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何の思い入れもない職場を退職する

退職まで、あと1週間となった。

8年勤めた職場は愛憎半ばといった退職で、はらわたが煮えくり返り、互いに殺意に満ち満ちていたが、今の職場には何も感じていない。勤務期間もたった6か月なので、大学時代のアルバイトを辞めるときの感覚とそんなに変わらない。そのせいか、出勤もそれほど憂鬱ではない。早く終わってほしい、とは思うが、時間はそれなりの速さで過ぎていくので今に終わるだろう。

責任のない仕事は、パワーのない仕事で、パワーのない仕事は、とてもつまらない。疲弊することもないが、喜びもなく、未来への展望もなく、ただただ時間だけが過ぎていった。

年下の同僚男性は、国立大卒の高学歴なのだが、「ここは○○なので△△である必要はない」「うちは特殊なのでマニュアルなどは作れない」「今は□□な時期なのでどうしようもない」などとよく口にしていた。よく言えば穏健派、悪く言えば現状追認(現状肯定)派で、何も変えようとしない若者で、そのことに大変驚いた。定年前の管理職じゃないんだから、勘弁してよ、という感じ。現状維持って思考停止と紙一重である。

何かを変えるためには、現状の三倍は働かなければならず、そのことは自明であり、「無理はしない」ということなのだろう。彼との雑談から、体が弱く、病気がちで、小学校や中学校でイジメられた経験があるようだった。ああ、そういう経験があると、自分が傷つかない環境が一番大事で、保守的になってしまうのだな、と妙に納得してしまった。業務上の挑戦もない代わりに、大胆で野蛮な人もいない職場は平和だ。この平和がずっと続けばいいが、いつかは破綻するのではないか。ただ、人が何を優先するかは、育った環境の影響を強く受けるのだな、という当たり前のことを再認識させられた。自分の身の安全が一番大事だという人が居心地がいい職場なのだとしたら、それほど悪い環境ではなかったのかもしれない。

また、それだけでなく成長や進歩を信じられない、それらを薄ら寒い考えだと思っている若者(1990年代以降に生まれた人を指している)は意外と多いのかもしれない。トライアル&エラーを疎んで、省エネに走るのも無理はない。この薄給で、これ以上頑張りたくない、という気持ちは当然だ。

ただ、そういうエネルギーのない若者って、もはや老害チックですらあるとも思う。いや、このような評価をしてしまうわたしのほうが老害っぽいか(笑)

この職場で学んだことは、自分の居場所は探してもいい、6か月で見切りをつけたところで問題ない、ということだ。退職を申し出たあとも、管理職の頓珍漢で的外れな行動は続き、心底、退職届を出しておいてよかったと何度も思った。

それに社長の指針がなく、トップダウンではないベンチャーって、グズグズである。それでも何とかなっているのだから、営業や会社の仕組み自体は素晴らしいのだろう。しかし、それは残って働きたくなる理由にはまったくならない。

収入のためだけに我慢する必要はないと改めて思う。合わないと思えばすぐに動いたほうがいい。わたしは現職の経験は十年近くあり、新たに学んだことは皆無で、管理職はわたしより無能で現場の惨状を目の当たりにしているはずなのに「変化は必要ない」と考えていた。事なかれ主義で、すべてが事後対応。いずれ大事故が起きても不思議ではないが、五十代後半、還暦を過ぎた彼らは逃げ切れるという算段なのかもしれない。

一部上場の大企業に勤め、大した仕事をしていないのに1,000万円近くもらっている、という実感のある人は、安易な転職活動は避けたほうがいい。それほどもらっていない人は動けるうちに動いたほうがいい。どうせ給与が低いなら、楽しい仕事をしたほうがよい。心の健康のためにも。

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