見出し画像

映画『サンドラの小さな家』(2020)の感想

少し前になるが、イギリス映画の『サンドラの小さな家』を映画館で観てきた。

想像していたより、家づくりの場面は少なかった。

彼女はDV被害者で、娘二人を連れて、夫から逃げる。

しかし、そう簡単に縁は切れず、毎週末、夫のところへ娘たちを面会に送り出さなければならない。

復縁を迫られたり、脅されたり、と夫はやっぱりモンスターで、二度と近づいてはならない。

専業主婦として暮らしていた彼女には、バーの皿洗いや家政婦の仕事ぐらいしかない。それらは最低賃金の肉体労働で、昼夜関係なく働く必要がある。

舞台はアイルランドのダブリンだけれど、日本が舞台でも、それほど大きな違いはないだろう。

専業主婦だから、DV被害にあうのか。

それとも、妻を専業主婦にしたがるような夫だからDVをするのか。

それとも、大体の夫は妻を所有物だと思い、DVをするのか。

もういい加減、被害者ではなく、加害者の研究やインタビューをしたほうがよい。

なぜ、あなたの認知はそこまで歪んでしまっているのか、と。

そして、わたしが、自立を守りたい理由もそこにある。

自立とは、経済的な自立、精神的な自立とがあるが、どちらも重要である。

もちろん、夫が働いてくれて、妻が家事と子育てに専念できる環境は素晴らしい。

だが、それは夫が善良な人で、浮気もせず、暴力もふるわず、ある程度家計を妻に任せ、人権を尊重してくれたら、の話である。

共働きで家計(財布)を別にしているから、わたしたちは、どちらも独立した自由な夫婦だというパターンもある。

しかしながら、同一家計にしなければ、結婚するメリットなど、ほとんどない気がする。

家庭という檻の中で苦しんでいる人、それを口にはできず、Twitterやブログにしか吐き出せない孤独な人の地獄もわかる。

ただ、まあ、わたしたちは、独身だろうが、大家族だろうか、本質的には孤独なのだと思う。

孤独を感じる暇のないほど忙しい人だって、ふとしたとき、孤独を感じるのではないだろうか。

ネトウヨだって、新興宗教信者だって、ゲームオタクだって、スケボー少年だって、大坂なおみちゃんだって、ありとあらゆる人が孤独を抱えているではないか。

この映画の主人公のサンドラは、ずっと寂しそうで、折れないように、なんとか踏ん張ろうとしている。

その姿は、痛々しいけれど、気高い。

若い女の子に言いたいことは、大富豪のイケメンと結婚できるチャンスがあっても、自立できるように仕事を続けることだ。

もちろん、大体の仕事はクソで、職場は最悪なのだけれど、お金はあなたを守ってくれるよ、というのも一つの真理である。

お金は男と違って感情的にならないし、暴力もふるわないし、市場において交換価値がある。

とても役立つものである。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!