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心の乱れと気分転換

何かで気持ちが乱されると、何も手につかなくなってしまう。これは子どもの頃からの悪い癖だ。もちろん、不快なこと不愉快なことが原因となる。楽しかったこと、うれしいことは、結構すぐに忘れてしまう。

ひとつ問題が起こると、ドミノ倒しで、いろんなことができなくなってしまう。やる気が削がれるのもあるし、意識をそちらにすべて持っていかれてしまう。あるいは気がかりなこと(心配事)があれば、そちらに引っ張られてしまう。

冷静な頭と鋼のメンタル、平常心がほしい。

「感情」が面倒くさいもので、忌み嫌われるようになったのは、なぜなのだろう。アニメの『魔法少女まどか☆マギカ』では、そのようなことに言及もされているらしい。これから観ようかと思っている。

「感情」をコントロールし、淡々とタスクをこなせるようになれたら、それは素晴らしい。しかし、それは、あらゆることに関心を持たず、当事者意識を捨てることを意味するような気もする。

自分から「自分」を乖離させる。これは、果たしていいことなのだろうか。生きやすくもなるし、タスクをこなせるようにはなるだろうけれど、何も感じないわたしは、果たして「わたし」なのだろうか。

怒りや悲しみを感じる能力がないのは、センサーの鈍化だ。そして、感情を表明しなければ、尊敬されるどころか、どうでもいい人間、何をしてもいい人間だとみなされ、馬鹿にされるおそれもある。だから、「感情」を捨てればいいというものでもない。

ただ、今は実害があるのだ。嫌なことを考える時間が増えて、諸々のことが進まなくなり、最終的には、そのような行動をとった自分に対する自己嫌悪やってくる。どうでもいいパズルゲームをだらだとやってしまったり、うだうだ寝てしまったりする。現実逃避が有意義な現実逃避になっていないのだ。

毎度、使える気分転換方法、リセット方法を探していきたい。

自宅の風呂に入るぐらいでは、あまり効果がない。ただ、銭湯に行けば、気分は変わる。特に水風呂に入ると「冷たさ」という刺激があるので、悩んでいる暇がない。あと、ウォーキングはそれなりに効果がある。

「場所を変えて何か行動する」ということを意識的にやっていけばいいのかもしれない。何かに気付いたら、またnoteで報告したい。

心は乱れてもいい。ただ、その振れ幅を最小限にして、気分を切り換えられる人間にはなりたいなあ、と切に思う。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!