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#映画感想文『インターステラー』(2014)

映画『インターステラー(原題:Interstellar)』(2014)を映画館のIMAXで観てきた。

監督・脚本はクリストファー・ノーラン。出演はマシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、マッド・デイモン、ティモシー・シャラメ。

2014年製作、169分、アメリカ映画。

2時間49分と長尺なので、大丈夫かしら、と心配していたが、それは単なる杞憂であった。

主人公クーパーを演じるマシュー・マコノヒーをきちんと観たのは、この映画が初めてかもしれない。

そして、今をときめくティモシー・シャラメの少年時代を目撃できてうれしかった。この伏し目がちな感じ、もしやティモシー? と思いつつ、エンドロールで確認できたときは、ガッツポーズしちゃったわ。

2014年公開なので、6年前ということになるが、まったく古さを感じない。というか、クリストファー・ノーランって、現代の映画監督で圧倒的な存在なのだと今更ながら認識させられた。

どこか高尚で小難しいことも、きちんとエンターテイメントにまとめられる。それも、こじんまりとした小市民的な手法ではなく、広がりや開放感を持たせたままで、小賢しさなどは微塵もない。これは、本当にすごいことだと思う。

そして、IMAXで観たことによって、さらに確信できたことがある。映画の破壊的な音は震動として、こちらが揺れているかのような錯覚を起こさせる。それが映画的な体験の愉悦なのだ。おそらく、ピアノの音色を大音量で聞き、その美しさにうっとりすることはあっても、興奮はしないと思う。何かが爆発したり、大気圏を突破したり、日常では決して遭遇することはない音、それらの創造された音こそが、映画的体験として記憶される。

『TENET』公開前なので、Amazon Primeでも、Prime会員ならノーラン作品を見放題なので、テレビで『インターステラー』を見直したところ、やはり緊張感は保てず、味噌汁すすりながら見てしまった。テレビの音は、印象に残らない。豪邸の地下にミニシアター作るより、映画館に行ったほうが絶対に楽しい。

父と娘の再会シーンでは、私もきちんと号泣したのだが、そこで娘のマーフが「救援を待っているブランド博士のところに行け」と父親を促す。そこで、観客の私も「あー! うっかりしてた。そうだ、アン・ハサウェイのこと、すっかり忘れてたわ。ごめんごめん」と思わず、心の中で謝ってしまった。きちんとケアするノーラン、すごい。

どこかのレビューで目にした「マット・デイモンの無駄遣い」にも、映画鑑賞後だと、爆笑できる。確かに無駄遣い。でも、ノーランなんだから、それぐらいの贅沢許されるでしょう、という感じ。

宇宙や時空、物理、重力のことはよくわからない。しかし、私たちは、あるとき、何かに導かれ、何かを手繰り寄せることができるのかもしれない。この映画では、クーパーが「誰が呼んだ? 俺たち自身が呼んだんだ」と気が付くシーンがある。これは、実存主義でもある。

この映画の父親と娘のやりとりを見ていたら、大好きな映画『オーロラの彼方へ(原題:Frequency)』を思い出した。

この映画では、時空が歪み、過去を変えることができる。父親と息子がアマチュア無線でやりとりをする。

そして、『パラサイト 半地下の家族』に続き、『インターステラー』でも、モールス信号、大活躍である。汎用性が高すぎる。今、勉強すべきは、モールス信号なのではないだろうか。


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