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リソースの配分を考える その1

リソース(resource)とは、資源であり、これは有限である。

組織論などでよく使われる言葉だが、近頃「自分の体力」という資源について、よく考えている。

わたしの「脳みそ」はわたしの司令塔で、あれこれわたしの「身体」に口を出す。動け、働け、と指示を出す。「脳みそ」はあれもこれも、と欲張りなのだが、動いていれば体は疲れる。体が疲れると、当の司令塔である「脳みそ」が休め、と言い出す。

このようにして、「やりたいけれど、やれなかったこと」が積み重っていく。もちろん、「やらなければいけないこと」が優先される。こちらに力を使ってしまうので、自ずと「やりたいけれど、やれなかったこと」は保留、保留、保留となり、覚えていればいいほうで、忘れ去られてしまうことさえある。

もちろん、「重要じゃないことだから、忘れたのでしょう。問題ないでしょう」という意見もあるだろう。それは否定しない。

しかし、「当面重要ではなかったこと」は、「人生において重要ではないこと」とイコールではない。今は重要でなくとも、十年先の自分にとって重要なことはある。

生きていくこと、生活に必死だと、中長期的に必要なことに時間をかけられなくなっていく。

たとえば、語学の勉強をすること。これはすぐに成果が出るものでもないし、すぐに資格が取得できるわけでもない。しかし、資格を取得することも長期的には良いことだ。何より、複数の情報ソースに当たれるのは、人生において有益である。母語以外の言語の概念や枠組み、視点を得られることも、脳そのものによい影響を与えるだろう。運が良ければ、仕事にもなるかもしれない。つまり、こういったものは、中長期的な視点でリソースを割くべきものである。(もちろん、ある言語を習得したければ、1日5時間、週5日の勉強を1、2年間やったほうがいいのだが、それができる人は限られている)

日々のストレスや苦労は、体力と気力を奪う。どんなに嫌なことがあっても、己のタスクをこなせる人は、強靭なメンタルの持ち主であるか、よほど生活が安定しているかのどちらかであると思う。

朝2時起きで、なんでもできる!』なんて本もあるが、もう「朝」という言葉の定義を国民的議題として話し合う必要すら感じる。午前2時を26時と表現している人にも問題がある。もちろん、朝2時に起きて、いろいろできる人はすごいと思うし、26時まで働いている人にはお疲れ様としか言いようがない。どちらも、体質的にそれが向いている人もいるだろう。

わたしはメンタルも生活も安定していなかったので、TO DOリストが、もはや妄想になっていた。(君は、ムカつくクレーム対応したあと、平常心を保てるのかね? わたしはふて寝するよ)

そして、実は、TO DOリスト以外に、アイデアノートなんてものもある。2012年の10月に作りたい作品リストを作っていた。当時のアイデアは、10あった。2021年現在、完成させたものは、驚くなかれ、なんと0である。インドの天才がZEROという概念を発見してくれたことに感謝している。

そして、そのアイデアのタイトルのようなものと、キーワードを見て、何を作ろうとしていたのかわかるものもあるが、サンドウィッチマン風に言えば「ちょっと何言ってるかわからない」というものも、ちらほらある。

わたしは自分の意志の弱さに愕然としつつ、自分を慰めた。「そんな余裕なかったよ。仕事だけで、精一杯だったよ」と。もう、意志力のなさについて、自分を責め立てても仕方がない。体力がないのも、今に始まったことではない。子どもの頃から、おまえはよく寝ていたではないか。

一般的によく言われているのは「貧すれば鈍する。創作活動は食い扶持を安定させてからやらないと、生活も創作も失敗するよ」というものである。だから、まず生活を安定させて、余暇に頑張って創作をしよう、という真っ当で王道のスタイルだ。これに反論の余地はない。一番よい考え方だと思う。創作活動は、命を賭してやるものではない。生活が一番大事だというのはわかっている。しかし、生活を成立させること、資産や不労所得があるわけでもない人、労働にリソースを割かざるを得ない人が大半を占めるだろう。

わたしの場合、失業して生活が不安定になったうえに、創作活動も全然進んでいない、という体たらくである。手応えのない9年間であった。もちろん、作品を作ったところで、世間的に評価されない、無視をされていた可能性は否めない。それでも、何もやらないよりは、1000倍いいのだ。そのアイデアが駄目だったことがわかること、それを改変して、別のものに作り替えることも、オリジナルがあればこそ、できることなのだ。それに作品は、推敲してナンボである。

創作において最も重要なのは推敲であるとヘミングウェイもスティーブン・キングも、村上春樹も言っていたはずだ。しかし、rewriteも初稿がなければできない。『リトル・ミス・サンシャイン』の脚本家であるマイケル・アーント(Michael Arndt)は、この脚本を100回以上書き直したという。

わたしがこの9年間で学んだのは、フルタイムの会社員生活と創作活動は両立できない、ということであった。

もちろん、不可能ではなかったはずだが、うまくはいかなかった。さて、どうするか。

この記事を書き始めて、すでに3時間が過ぎている。

結構、1日のリソース(体力)が奪われた。(まあ、考えながら、気持ちを整理しながら書いているからしかたがないね)

どのように生活を組み立てていくか。改めて、実践について考えてみたい。

(この記事、その2に続きます!)







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