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#映画感想文306『テルマ&ルイーズ』(1991)

映画『テルマ&ルイーズ(原題:Thelma & Louise)』(1991)の4Kリマスター版を映画館で観てきた。

監督はリドリー・スコット、脚本はカーリー・クーリ、出演はスーザン・サランドン、ジーナ・デイビス、ハーベイ・カイテル、マイケル・マドセン、ブラッド・ピット。

1991年製作、129分、アメリカ映画。

ルイーズ(スーザン・サランドン)は、ダイナーのウェイトレスとして、煙草をふかし、同僚や客に軽口を叩きながら働いている。ダイナーの店長が離婚することになり、近いうちに別荘が奥さんのものになってしまうので、今のうちに使ってほしい、と従業員に話しており、ルイーズはその話に乗ることにする。専業主婦のテルマ(ジーナ・デイビス)を誘って、1966年型フォードのサンダーバードで旅に出る計画を立てている。

ルイーズから旅行に誘われたテルマは夫に「旅行に行きたい」と相談することすらできずにいる。結局、黙って旅に出る。夫は抑圧的で、不倫までしており、話し合うことすらままならない。日々のフラストレーションを抱えているテルマは、道中、羽目を外そうとはしゃいでいる。そんな中、バーに入り、テルマはハーランという男に口説かれ、酒をおごられ、ガンガン飲んでしまう。チークダンスを踊っていると気分が悪くなる。ハーランに外の空気に当たれば気分も良くなると言われ、二人で外に出ると、ハーランの態度が一変。彼女は殴られ、レイプされそうになる。そこにルイーズが駆けつけ、間一髪、レイプは未遂で終わるのだが、ハーランの捨て台詞にキレてしまったルイーズが銃殺をしてしまう。

(バーの名前はシルバーバレット、銀の弾丸。親切に字幕で犯行が予告されていたことを知る)

人殺しになったのはルイーズで、二人はその事実に狼狽する。テルマは混乱の最中にいるが、ルイーズは冷静に状況を分析していた。「警察に行こう」と言うテルマに対して、「一晩中、チークダンスしていた男にレイプされたと言って誰がレイプだと信じるのか」とルイーズは反論する。ルイーズがなぜそこまで冷静に考えられたのか。それは彼女がレイプ被害者だったからで、それが徐々に明らかになっていく。

終盤、テルマが「レイプされたことがあるのではないか」とルイーズに質問をすると、彼女は烈火の如く怒り出す。「二度とその話題を口にするな」とテルマを怒鳴りつける。語らないことで、すべて語っており、見事な描写だなと感心した。(今時の日本映画って予告編すらも、全部、説明台詞なのだが、何とかならないものだろうか)

気ままな女二人旅が、殺人の指名手配犯の逃亡劇へと変貌する。途中で、ヒッチハイクをしているJ.D.(ブラッド・ピット)と名乗る青年を拾ってしまう。テルマは人懐っこく、オープンで、軽率である。ルイーズが逃亡のお金を届けに来てくれた恋人のジミーの部屋にいるあいだに、J.D.と寝てしまう。ジミーが運んできてくれたお金を預かっていたのは、テルマだったのだが、その金は見事に盗まれてしまう。ただ、テルマはJ.D.から強盗の手ほどきもあわせて受けていた。

お金がなくなってしまい売春でもするのかとルイーズが泣きわめくと、テルマは大胆にも店の強盗をやってのけて金策をする。これでテルマも犯罪者となった。やけくそである。

ルイーズはトイレ休憩で立ち寄った砂漠で、貧しそうな老人に、指輪などの貴金属をすべて渡す。ここで逃げ延びられるとは思っていないのか、と観客に予感を与える。

その後、道中で何度も遭遇する女性蔑視発言を繰り返す、重油トレーラーの運転手の男性にブチ切れて、タイヤを銃で撃ちぬいて、トレーラーを爆発させたりする。それは家父長制の抑圧と性暴力にさらされてきた二人の怒りが爆発しているかのようなシーンでもあった。

警察に追い込まれた二人は死を覚悟して、「やっと、自分になれた」と笑顔で叫び、熱いキスと抱擁をかわす。そして、ルイーズが車のアクセルを踏んで、物語は終わる。

テレビの吹替版で観たときは全然気が付かなったことがある

それはバーのウェイトレスとハルという警官の「善性」である。テルマをレイプしようとしていたハーランが殺され、ウェイトレスは「ハーランは殺されて当然の男である」と述べたうえで、「あの二人が殺すなんて考えられない。酒場でいろんな人間を見てきて人を見る目は肥えている。あの二人は犯人ではない」とハルに強く言う。ルイーズが彼女に多めにチップを払ってくれた金払いのいい客だったのだとしても、それだけでは庇う理由にはならないだろう。ウェイトレスは以前にもハーランの悪事と被害者を知っており、二人が抵抗の末、ハーランを殺してしまったのだと直観して、二人をかばったのではないか。潔白だと信じていたのではなく、察しのいいウェイトレスの同情と共感ゆえの行動なのだ。

ウェイトレスの話を聞いた刑事のハルはその話を真に受けたりはしない。むしろ、二人の犯行であると確信を深めたに違いない。そして、性犯罪であることはわかっていた。被害者である被疑者をどうすべきか、ハルは頭を悩ませる。そして、二人を救おうと説得を試みる。それは、家父長制度に胡坐をかいて性暴力を働くだけが男ではない、と言っているようにも見える。男性の父性と善性を描きたいという狙いのようにも思われた。世の中はそこまでクソじゃない、と。

その役割は、ルイーズの恋人であるジミーも担っていたと思われる。

本作は、ロードムービーで、銃撃、爆発、カーチェイスまであり、映画的な要素も満載であった。

ほかの見所は、若き日の、27歳のブラッド・ピットが、J.D.という「ザ・色男」の役で出演しているところだろう。声があまりにも高く驚いた。声がキンキンで、どこかまだ子どもっぽさがある。「おまえの女房をいかせたぜ」とテルマのモラハラ旦那に軽口を叩くシーンがあるのだが、ブラッド・ピットがハリウッドで成功するきっかけとなった象徴的なシーンでもあったと思う。

この作品で、フェミニズムやシスターフッドが可視化されたという側面もある。思想ではなくて、物語の方がずっと伝わりやすくなる、という好例だと思われる。


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