見出し画像

友やめ(婚約・結婚)

駐在妻になったのがきっかけで友やめ・友やめられをした話を以前書いた。
今回は少しさかのぼって、婚約・結婚した時の友やめ。

婚約した頃、ある友人に会った時にそれを報告したら、次第に話題が「何故結婚するのか」にシフトしていった。

友人「結婚が決まった人に聞いてみたかったんだけど、なんで結婚するの?」
私「公的に認められるし、子どもが欲しいから…かなぁ」
友人「なんで子どもが欲しいの?」
私「将来楽しそうだからかなぁ。老後も寂しくないし」
友人「老後も…って世話させるために産むの?」
私「もちろん全面的に頼るつもりはないけど、老人ホームとか入る時の手続きや葬儀はやってもらうかもしれない」
友人「それってエゴじゃない?エゴで子ども作るの可哀そうだよ」
私「そうか…」

こんな会話を続けていて、婚約を報告しただけなのになんでこんなに嫌な気分にならなければいけないのだろう…とつまらなくなった。
その後、なんとか解散した。

当時、私にも友人にも子どもはいなかった。
私が子どもを希望していたのは、その頃の職場の客に高齢者が多く、応対していて『子供がいる人』と『子供がいない人』で差を感じたからである。
自分が将来なりたい老人の姿は前者だった。
それを説明する隙は無かったが。


なぜ、今でもこんな出来事を覚えているのか。


それは、本心では人が子どもを生すことは大体エゴに起因するんじゃないかと思っているから。
そして、当時は友人関係が壊れることを恐れて、それを言えなかったのが悔しい。

・家庭を持ちたい、自分の子が欲しい
・家系や何かを残したい、継がせたい、将来頼りたい
・望まず妊娠したけど、堕胎したくなかった

「人が子どもを産む理由」を3つほど考えてみた。細かく分ければ際限ないが、大まかに分けたらこんな感じになるんじゃないだろうか。

エゴという言葉をどう訳すかは人によるかもしれないが、会話の中で使われていた「利己的な思考・行動」で考えてみると、私の考える大まかな理由3つ全てが当てはまる。

要するに、子どもなんてエゴの結果だよ。
どんな綺麗な理由並べてもつきつめればエゴになると思う。

あれから約10年、色々と鍛えられて、婚約中より逞しくなった私なら、きっと彼女に言えただろう。


当時も今もこの出来事を思い出す度に腹にどす黒い感情が湧く。
なぜなら、その友人はいわゆる『愛の狩人(お察しください)』だったからだ。
この人は『子どもができるような行為』をしまくっているくせに、私を『エゴで子どもを産もうとしている奴』扱いするんだな。
その考えが浮かんでから、怒りで口から言葉が出なくなったのを忘れられないのだ。

当然のことながら、彼女とは疎遠になった。出産後、出国までバタバタしている中で、「本当に金と時間と赤子を連れて行く労力を割きたいほど会いたいか?」「子供に会わせたいか?」と自問自答した結果でもある。
私が『エゴで産んだ』子に会うのは、エゴによる出生を嫌う彼女も嫌だろう。
一度誘いが来たが、彼女が重篤な風邪をひいていたこともあって、尚更遠慮させていただいた。その後、一度も会っていない。

『女は結婚妊娠出産で交友関係が変わる』という言葉がネット上でささやかれてしばらく経つ。
私がこの言葉を知るのは、この後さらに人生の節目で友達を失い、ネットに泣きついてからであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?