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駐在妻のFacebook反省会

フェイスブック全盛期に渡米し、ドヤ顔でアメリカ生活を更新していたとある駐在妻の一人Facebook反省会のはじまりはじまり~

駐妻がfacebook使ってて良かったこと

①引越しても仲良い人と繋がってられる。気軽にやり取りできる
②出国帰国報告が楽



これだけ!


駐妻になってFacebookで起こったこと

一駐妻のFacebook奮闘記――

①実名なので近所の駐在員と駐妻に見つかる
先に夫が補足されていたので不可避。
「いいね」ボタンが「見ました」ボタンになる。

②それまでのおしゃクソ系女子大生ノリを封印して真面目化
渡米前はキラキラ新婚アカウントだったが、夫会社の先輩とその家族に見られるようになったので急に襟を正す。

③急に色々と対抗して駐妻生活の投稿を頻繁にしだす

こちらの記事に書いたように、日本の友人の一部とうまくいかなくなり、彼らが押し付けてくる【散々な駐妻生活】イメージを払拭するかのように陽キャラでハッピーな海外生活の投稿をしまくった時期があった。

「せっかく外国にいるんだから、その国ならではのお出かけをして投稿しなきゃ」という妄執にとらわれ、少しずつおかしくなっていった。

④日本人以外の友達が増えて英語でも投稿し出す
ちょっとドヤ顔で外国語副音声付き投稿を始める。
英作文は上達したが、全体の友達数に対して英語で話す友達の割合はそう多くなかったことを考えると心が北極に飛ぶ。

…当時の私はそこまでして少数の他国の友人知人に読んでもらいたい内容を投稿していたんだろうか…

⑤「友達」が減って凹む

前述の仲が歪になっていた友人たちとはもちろん、それ以外の人にも「友達解除」をされていた。
自分でも上記の③~④は見苦しいと思うので、そういうのが嫌いな人からはさも不愉快な投稿者になり果てていたであろうと思う。


「友達」が減った

もともとそんなに「友達」の数が多くないので、減ると数の増減にすぐ気がついた。

減った「友達」は私の駐妻生活に対して嫌なことを言ってくる人か、つながったは良いもののやりとりをしていないような薄いつながりの人ばかりだった。

仲が良い人に比べたら、全然大事じゃない。
大事じゃないのに、なぜか当時はすごくショックだった。

「その人に嫌われたこと」そのものよりも、「『友達』を外されたこと」が自分を否定、拒否されたようで悲しかったのだろう。
当時は20代前半で実績や経歴のわりにプライドが高く、承認欲求のお化けだった。

幼稚だったというのはもちろん、こんなことで悩めるくらいには暇だった。
毎日家事と育児に追われて、自由時間が細切れ。細切れの集中力でできる楽しみはネットしか無かった。Facebookを見ている時間は日本にいた頃より確実に増えていた。

かつSNSに振り回されているのは幼稚だという自覚はあり、リアルではますます誰にも言えなくてため込んでいった。


駐妻のFacebook反省会

ある時、私が「こうして虚構の輝きを投稿していても、私が嫌いな/私を嫌いな人は別に何も感じない可能性の方が高いのだな」と気がついた。
見栄を張る場所に成り下がっていたFacebookが途端に汚らわしくてつまらないもののように感じ、そしてそうしたのは自分であることを強く意識した。

Facebookの使い方を変えよう―――

自分なりにルールを作ることにした。

①安易に知り合ったばかりの近所の駐妻・駐在員と繋がらないこと
TL上が投稿合戦になり、いいねボタンは見ましたボタンと化す。
お互いの引越前に、仲の良い人にだけ申請を出す方が健全的。

②他の駐妻の投稿から当地のレジャー情報を探そうとしないこと
見た時には大体のイベントは終了しているので妬みだけ残る

③「友達」の日本人に対して外国人の数が圧倒的に少ないのに外国語で投稿するときはよく考えること

こうしているうちにFacebookをいじる時間も見る時間も減っていった。

改めて振り返ると、当時すでに同年代の友人はほぼFBは登録しているだけになっていて「積極的に投稿してるのはキョロ充」みたいな雰囲気さえ流れていた。
それが、駐妻になった途端また弄るようになっていた。FB上だと駐妻仲間(仲良くない人含む)しか見えていなかった。

facebookは実名な分色々とタチが悪いと思う。知人のことを一方的に覗くのは微妙に快感があり、やめられないのだ。そしてそれが劣等感と優越感を呼び起こす。優越感の方を多くしようと躍起になり、無駄な行動が増える。
私はまさにfacebookでSNS依存とSNS疲れになった。

FBに振り回されてなんて自分はダメなんだと落ち込んだこともある。
しかし、これから見なければいいし、FBに費やした時間と根性がネジくれ曲がったことを考えると、それまでの自分が馬鹿すぎて逆に面白くなってきた。

そして、FB通してたくさんの「友達」と繋がったけれど、結局最初から最後まで本当の友達はずっと同じだった。この事実は忘れずに生きて行こうと思う。


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