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ジュンパ・ラヒリ(2019)『わたしのいるところ』の読書感想文

ジュンパ・ラヒリの『わたしのいるところ』を読んだ。2019年に新潮社より出版された本である。

ジュンパ・ラヒリは1967年生まれ、2015年からプリンストン大学で創作を教えているのだという。

この本はイタリア語で書かれたものの翻訳である。第二言語で書いたものが出版されるというのは、やはりすごいことである。

といっても、ラヒリの母語はベンガル語と英語だから、マルチリンガルであることは、それほど不思議なことではないだろう。

わたしはデビュー短編集である『停電の夜に』を読んで、打ちのめされたことを覚えている。こんなに素晴らしい小説が生まれるアメリカ文学の偉大さにも、驚嘆した。移民やその二世、三世がアメリ文学の厚みであり、多様性が強みでもある。しかし、彼らは文化の多様性のために存在しているわけではないので、そこを履き違えてはならない。

『わたしのいるところ』のテーマは、「孤独」である。

45歳の女性、独身の日々のこと、昔の記憶、隣人たちが、場面で描かれていく。ストーリーはなく、いくつもの散文によって構成されている。だから、どこから読んでも問題がない。

孤独でいることがわたしの仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも、それを完璧に実行しようとし、それに慣れているはずなのに落胆させられる。
p.32 『わたしのいるところ』

そうそう、孤独に暮らすことは、一つの規律なのだ。他人を招かない人生を選んだこと、誰かと一緒に何かをしないことを決めた人生を生きるのは不安ばかりだ。しかし、荷は軽いので、気楽なものでもある。

レストランで見かけた父親と娘の不和、若さをまぶしく思うこと、無駄遣いをすることへの恐れなどが平易な言葉で描写されていく。

「孤独」に苦しんで自死を選ぶ人もいれば、生きるために「孤独」を選ぶ人もいる。そして、この二つは同じ人の中で、同時に存在することもありうる。対立する概念ではなくて、並行して存在するものだ。わたしは、その真ん中にいたいのだけれど、どちらかに揺れているというのが正直なところだ。

イタリアには独特の物悲しさがある。映画の『道』や『自転車泥棒』は、フランス映画とは、やはり違う。ラヒリがイタリア語を選んだ理由についてはよく知らないのだが、明るさの裏にある、固有の暗さに惹かれたのかもしれない。




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