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#読書感想文 村上春樹(2020)『猫を棄てる 父親について語るとき』

村上春樹の『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んだ。2020年4月に文藝春秋より出版された本である。

妊娠した雌猫を棄てるため、父子で自転車に乗り、海辺に行く。二人が帰宅すると、棄ててきたはずの猫が自分たちより先に家に戻っていた、というどこか不思議でユーモラスな出来事から、本書は始まる。随筆とも自伝とも違う塩梅の、短い読み物だった。

子ども時代に感じていたことと現在が交錯しながら、父親の人生、父親が背負っていた戦争が中心に語られていく。息子に話した戦争は、父親の経験の一部に過ぎないが、少年の心には強く残る。村上春樹の小説にノモンハン事件が突然挿入されたりすることは、その記憶と無関係ではなかったのだろう。そういう意味で本書は、村上春樹の小説における二次大戦と中国を紐解き、答え合わせをするための一冊である。単純に、ある父子の物語であるとも言える。

戦争とは、被害者はもちろんのこと、加害者にも大きな傷を残す。アメリカの小説や映画には、ふらふら生きているおじさんが実はベトナム帰りだったという描写があったりする。そして、その人たちは多くを語らない。語れないのか、語ることで自分の傷が深くなるため回避されることもあるのだろう。

父親は戦争によって人生が変わってしまった人間の一人であり、戦後に生まれた著者は、一人息子として大きな期待を寄せられていた。父親からの秀才であれ、エリートになれ、という無言のプレッシャーは内面化され、今でもテストで何も書けずにじりじり時間が過ぎていくという悪夢を見るのだという(p.61-63)。

愛憎半ばのどろどろした家族の物語は割愛されている。一方でその関係性は、美化はされていないように感じた。このような父子の物語は無数にあるが、書かれたり、語られることは、あまりない。やはり、戦争に赴いた人間がそれを率直に語ること自体が難しいことなのかもしれないと思わされる。

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