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#映画感想文323『悪は存在しない』(2023)

映画『悪は存在しない』(2023)を映画館で観てきた。

監督・脚本は濱口竜介、出演は大美賀均、西川玲。

2023年製作、106分、日本映画。

田舎にグランピング施設を作ろうと、東京から芸能プロダクションがやってくる。彼らが住民説明会を開くところから、村がざわつき始める。コロナの補助金狙いで始めただけの素人だと村の人々は気付いている。

芸能プロダクションと村の人たちの住民説明会は、すごくリアリティがあった。芸能事務所の薄っぺらな感じ。社長とコンサルを連れてこないと話にならないと憤る村人。フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画『ボストン市庁舎』と似たような雰囲気すらあった。浄化槽の位置だけで、あれだけ緊迫するのは、水が人間の生活と自然にいかに重要か、ということを示している。

村の住民の視点から、都会の芸能プロダクションで働く二人の視点に切り替わる。彼らがやるせない気持ちで仕事をしていることが、車中でのやりとりによって明らかになる。彼らも、葛藤を抱えた小市民的な人物の側面を見せていく。

村の住民である巧という人物は、無表情でキャラクターがつかめないが、薪割をして、水汲みをして、自然の分け前をもらって暮らしている人物である。村や自然のことを理解しており、案内人であると同時に、その土地の一部でもある。彼の妻の不在は写真で二度も説明されるが、彼や娘がその不在を語ることはなかった。

芸能プロダクションの二人が巧を説得しようと、村にやってくる。その二人の相手をしていたら、巧は娘の花のお迎えに遅れてしまう。(ただ、巧が遅れるのは毎度のことで今回に限ったことではない)

娘を捜索する車の中での会話は、ちぐはぐでとてもよかった。

建設予定のグランピング場は、鹿の通り道。野生の鹿は怖がりだから、人間を襲うことはない。

鹿と触れ合えるなんていいじゃないですか、と暢気に都会の人間は言う。

野生の鹿はどんな菌を保有しているかわからない。触れ合うなんてありえない、と巧は述べる。都会の人間の無知が冷静に指摘される。

鹿が人間を襲うのはどんなときなのか。手負いの鹿は何をするかわからない、と巧は言う。そこから、急展開するのだが、案外、違和感はなかった。

濱口監督のカメラワークは不思議だ。どこかに連れていかれるような感覚がある。強引さはないが、どこかに引っ張られていく。前作の『ドライブ・マイ・カー』では車が動いているせいだと思っていたが、それだけが理由ではなかったようだ。

悪意はない。そして、誰かを悪だと決めつけることもできない。コロナの補助金で食べていけるなら、それを選択するのは当然のこと。しかし、それに付き合って、村の生活が壊されることは我慢ならない。それも当然の反応だ。人間に撃たれた鹿が人間を襲うのも、また当然ではないか。

本作はロケ地とカメラワーク、濱口作品特有の棒読みが絶妙なバランスであったように思う。台詞が棒読みだと感情が取り除かれ、余白が生まれる。その余白の使い道は観客に委ねられているようでもある。

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