注する人々に擬似的なやりがいを与えようとする。受注者側もまた、将来の「ライター」としての飛躍を漠然と夢見て、劣悪な文字情報の作成と拡散に精を出すのである。

ちなみにこうして作られた記事の責任の所在は、「『誰でも登録して記事を書ける』というような仕組みになっていて、書いた記事の法律上の責任などはライター個人が背負う、みたいな形に規約上なって」いた。

単純労働者を薄給でやりがい搾取し、トラブルが発生すればトカゲの尻尾切りという、昨今のわが国のあちこちでよく見られるいつもの構図だ。

私はデジタル内職の職人だった

さて、本件は中国とほぼ関係がない。私がこのニュースに関心を示したことを不思議に思われる方もいるはずだろう。

しかし、実はこの話は個人的には非常に複雑な気持ちになるのである。なぜなら私自身、かつて数年間にわたって、この手のデジタル内職を手掛けていたことがあるからだ。

welq事件のちょうど10年前の2006年9月、私は月収十万円足らずの塾講師のアルバイトで食いつないでいた。学生時代から文章の仕事をしたかったが、就活のときに上京して新聞社や出版社の入社試験を受けるだけのお金がなく、実家に近い京都の部品メーカーに就職、やはり合わなくて5か月で辞めてしまっていたからだ。

ライターになりたいが、その方法がよくわからない。ひとまずAmazonで『フリーライターズ・マニュアル』(樋口聡、著)を買って読んでみると、「駆け出しのうちはどんな仕事でもやれ」と書いてあったが、私の地元の滋賀県には出版社など皆無であり、そもそも駆け出す以前の問題だ。一昔前なら、ここで諦めるか、一念発起して上京するかのいずれかを選ぶことになっただろう。

「消費者金融のお得な利用法」を書く

だが、デジタルっ子であった私はとりあえずネットで検索してみることにした。すると見つかったのである。「ライター募集」をうたうネット掲示板とか、当時流行していたmixiのライター募集コミュニティとか、そういうのがだ。驚くべきことに、出版社との繋がりが一切ない経験ゼロで地方在住のライター志望者でもウェブ経由で仕事を発注してもらえて、未来につながるキャリア構築ができるという。

いざ実際に応募してみたところ、肩こりを予防できる健康法について書けとか消費者金融のお得(?)な利用法について書けとか、いかにもうさんくさい内容の案件を打診されたが、私はライターになりたかったのでやってみることにした。

これらはどうやら、SEO対策を施したアフィリエイト収入目的のブログや、ネット上で有料販売される情報商材に掲載することを目的とした文章らしく、多くは1文字0.5円~1円くらいの仕事であった。

もっとも、怪しい健康法であれサラ金の利用法であれ、まったく知らない分野についてきっちり下調べをして確実な情報を書こうとすれば、慣れないうちは2000字くらいの記事でも2時間ほどかかる。時給に換算するとわずか500円だ。

(※はるか後になって知ることだが、ほんらい出版業界において記事の原稿料は、原稿用紙1枚か誌面1ページあたり、もしくはウェブ記事の場合は1本あたり換算が普通である。まともな原稿について「1文字〇円」という不思議な計算方法がとられるケースは、翻訳などを除きまず見られない)。

当時はまだ、この手の記事の発注元は零細のウェブ企業(かどうかすら疑わしい謎の何か)ばかりであり、2016年末に問題になったDeNAのような大規模かつシステマティックな発注はなされていなかったと思う。

ただ、私のようにコネも技術もなければ相場感覚も知らない物書き志望のアホなワナビーを「ライター」だとおだてることで、格安で文字データ製品(実際は「原稿」ですらない)を提供させる方法は、この時代にすでに確立しはじめていたようだ。

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鴻海中国工場のiPhone製造戦略?

こうした仕事に対して、受注側がとれる戦略は決まってくる。下調べや文体の吟味の手間をはぶいて制作スピードをアップさせることと、内容を薄めて文字数を増やして支払額を少しでも引き上げることだ。

また、一気に大量の案件を受注することで、薄利を納品件数のボリュームで補うという、鴻海精密工業の中国工場が1台4ドルの加工賃でiPhoneを何百万台も組み立てるような手法も取らざるを得ない。

私の場合、さすがに良心がとがめたので他サイトの丸ごとのコピペはやらなかったが、クオリティを大幅に下げることでほどなく1000文字を最速15分くらいで書けるようになった。

しばらく経つと、仕事を上手く回せるようになり、単価のやや高い案件だけを狙って取るようになったので、仕事の質と制作時間を値段相応に上げなおすことができた(ちなみに良心的な価格で発注してくれたある会社には人徳のある人がおり、いまだに自分の苦労時代の心の師匠として感謝している)。

やがて半年ほど後、1本1000文字あたり数千円の仕事を400本くらい一気に受注し、今度は自分がライター掲示板で発注する側になってネット上のライター志望者たちに1文字0.8~1円くらいで文章を書かせて、差額をまるっぽ儲けたこともある(もちろん税金は引いた上だし、私もリライトの労働はおこなうのだが)。

もっとも、さすがにそこまで旨い話は1度しかなく、あとは基本的には書く側ばかりであった。

出版社という謎の組織

その後、私は2007年春に上京してから3年間ほど、退職が事実上禁止されていて住居費交通費の手当も出ない月収18〜20万円の職場で非正規労働者になった(つまり2度目の就職も失敗したわけである)。さいわい時間の余裕だけは比較的あったので、上記のような自称ライター生活を引き続きおこなうことにした。

東京には出版社がたくさんあるっぽかったが、彼らは私の日常とは隔絶した雲の上にいる謎めいた上位存在であって、自分の感覚としてはフリーメイソンやイルミナティのような秘密結社とあまり変わらない。

言うまでもなく私はそこにアクセスする手段を持たなかったので、編集プロダクションという下請け会社を経由して1000文字あたり3000~5000円ぐらいの原稿を書くようになった。

コンビニに売ってある500円くらいのムックの最後のページを見て、小さな文字で「編集・制作」とか書いてある会社に電凸すると外注の仕事をもらえるのである。ほか、上記のネット原稿の仕事も並行して続けた。

編プロ経由の仕事ではエロ記事も裏モノ系のアングラ潜入記事もネトウヨ煽り記事も書いたし、ネット記事ではパワーストーンの効能や占いの結果なんかも書いた記憶がある。

「萌えあがる募集若妻」というAVシリーズのレビュー20本くらいを一晩で書いたときは言いしれぬむなしさが心にこみあげたが、就職に2回失敗して履歴書を汚したライター志望のフリーター(しかも奨学金による数百万円の債務持ち)は、われながら明らかに社会的にダメな人だと思ったので、まあ仕方ねえやと納得していた。

ちなみに、2008年の夏にテレビで北京五輪を見ながら書いた三国志の歴史ムックの原稿が、私が中国関係で執筆した最初の仕事である。あのときは結構うれしかったものだ。

担当編集部が2回連続で潰れる

ただ、以前よりはランクアップしたものの、下請け会社経由の仕事は未来がなさそうだったし、自分の名前が大きく出るような記事を書く機会もまずない。

モヤモヤしながら、あるときブログをやってみたところそれが大当たりし、途中から書籍化を狙って更新し続けていたら、2008年の末にフリー編集者の堀田純司さんから講談社で本を出さないかとオファーをもらった。

その後も担当編集部が2回連続で潰れて書籍企画が2回も頓挫したりと、かなりの紆余曲折があったのだが、さておき2010年4月に『中国人の本音』(講談社)を出版する。フリーランスの若いライターがめずらしかったためか、その後は編プロではなく出版社から直接、雑誌原稿の依頼が入るようになった。

やがて、私はいつの間にか記名の記事や書籍を書くのが当たり前になり、取材費をつけていただいて中国や台湾に出張に行けるようになった。自分が好きなことをノンフィクションのテーマに選んで自由に書けるようにもなった。奨学金も繰り上げ返済できた。

今年1月現在、私は共著やタイアップを除いた著書が11冊あり、その大部分は大手出版社から刊行されたものだ。2018年に刊行した『八九六四』(KADOKAWA)は、複数の賞もいただいている。

ワナビーでも仕方ないという話

とまあ、私はそういう迂遠すぎるプロセスを踏んで一応はプロの物書きになった。それゆえに、例のwelqの話を聞いたときはどうしても複雑な思いが先に立った。

当時、はてなブックマークやTwitterを見ていると、welqに寄稿するようなウェブライターを「本物のライターとは呼べない」とバカにするような意見が目立った。そして、この指摘は大部分において事実である。粗製乱造のデータ製品を内職的に製造する人は、実はライターなどではない低報酬の単純労働者なのだ。

ただ、私自身がそういう世界をスタートにして「本物のライター」になった人間である以上、心の中でかのワナビーの群れを弁護したくなる気持ちも沸く。

だって、地方に住んでいたり、育児や介護など生活上の負担が存在したり、就職先選びに失敗したりして業界とのコネも知識もまったく持っていない弱き者は、こうでもしないとライターを名乗れないのだから仕方ないではないか。

いっぽう、welq問題を起こしたDeNAに対しても思うところはある。曲がりなりにも上場企業が、コピペ原稿の製造作業を組織的に推奨したという、オリジナルの情報源(著作権者)に対する権利保護意識の甚だしい欠如はまったく弁護できない。ワナビーの夢を利用したやりがい搾取的なビジネスも明らかに悪辣だ。

ただ、かつて似たような仕事に携わっていた者としては、「上手くやったなあ」「大企業がやればあそこまで大々的にやれるものだったのか」という気も多少はしなくもない。

出版業界が先細りして「まともな」寄稿先が減る一方で、ワナビーの絶対量は決して減らない。しかもネットが普及したことで、検索エンジンにヒットすることを目的とした極度に安価な文字データの需要だけは高まった。加えて良心を捨ててコピペまがいの手法を駆使すれば、情報の入手にかかる時間と金銭のコストを限りなくゼロに近づけられるようにもなった。

例のwelq問題というのは、こうした過渡期の時代の鬼子だったのだろうと思っている。

クオリティペーパー記者にドン引きされる

ちなみに以下は余談に余談を重ねる話ながら、2016年の秋に私はある全国紙の文化部から「現代のノンフィクション作家の『書き続ける』理由」というテーマで取材を受けたことがある。

そこで私がノンフィクションの書き手になった経緯を尋ねられたので、上記のストーリーを身を乗り出して喋り、「文章を書く動機は社会への復讐と遊ぶ金欲しさです」などと供述したところ、上品な文化部の記者氏が傍目にも明らかにドン引きしてしまい、現在にいたるまで私のインタビュー記事が某クオリティペーパーに載る気配がさっぱり見られない。

だが、現実とは往々にしてそんなものだったりするのである。

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