日記:人形遊び
他人に物語りたい話があるなあ、私が見たい、なんかモヤモヤしたイメージがあるなあ、と私は思う。
それを文章にしてから、漫画のネームにする。ネームにする時点でだいぶ様相が変わってくる。人の演技が変わる。ロケーションが具体的になると、展開が変わる。(だめだ、文章でやり直そう)となる。
そして、今やった事を繰り返す。そんなこんなで時間がかかる。
ネームから清書にするときも、だいぶ事情が変わってくる。
「(ちっとも良いと思えないから)こんな絵にはできない」とか思う。
ネームをやり直す。
エーリッヒ・フロムか誰かが、「集中しろ」と言っていた。
「大人が子供のように集中したら、なんでもできるはずだ」みたいな。
いま書き出した漫画の工程のうち、横で音楽も映像も流さずに集中してる時間は限られてる。
そういう「本気」の集中をやると、長時間作業ができない。
「本気」「気合い」のこもった1ページができ、その日、更に描けたはずのもう2ページが仕上がらない。
これではいけない。それは嫌だ。川の流れみたいに終わりなくやり続けたい…どうしても眠りたくなるまで。
で、私は横で映画をかけたりなんかする。
すると、こうなる。
なんかモヤモヤしたもの、形にならない映像がある(私は漫画を描くとき映像でイメージしている)
横で、マーティン・スコセッシの映画が流れる。ギャングが出てくる最高に格好いいやつ。
「このコマは、このカメラワークにしよう」とか思う。
「この群像シーンは、いつかぜったい描く」とかね。
「完成させる」を第一目標にするなら、悪くない。
映画の構図のパターンに嵌めれば、何となく見栄えがよくなる。分かりやすいし、悩む時間は短くなるし。
でも、それだと「あのモヤモヤした見えそうで見えないイメージ」はどこに行ったんだろう。
そのうち、見た映像が話の中まで入ってくる。
どっかで見たようなシーンが文章に出てきた。ここ数ヶ月、私の横ではマフィアが水みたいにワインを飲む。ある主人公は酒に溺れる。そういえば私は、少し前まで酒飲みだった。漫画に酒飲みが登場する。
「今の若い子は『ブレードランナーみたいな世界を描け』と言ったら描ける。でもそれは、そういう映画を観たからだ。我々は先駆者にならなきゃいけないのに」
って、宮崎駿が。いいんだ、別に、プロじゃないから。世界最高のクリエイターが言ってる事を気にしてどうする…
人形遊びをしている。
年齢が一桁の頃、お下がりのシルバニアファミリーで犬夜叉を再現してた。手元にそれしか人形、無いし。
それと同じような事をしてる。
「なんか描きたいイメージがある。何かはわからない」と思う。
既にある作品の中に探しにいく。近いものを持ってきて、なんとか再現しようとする。
たぶん、これはそういう遊び。
がんばりますp( ∵ )q