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映画をリアルなものと思っていた頃

人は、いつから映画が作り物だと気づくのでしょう。

今日は、「映画をリアルなものと思っていた頃」、ある意味で最も純粋に映画を楽しんでいた頃の話をしたいと思います。(ある一つの映画シリーズを取り上げますが、本筋からは外れそうなので、そちらのあらすじの説明は割愛させていただきます。ちょこちょこ用語が出てきますが、悪しからず。)


兄の学習机を買いに行くのについて行った時、お店でたまたま見かけたのがスター・ウォーズのエピソード2でした。最初から見ていたわけではなかったので、話はよく分かっていなかったと思います。(最初から見ていたとしても、幼かった私には半分も本当には理解できなかったでしょう)

しかし、映像の美しさに圧倒されながら、ドロイドと人間とが普通に共存しているその世界を、本当に存在するものとして、幼い私は受け取ったのです。

家に帰ってから、もともと父がスター・ウォーズ好きだったこともあって、エピソード1、そして、エピソード4、5、6も見ました。

幼い頃、日曜日は毎週のようにラグビーの練習に行っていたのですが、雨が降ると、練習はお休み。そんな日は、家でスターウォーズを見るのが決まりのようになっていました。そういうわけで、何度も見返しました。

フォースもライトセーバーも本物だと思うようになりました。お店でおもちゃを見かけることがあっても、どこかに本物があると信じていました。(面白いことに、おもちゃは「作り物」だと気が付いていました。)

いつか宇宙船に乗れる日が来ると思っていました。それは、飛行機に乗ることを想像するよりも前に、私が想像したことでした。ワープして、地球ではない星へとあっという間に行くことができるような気さえしていました。

それが宇宙ではなく地球で撮られ、登場人物は役者によって演じられていて、その撮ったものを、誰かが編集している……なんて、思いもよらなかったのです。まさか、女優さん・俳優さんが本当は英語で話していて、それを誰かがどこかで訳して、日本の声優さんが日本語をあててくれているなんて、少しも考えてはみませんでした。実際には存在しない生き物を表現するために、沢山の人の手が加わっているということも、想像もしてみませんでした。

本当にあったことをビデオに残しているのだと思っていたのです。

いつからか、そんな考えはなくなりました。映画は、誰かによって作られたもの、それも、大勢の人たちの手によって作られたものだと理解するようになりました。

もちろん、それによって、私の中の映画の価値が下がるようなことはありませんでした。むしろ、エンドロールを見て、こんなに沢山の人たちが、この一つの作品を作り上げたんだ、と感嘆するようになりました。

とはいえ、やはり、「紛れもない本物を見ている」と思い、「作りものだ」ということを少しも考えずに楽しんでいた頃とは違うのです。

映画館で映画を見るのにかかるお金と、それを稼ぐのにかかる時間と労力も分かるようになり、どんな人たちが演じているかも、どんな意図で演出がされているかも、調べれば情報は沢山出てきます。

それが悪いとは思いません。

でも、歌詞の意味も分からずに歌を口ずさんでいた頃のような、純粋な世界の楽しみ方が、自分の中から失われたなぁ、とも思うのです。

子どものような心を持ち続けたいと思っても、言葉で世界を認識すればするほど、何かが失われていく。でも、その純粋さを表現しようにも、「純粋」という言葉すら知らなかった頃の自分の世界の見方を、もう一度味わうことは、なかなかに難しいのです。

もし、生まれた瞬間から、日記のようにその時の思いを克明に記すことができ、その書き続けたものを見返すことができたなら、その時の世界の見え方が、もっとはっきり分かるのではないかと思います。

もっとも、どう考えても無理な話ですがね。

でも、今、自分が本当だと思っていること、逆に嘘(作り物)だと思っていることが、何年か経ったら、そうではないということが分かるようになるかもしれない、とも思うのです。

分かっていない時って、分かっていないことを分かっていないものだからです。映画をリアルなものと思っていた頃、そうじゃない可能性なんて、考えてもみなかったのと同じように。

だから、こうしてnoteを書きながら、何年か経って見返したら、面白いだろうとも思うのです。今の私の世界の見方のようなものがここには反映されているわけで、それを振り返ってみるまでは、本当には、自分の物語が見えてこないだろうと思うからです。


#映画 #エッセイ #スター・ウォーズ #幼い頃






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