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#映画感想文179『スペンサー ダイアナの決意』(2021)

映画『スペンサー ダイアナの決意(原題:Spencer)』を映画館で観てきた。

監督はパブロ・ラライン、主演はクリステン・スチュワート、2021年製作、117分、ドイツ・イギリス合作映画である。

タイトルのスペンサーとはダイアナ妃の旧姓である。

舞台はエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウス。奇しくも、ダイアナ妃の生家のある土地で、1991年のクリスマスのはじめから終わりまでが描かれる。(いわゆる、夫の実家への帰省の数日である)

しょっぱなから、ダイアナは護衛もなく自分で車を運転し、道に迷っている。遅刻しているにも関わらず、平気で寄り道をする。エリザベス女王より、到着が遅かったりする。苛立ちと焦燥感が、彼女にまとわりついている。ただ、エリザベス女王より遅れるのはまずいよな、と観客に思わせる。

そのあとも、ダイアナは着替えを渋ったり、晩餐会に遅れたり、参加しなかったり、食べなかったり、ということが続く。(これって、学校に行きたくない、職場に行きたくない、という人の行動と大差ないと思う)

自傷行為の妄想と現実、拒食症と暴飲暴食のシーンは、境目がよくわからず、ドキッとさせられた。

でも、わかるのだ。嫌いな人たちとの食事、嫌な職場でのご飯などは、まずくてまずくて仕方がない。吐きそう! というのも、わかる。どんなに豪華な食事でも、ぱさぱさで、砂を食べているような感覚。

もちろん、イギリス王室の伝統にうんざりしていたり、国民のおもちゃであることに我慢ならなかったり、夫の浮気に絶望していたり、といろんなことが重なり、彼女は追いつめられていた。「ここにいたくない!」という魂の叫びが全身から噴き出す。

で、これって、既視感があるのだ。行きたくなかった高校の教室、超絶つまらない仕事、意地悪な同僚がいる職場などは、行くだけで、ひと苦労。(というか起床するのも超ハード)到着後も、「早く帰りたい!」「一刻も早くここから去りたい」となってしまう。登校や出社ができなくなると「適応障害」という診断名が付くのだと思うが、それは我慢の容量が多いか少ないかの程度問題という気がする。わたしが「適応障害」と診断を受けていないのは、我慢をして、我慢の限界に達する前に、仕事を辞めていたからなのだと思う。高校の場合は、時間が過ぎるのをひたすら待った、という記憶がある。(本当はほかの高校に転校したかったが、その勇気がないのと、手続きが面倒だった)

しかし、「結婚」には、契約期間もなければ、卒業もない。いつまで我慢を続ければいい? 死ぬまで? と考えてしまうのも無理はない。出社拒否、登校拒否とは次元の違う過酷さである。ただ、脳が壊死しているような、終わりのない物事に対する絶望感は、一般庶民の我々とそう大きく違わないのではないだろうか。

エリザベス女王も、チャールズ皇太子も、役割を演じること、役割を果たすことを受け容れている。疑問を抱いたり、葛藤を抱えた時期などは、とうに過ぎており、泰然自若としている。ダイアナがつらいことも、わからなくはないのだが、「ちゃんと仕事してほしいな」という感じが態度に滲み出ており、それがダイアナをさらに苛立たせる。

そして、母親(ダイアナ)の苦しみと狂気に、息子のウィリアムズ王子とヘンリー王子が気付いている、わかりながら、気遣う姿は痛々しい。彼らは王室で育っているため、王室で生きることを自明のものとして受容しているものの、母親が抱えるつらさは理解できているのだ。

ダイアナは、自分でいられない、自分らしくいられない場所から「逃げる」ことを選ぶ。それは「生きる」ための選択だったのだから、仕方がない。

この作品は、プリンセスでなくとも、登校拒否、出社拒否、家庭から逃げた(逃げたい)経験のある人は、彼女の気持ちが痛いほどわかると思う。

終盤の衣装係のマギーの告白には心が温まった。

彼女の結婚期間は15年で、離婚後1年足らずで、しかも36歳で亡くなっている。彼女の死は、イギリス王室の陰謀論とか闇だと騒がれた。これから妊娠・出産されては困るからダイアナは消されたのだとか日本のワイドショーや都市伝説番組では囁かれていたと思う。実際は、どうなのかはわからないが、彼女が不運な人であったことは間違いない。王室人気を爆上げした功労者であるにも関わらず、いや、だからこそ、王室に馴染めなかったというのが現実ではないか。

だから、ウィリアムズ王子とヘンリー王子の結婚相手選びは、圧倒的に正しかったのだと思う。目立ちたがり屋で注目を浴びるのが好きで、「ロイヤルファミリーになりたい!」とミーハーに考えられる女性でないとやっていけない。貴族ではあるものの、良くも悪くも、ダイアナは「普通の感覚」を持っていた人なのだ。でも、だからこそ、人気者になったのだとも考えられ、王室的なるものと相反するものがあったから魅力的だったのだろう。彼女は本当に王室と庶民(国民)のあいだにある架け橋で、その重圧は誰も体験したことがない、想像を絶するものだったと思われる。

子どもの頃、テレビでダイアナ妃を見ていたときは、なんだかよくわからないけれど人気のある人だと思って見ていたのだが、今は全然違う人に見えている。

ダイアナ妃のドキュメンタリーやほかの作品も、これを機に見たいなと思っている。

ちなみに、この映画のヘアメイクを担当されているのは吉原若菜さんで、エンディングに大きく名前が出てきてうれしくなった。

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