創作日記:「何が一番大事なのか」
漫画を描き始めて1年経過。
ストーリーを1話にまとめ、完成させる作業を8回踏破。
有難いことに、二次創作の連載には毎回感想をくれる読者がついて、340人もの人が(私にとっては凄く多い)連載をフォローをしてくれた!
つまり340人が次のお話を待っている!
嬉しい!!
それで、そろそろ自己満足だけの状態から「他者からの視点」をより意識するようになってきて、「私が描く漫画にとって、何が一番大事だろう?」と考えていた。
結局、最初から分かっていた事かもしれないけれど
「何を描くか」だけが大事
何を描くかとは、ストーリーの事。
その話で何を表現するのか。そして、それは面白いのか。
何を描いているのか最低限伝われば、絵は割とどうでもよい。
漫画の世界にはそういう、絵の好みとか、上手い下手を度外視して真剣にストーリーを読む文化資本を持った人が、想像以上に沢山居ると思った。
これは凄いことだと思う。
そこで、私は「シナリオ」を勉強してみようという気になった。
私のいうシナリオは「映画脚本」のこと。これの書き方を勉強し始めた。
「なんで漫画描くのに映画脚本なんだよ。漫画の描き方勉強しろよ」
と言われそうだが、なんか違う気がした。
私が一人で「純粋にストーリーが面白いかどうか」を考え抜くには、プロットやネームより文章の方がいい。実際にやってみて思ったのだ。
漫画描く前に「字コンテ」にするプロの作家さんも居るようで、別に変なやり方ではないようだ。字コンテは演出を絵じゃなく文で説明したもので、脚本とは違うけれども。
とはいえ、わざわざ漫画の構成を文にする人の狙いは「画像のイメージ」ではなく「セリフ」や「ストーリーの骨組み」を練ること。
「ストーリーだけ」作るということ
実はシナリオを学び始めた最初のきっかけは「映画が好きだから」という短絡的なもの。雑に講座に通ったことすらある…(飽きてやめたけど)
でも先日『100円の恋』の脚本を読んで、「漫画に生かせる」と思ったのは間違いじゃなかかったと確信した。
ただ純粋に、面白い文章だった。泣いてしまった。
脚本とは、映画の設計図。
「ストーリーを語るためのセリフとト書き以外、書いてはならない」というルールがある。
これには「演出や美術の職域を犯すな」という意味もある。
だから、映画脚本は完全に贅肉を削ぎ落とされた、ストーリーそのもの。
脚本術には、一番有名な教本がある。
これには「読み手にページをめくらせ続けることが脚本家の仕事だ」と書いてある。
脚本を最後まで読んでもらえないと「映画化される可能性を持った作品」のステージにすら上がれない。
ストーリーが純粋に面白いこと。
言葉が明快で一切の無駄がなく、読み手の集中力を切らさないこと。
これが脚本に求められる最も重要な要素。
これは、漫画にそのまま当てはまる。
純粋に面白いストーリーが書ければ、面白い漫画が書けるはずである。
数ヶ月前にシド・フィールドの本を読み、見様見真似で「映画脚本もどき」の漫画シナリオを書いていた私だったが、
今回『100円の恋』の脚本を読んで、そして新人賞を取った読切漫画で、絵はグチャグチャでも映画脚本同様のキレを持った面白い作品を読んだりして「もっと本腰入れてやるべきだ」と確信したのだった…
はっきり言って、私の漫画は面白くないと思う。
読んでくれてる人には失礼な話だ。
もちろん、描いてる時は真剣そのもので「面白いものを作るぞ!」という気合いは十分。描き上げた直後は本当に「これが今の限界!」と思っている。
しかし、暫くして読み返すといつも頭を抱えてしまう。
全然ダメ。
前向きな言い方をすれば、もっと面白くできるはずだ!!
それに、そもそも二次創作を読み慣れた人々は「原作のキャラが好きだから」「描くのが大変なの知ってるから」と補正をかけて、多少つまらなくてもそこを読み飛ばしながら我が子を見守る親の如く忍耐強い目線を構築した上で読んでくれているに決まっている(大偏見)
あんまり甘えてはダメだぞ!
お前、他の所で甘えまくりの人生だろ!(ダメダコイツ…)
というわけで、私の当面の(ひょっとすると漫画を描いている限りずっと?)目標は「面白いシナリオを書けるようになること」となりました。
♢
どうやら私には、特に意識しなくても漫画を描き続ける理由はあるようで。
コンスタントに描き続け、気付けば1年経っており…
絵の方も、一応正当な美術教育を受けているんだから つべこべ言わずにやれることをやります。
だから、あとはシナリオを面白くできるかどうかに「末長く漫画を描き続けられるようにする」ヒントが隠れてるような気がする…
つまんない漫画読み返すのは、自分でも苦しいですし 笑
でもハードルが高いよ…
終わり
がんばりますp( ∵ )q