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アフリカ日記⑨犠牲の上で成り立つわたし



今日はヤギBBQだ🐐生きているヤギを選び、殺して食べる。

▶︎ヤギを選ぶ


ヤギの屠殺場に入る。においがムッとしていて動物の匂いがする。そこらかしこに動き回っている人たちは白い作業服を着ていて、血の跡が見える。ああ、今から動物を殺す場面を見るのかと心を構えた。作業員の人たちはニコニコしながら動き回っていて、これが日常なのかと思いながら屠殺場に入る。

車を降りて、ヤギを選ぶゲージへ入る。前足が縛られて、人間に引っ張られながら歩いている。

ヤギのお尻のところをムニッと触って肉あるかを確かめる。わたしはどのヤギがいいヤギなのかよくわからなかったが、選んでくれたヤギを見つめていた。なんか全てを悟ったような、うつろな目をしてた気がする


▶︎ヤギを殺す


ゲージのすぐ横にある屠殺場に入る。衝撃。圧倒。生々しい血が床に溜まっていて、白い服の作業員が包丁を持って皮を剥ぎ取っている。言葉が出なかった

わたしたちが選んだヤギが目の前で、気づいたら首が切られていた。まず足にナイフをグサリと入れ、そこから足全体に切り込みを入れる。4足入れ終わったら、そこから皮を剥ぎ取る。魚で言うとカワハギみたいに、スーっと皮が剥がれていく。そして頭を落として蹄の硬い部分を切り落とすと、そこらかしこに吊り下げられている肉の塊が出来上がった。

自分が選んだヤギだけではなく、たくさんのヤギが人間に引っ張られながら入ってくる。全てを悟ってうつろな目をしているヤギ、何が何だか分からなくてキョロキョロしてるヤギ、最後まで必死に鳴いて抵抗するヤギ、たくさんのヤギがいた。

心の中で「逃げろ」「生き延びろ」と訴えかけるのだけど、みんな同じように殺されていく。自然とぽろぽろ涙が出てきて、ずっと泣いてた。



殺されていくヤギを見ながら、たくさんの感情が湧き出てきたのでピックアップしてここに書き記したいと思う

わたしは21年間ポケポケ生きてきたなあと思う。この21年間どれだけの犠牲があって生かされてきたんだろうと思う。犠牲というのは、ヤギも含め肉を提供してくれる動物たちや、ヤギを殺する作業員、調理師含めわたしの口に入るまでに携わってくれた人たちの時間である。日本にいると“過程”が見えなさすぎる。自分が生かされているということを、感じることができない。ここにきて初めて、“過程”を見て、どれほどありがたいことなんだろうと思った。

ここで“犠牲”という言葉を再確認しようと思う

①一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること
②天災など不測の災難によって生命を失うこと


ヤギの屠殺においては前者の意味合いである。一層重要な目的のために、自分の生命を差し出してくれた。わたしそんな差し出されるほど重要な人物じゃない、、、でもある意味ではヤギよりも知能が発達していて社会を変えれる動物であるとも思う。一層重要な目的とは?社会をより良くすること?わたしが社会にできることとは?

生かされている、ということを感じて、社会をより良くするために、生かされた者が必死に生きなければならないと思った。どの命も尊敬すべきものであり、地球にある命が対等にある世の中にして、とヤギが見つめているように感じた。当分お肉は食べられないだろう、食べるとしても今までとありがたみが全然違うだろうと思っている。世の中には、本質をわかっていないままビーガンビーガン言ってるやつらがうじゃうじゃいる気がする。


また、子供っぽくて浅い考えだけど、地球にあるすべての命が尊敬され、幸せな世界になればいいのにと願った。ハッピーな世界!そのためにはまず、自分の見える世界から変わっていくべきだと思う。まず自分を愛することができる人間になる。そこから派生してわたしの属するコミュニティの人に伝播していければいいなあと思った。幼稚園のマネージャーKAMIKAZIから教えてもらったこと、「もっと愛してるって言いなさい」って言葉を忘れないで生きていきたい

前にも書いたけど、現地の人間は“極めて人間的である”と思う。そこが魅力!ニワトリやヤギや牛と共に生活して、食べる。日本でいると、人間だけど人間として生きていない部分があって、こういう新興国に来るたびに必死に生きよう、、、!と思わせてくれる

あとヤギを見つめながら、弱肉強食、サバイバルスキルのことを考えた。強者に対してヤギはどうすれば生き延びれるだろうか、本当に窮地に立ったとき、その人の賢さが現れると思う。高校の成績で1番を取るとかいう、そういう賢さではなく、臨機応変に対応できる能力、本質的な人間としての賢さ?を得なければと思った。底から這い上がる能力。英語力。交渉力。表現力。たくさんたくさんスキルはあって、日本に帰ったら自分の足りないところを見つめ直して足していこうと思う、そのためにパニックゾーンに自ら飛び込んでいかなくては!

そんなことを考えていたら、自分が選んだヤギが血抜き?みたいなの終わって肉として出てきた。袋に入れて、屠殺場を出る。一緒に屠殺場入ったけど、苦手ですぐ出て行った女の子が素でニコニコして話してた。苦手なのは分かるけど、これは目を背けてはいけない、向き合わないといけないと思う。

肉を持ってそのまま車に乗り込んで、市場やショッピングセンターに向かって必要なものを買い揃えてたけど、ずっと上の空でぽけーっとしてた。なにを言われても笑えなかった。

タクシー運転手のジョンに、彼ら(作業員)の給料はいくらなの?平均から低いの?高いの?と聞いてみたら、安い安いと言ってた。日給とか月給という価値観はなく、一頭につき5000フラン(500円くらい)だと言ってた。「日本ではそういう仕事はすごく高いよ、誰もやりたくないから」というと驚いていた。わたしからしたら衝撃的な光景だったけど、彼らにしては当たり前で、だからこそあんなにニコニコ陽気に捌いているんだろう、これが日常化か、何を思い動物を殺すのだろうか?

日本での仕事というのは、一般的に会社勤めで、パソコンカタカタ作業のことを意味すると思う。めっちゃ偏見だけど、こんな日常のありがたみも知らずに、本当の世界を知らずに、あなたを形作っている犠牲のことも知らずに、世界を変えるだなんだ、マーケティングがなんだ、安定志向がなんだ、言ってる人たちをみて正直尊敬できない。日本だとニコニコしてパソコンカタカタすればある程度生活できる余裕を確保できる。けど、人間的に暮らし、底から這い上がってる人たちの方がよっぽどかっこよくて、わたしはそういう人たちと関わっていきたいなと思う!

▶︎ヤギを食べる


買ってきたヤギを、串焼き、ピラオ(ピラフ的な?)スープにして食べる。

食べれないかなと思ってたけど、いざ目の前にすると食欲が湧いてきていつもと同じように食べれた。でも食べる時のありがたみが、感情が、全然違った。

みんなで、ありがたいね、美味しいねって言いながら食べた。わたしの口に運ばれてくる“犠牲”と“過程”を思いながら、わたしが社会に出来ることを考えていた。

わたしの自由な生き方を通じて、日本の頑張りすぎてる人たち、生きづらさを感じている日本人に届けばいいなと思う。

ヤギさん、ありがとうございました🐐おいしかった、捧げてくれた命を大事にして今日も生きていこうと思う!





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