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映画『1秒先の彼女』(2020)の感想

映画『1秒先の彼女』を映画館で観てきたのだが、すっかりレビューを書くのを忘れていた。

監督・脚本はチェン・ユーシュンで、台湾映画である。原題は『消失的情人節 My Missing Valentine』である。

原題を見ればわかる。この映画では、主人公のシャオチーのバレンタインデーが失われるのだが、その原因を探る彼女の冒険が描かれていく。

映画のテンポはよく、主人公のシャオチーはかわいい。

しかし、わたしは、この映画の影の主人公は、シャオチーのお父さんである、と思っている。お父さんは、ある日、何も言わず失踪してしまう。家族から去り、世捨て人のように生きている。社会の流れと時間が合わない人の代表として描かれているのだが、共感してしまった。(わたしはむしろ過剰適応して急ぎ過ぎてしまう)お父さんは時間の貯金ができており、時間が余っていた人で、娘のシャオチーは時間を使い過ぎている没収される側で、対照的な親子として描かれている。

現代は情報過多で、いつも忙しなく、労働者として求められる能力の要求水準も高く、グローバリゼーションのなかで経済はより複雑になり、幾重にも搾取構造があり、人々の往来が頻繁過ぎて気候変動はどんどん悪化し、パンデミックさえ起こる。(昨今は、その狂乱に慣れてしまっているような気もする)

なにもかもが、どうしようもなく嫌になり、社会からおりる、という感覚はわかる。この世に救いはないのだし、これ以上は頑張れません、という静かな抵抗運動である。

生産性と成果が求められる。しかし、それって、本当に社会や人間に必要な仕事なの、という疑問もある。要らない仕事が要らない仕事を生んでいるのではなかろうか、という疑義すら挟ませない乱暴さが現代にはある。

恋も、仕事も、ゆっくりできない。すべてがスピード勝負、タイミング勝負。逡巡したり、考えたりする時間すら、もらえない。

ああ、もう何もかもが面倒くさい。競争とかさせないでよ。

そのような厭世的な気分になってしまったお父さんの気持ちが、なぜだかよくわかる。

わたしは「時間を無駄にした」と考えて自己嫌悪に陥る悪習慣をやめたい。わたしの時間は、わたしに与えられた命で、わたしが自由に使ってよいものだ。もう昼寝を悔やまない。ただ、だらだらスマホは精神を蝕むのでやめる。

タイムリープとは、また別の「時間」を題材にした映画で、その世界観にも癒された。おすすめです。





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