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アニマルライツ 急にお肉が食べられなくなってしまった話

ある日のことです。牛肉が大好物だった私は、いつものように夕食にステーキを焼いていました。


ジュウジュウと肉が焼ける美味しそうな音、


岩塩と胡椒をミルで挽き、サラダと共に食卓へ。


いざ、「いただきます!」と


ナイフで一口に切ったお肉を口に入れました。






すると、、、


その途端、、、、


物凄い違和感が…



見た目は、美味しそうな普通のステーキなのに…



すごく生臭いような、、、


一気に鳥肌が立つわ、、、


身震いはするわで、





これは何かがおかしい。

もうダメだ。絶対食べられない。と




そのまま肉が食べられなくなりました。



体調でも悪いのかと思っていた数日後、



こんな記事が目に入ってきたのです。

それは、

ベトナムの食肉処理場の作業員らが、オーストラリアから輸入された牛を大きなハンマーで打ち殺す様子を撮影したというニュースでした。


私が食べようとしていた肉もオーストラリア産でしたが、それがこの施設の牛かどうかはわかりません。


しかし、


どこかでこの牛たちの意識が同調してしまったのでしょうね。



この記事を見たときに、私は、


「いい加減に目を覚ましなさい。」


と言われているかのように感じました。



それからは、

切り身の焼き魚でも、顔がないのに口がパクパクとして見えたり、バタバタと暴れている映像が頭に入ってきて、、、


当時、霊感が強い状態だったのか、しばらく、肉や魚が食べられない時期がありました。


思い返してみれば、小学6年生の頃、
お友達の家で初めて某チェーン店の牛丼を食べたあと、夜中に気持ち悪くなってしまい、そのまま次の日も体調を崩したことがありました。

その頃は、もっとエンパスで、霊的な波動をキャッチする能力が高かったため、そのような体調に現れてきたのだと思います。


今はそのようなこともなくなり、たまに外食や家族の残り物などで、お肉や魚も多少は食べていますが、それでも、気持ち的にはあまり気が進みません。


しかし、なぜだか、高級な国産のお肉、特に但馬牛などには、その嫌なバイブレーションを感じないのです。

多分、良い環境で大切に育てられ、牛たちもある程度満足した人生を過ごし、人間に食べられることも許可しているからかな?と思っています。


優しい眼差しの牛たち



家畜産業に関しては、アニマルライツの観点からも、考え直さなければならない問題は山積みです。


卵を産まない雄のヒヨコは、生まれるや否や選別されシュレッダーにかけられてしまう。



ぎゅう詰めの身動きの取れないゲージの中で、土や草の匂いも、風のすがすがしさも虫をつまんで食べる楽しさも知らないまま一生を過ごすたくさんの鶏たち。



まだ、お母さんと一緒にいたい赤ちゃんなのに、大きく育つ間もなく殺されてしまう、仔牛や子豚など。



私たちの知らないところ、見えないところで辛い思いをしている命がたくさんあります。



「仔牛や、仲間の牛が屠殺場へ行くためのトラックに載せられるのを仲間の牛が大粒の涙を流して鳴いて見ているんだよ。可哀想で見てられなかったよ。」


と私の優しい父からもリアルな話を聞いたことがありました。



動物も人間と同じで、痛みを感じ、感情もあるのです。仲間が殺さたことを瞬時に察知する能力は人間より優れていると思います。



ペットを飼っている方なら、動物がどれだけ賢く、そして愛情深いものであるかお分かりになると思います。

存在だけで調和をもたらす生き物たち

カルガモの親子でも、心配そうに子供達を見守る母親の姿などがよく放送されますが、


家畜の動物たちの中でも、特に、大切な子供を引き離された母親のダメージはもう計り知れません。


私は、そういったたくさんの命が救われることを願い、肉やチーズの代わりにできる様なプラントベースの食事を心がけています。


生き物たちに優しいことは、地球にも優しく、それは私たちのためにもなるはずです。そのように自然の摂理はできていると感じます。



私は、世界中の動物たちが、大切な仲間と寿命を全うできる、そんな世界へと、いつの日かシフトしていくことを希望しています。

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