常識に溺れるな
変わりゆく常識
常識なんか時代と共に常に変わっていく。
何故か?
大多数が持っている価値観を常識というから。
時代の中での価値観はどんどん変わっていくものであり、
昔の価値観と現在の価値観は全くの別物になっている。
例えば20年前に世界中でスマホが普及しYouTuberが職業になるだなんて言ったら
そんなバカなことを言うなと笑われる。
だけど現代ではそれが普通だ。
時代の変化と共に価値観は変わっていき、
それに伴って世の中の常識も変わっていく。
世の中の常識とは大多数が持っている価値観であり、
大多数の価値観が世の中の常識を作っていく。
そう、常識は時代と共に変わりゆくものなのだ。
常識と正しさ
常識という言葉はよく”正しい”と混同される。
みんながそうだと思っているから正しい。と。
だけどここで声を大にして言いたい。
”常識”と”正しい”は違う。
正しさと常識を一緒にしてはいけない。
何故なら常識を持っているもの(大多数がそうだと信じているもの)が正しいという空気を作り出してしまうからだ。
大多数が信じているものでも間違っているものは沢山ある。
誰かがうんと言えばほとんどがうんというような国である日本なら尚更だ。
常識はあくまでも常識であって、それ以上でもそれ以下でもない。
けれど今の世の中、常識と正しさが一緒くたになってしまっている印象を強く受ける。
それらが混同されてしまうと正しい物事の判断ができなくなる。
他にも沢山の人たちがやっているから良いだろうという安心感。
また、人が自分の行いが正しいと思い込んだときの傲慢さ。
人が暴走するのには十分な要素がこれだけで完成する。
本質を見極める力
人としておかしくないか?
それを問える環境にすらないことがさらに怖さを増す。
どんなに時代が変わっても大切なことは残していかないといけない。
けれどその大切は大多数が思う大切なのか?
それとも元来人が人としてあるために大切なことなのか?
本当にそうでいいの?
結局のところみんな真剣に議論をしないからいつまでも本質にたどり着かない。
スピードがどんどんと重要視されていく現代の世の中。
時代の背景柄、スピードが上がっていくのは仕方のないことかもしれないが、
そのスピードに人々の情報処理の能力もスピードもついていけていない現状がある。
どんどんと溢れ出す情報を正しく処理する能力もなければ
その溢れた情報の中に埋まっていく。
その溢れた情報の中で
”本質”
という小さなピースを見つけることは簡単ではない。
常識と正しさと本質。
これらの違いを見極める能力。備えるだけで景色が変わる。
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