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人は間を飛び越える時がある

人間は、どうして人間というのだろう。
私はまだ、語源を調べていない。

でも、今の進化した人間の前は、猿人だとか
原人だとか、そんな風に命名している。

すると、人間は元々「人間人」だったのではないだろうか。

人とは、正に人と人との間で全て成り立っているのではないか。
私たちは常に間を図り、その間を憂い、喜び、戸惑い、憤り
そんなことで日々を過ごし、そんなことで人生が終わっていく気がする。
私はそんな風にこの語源を考えた。

私はまだ、語源を調べていない。

さて、表題の意味である。

私は、この「人間人」の適切な「間」を軽々と飛びこえ、私の前に現れた人と遭遇することがある。
適切とは、時に家族であったり、友人であったり、仕事の同僚だったりが各々の立場を弁えながら人との間を図ることである。

その人々は、そんな「間」クソ喰らえだと言わんばかりに、ぶち破って
現れる。

そんな時、私は必ず泣いてしまう。
いつも、なんで泣いちゃうんだろうなーと思うけど、
最近私は理由が分かった気がする。
感動するから。

人間の私には到底出来ないから。

だから、そんなことをやってしまう人は人間じゃない。

そんな人たちは、私にとって神様みたいな存在。

そんなこと言ったら、神様みたいな人たちはみんな口を揃えて
厨二病じゃないんだからって笑う気がする。

私は、そんな私との間をぶち破ってきてくれた人々の出会いを少しづつ
綴っていきたい。

そして、欲を少しだけ言えば、私も誰かにとってそんな神様みたいな存在に
なりたい。


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