もっと楽に字を書けたら
紙の小さな手帳に手書きでメモを集めている。日々持ち歩いて「こういうの、好きだなあ」「世界にはこんな考え方もあるんだ、何度読んでも新鮮」という抜書や要約を眺めていると、リフレッシュしたりポジティブな気持ちになったりする。
しかし、困ったことがある。たくさん字を書くのがしんどいのだ。持ち方がおかしくて、手にギュッと力が入って、親指・人差し指・中指が痛くなってしまう。
それならばPCやスマホでよいではないか、と試みたこともあるのだけれど、意外と見ないのである。何が足りないのかというと、紙の手帳は「育つ」のである。モノがあって、何度も手で指で目で触れて、書き足していくし読み直していく。そうやっている間に、手帳はただの手帳ではなくなる。『星の王子様』に出てきたキツネにとってのバラのような存在になる。大切にしたい関係性がモノとの間にできるのだ。
たとえば、こんなメモを書いてある。
個人的に、腹痛でトイレに駆け込むことはしばしばある。よし、腹痛だから胃腸の弱かった漱石を読むチャンスだ、そんなふうに腹痛のときは腹痛を愉しんではいるつもりだった。しかし「もっと!」と思うほどのポジティブさでは決して無い。身体が強くならなくても、まだまだ人生って愉しめるんだ、と衝撃を受けた。
出番の多い方なのだけれど、毎回発見ができるようなマインドってあるんだな。なにかちょっとした実験とか発見を、したいほうなのだな、日常に流されずに、自分に正直にそういうのを求めていこうと共感した。
なんとなく、塩とか砂糖にこだわるのが料理愛好家っぽくてステキだと思っていたのだけれど、言われてみれば確かに違いを認識しやすいのは発酵調味料だという記憶が呼び起こされる。味噌の、グッとくるものを引き当てたときは、毎日お味噌汁を作るだけでしあわせだった。それからしばらく色んな味噌を買って試してみた。どこにも行かなくても味噌を使うだけで全国旅行しているのと同じだと思ってときめく日々が続いた。醤油と酢はまだわからないけど、挑戦してみようかな。
手書きの手帳は、ストレスでガチガチになりがちな私に余白をくれたり、何度読んでも憧れや意欲をくれたりする。指を、手を、痛くしながら、私は手帳を育ててきた。痛すぎて諦めようと思ったことも何度もある。毎日することのクセを変えるのは難しそうだからだ。ペンの持ち方を直そうそとしたことは何度かあったが、真似してるそばから痛くなって、クセって治らないなあ、と我慢して書いていた。でも、もう、しんどいのは嫌だ。クセを変えるしんどさに向きあって、楽に字を書ける未来を私は選ぶ。日に何度も、楽な持ち方を自分の身体で再生している。来年の今頃はきっともっと楽に字を書いている。
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