見出し画像

主人公と一緒にいると疲れる

わたしたちは、自分の人生の「主人公」である。それは間違いない。その主人公の中にはエネルギッシュさに欠ける人もいるし、ダウナーな人もいる(わたしのこと)。

その一方で、世の中には主人公然として、あたかも主人公であるかのようにふるまい行動する、元気で明るい人がいる。

主体的かつ周囲を巻き込む主人公ぶりは見事なものだ。周囲への働きかけも意図的であったり、無配慮であったり、ある意味ランダムなのだけれど、主人公なのだから、仕方がない。だから、主人公の関係者になると、モブキャラ風主人公のわたしは、主人公負けして、すごく疲れる。この疲労感って、わかる人にはわかると思うが、「主人公」に出会ったことのない人は、いまいち理解できないと思う。

主人公は自己肯定感のかたまりに見えるし、他人のことはよく覚えていないように感じる。そりゃ主人公なんだからあたりまえじゃん。

主人公は主人公であるがために、さまざまなことが免罪される。主人公であることによって、脳内はアドレナリンとドーパミンで満たされ、人を楽しませて、社会と世の中を動かし、ときに動かそうと試みる。基本、主人公なのだから、いろいろ許されるし、許されなくても当人はさほど気にしていない。

たとえば、イーロン・マスクはネットのこたつ記事を介して知る分にはそこそこ面白い人だが、毎日会って部下として仕事にすることになったら、それこそ本当の地獄だろう。

この記事を読んで、この人が言う「主人公」ってよくわからないな、と思ったそこのあなた! あなたはまごうことなき「主人公」である。

補足

主人公と自己中心的な人はちょっと違う。主人公は天上天下唯我独尊で、自己中心的な人は周囲から承認を得たい餓鬼である。しかしまあ、主人公が時折見せる絶望の深さにぎょっとすることもある。主人公は絶望を覆い隠そうと試みている人でもあるかもしれない。

わたしは絶望やあきらめを丸出しにした主人公なのでうざいかもしれないが、誰かを巻き込もうとかもまったく考えていない。自己完結型で、不可侵不介入が原則。そりゃ人生、ドラマチックにならんよね。まあ、ドラマはフィクションの中にだけあればいい。現実にドラマなんていらないとつくづく思う。そのような主人公は、主人公的な主人公が近くにいると、どうにもこうにも疲れてしまうので、接触しすぎないよう、気を付けたいと思っている。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!