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安部公房(1975)『笑う月』の読書感想文

安部公房のエッセイ『笑う月』を読んだ。単行本は1975年発行で、1984年に文庫化された作品である。

夢にまつわる17編のエッセイが収められている。ただ、エッセイといっても、夢の話であるため、ショートショート、短編小説だと思って読んだほうが、すんなり飲み込める。

印象深かったのは、終戦後、中国の瀋陽で、チフスが流行しており、医師免許はなかったが診療した経験があるとか、奉天市で育ったことなどが、さらりと、こともなげに描かれている点であった。

やはり、戦前の1924年に生まれた作家と戦中戦後の作家が持つ背景、というのは、どうしても違うのだろう、と思わされた。

満州が舞台の『けものたちは故郷をめざす』も、いずれしっかり読みたい。

私は最近、夢を見ない。夢を見ても忘れてしまう。

ただ、起きている時間に、過去の嫌な出来事、悪夢がまざまざと蘇ってくることがある。

これは孤独の副作用のようなものだろう、と思っている。孤独だからこそ、ものを考えたり、学んだりすることができる。ただ、雑音がないからこそ、その沈黙に、用済みの過去が足音も立てずに忍び寄り、背後から邪魔をしてくる。うっとおしい。掻き乱すな。不愉快な気持ちに支配され、作業の中断を余儀なくされる。

安部公房は悪夢に苦しんだようであるが、私は現実に苦しんでいる。ただ、その現実は、ただの事実ではなく、私の感情と記憶がないまぜになっており、加工が施されているがゆえ、本来の出来事以上の意味を持ってしまっている。私は悪夢のような出来事の記憶から逃げるために眠っている。私にとって、眠りは避難所であり、心待ちにしている行為でもある。今晩も、忘れてしまう夢が見たい。

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