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#映画感想文314『海がきこえる』(1993)

映画『海がきこえる』(1993)を映画館で観てきた。

監督は望月智充、脚本は中村香、原作は氷室冴子。スタジオジブリ制作のアニメーション映画。

1993年製作、72分、日本映画。

舞台は1990年前後の高知県の高知市の高校。高校2年生の8月に転校生として、武藤里伽子がやってくるところから始まる。今も昔も義務教育ではない高校の転校生というのはめずらしい。彼女は東京からやってきており、土佐の人たちとは雰囲気がちょっと違う。男子は羨望のまなざしを向け、女子は馴染もうとしない里伽子に反発を覚える。里伽子は媚びたり下手に出ることもなく、気の強い女の子で、周囲に合わせようとはしない。そこが思春期の頑なさであり、東京出身者の変なプライドであると思う。

里伽子に一目ぼれした松野豊と、その友人の杜崎拓の三角関係の物語は、漱石の『こころ』のような展開になったら嫌だなと思って見ていたが、そうはらなかった。

彼女は自己主張をするし、わがままも言う。その背景には、両親の離婚に傷ついた少女がいる。父親の不倫に大騒ぎして故郷の土佐に戻った母親を大袈裟だと揶揄していたのに、父親がすでに不倫相手と暮らしていることに失望を覚える。心理的に不安定で、杜崎拓には八つ当たりしたり、彼のことはぞんざいに扱ったりする。それは、「甘え」である。

里伽子のすごいところは、自分が甘えたい相手、多少甘やかしてくれる男の子をきちんと選べた点にある。

松野豊は自分に幻想を抱いており、甘えられる相手ではないと直観的にわかっていたのだろう。里伽子は修学旅行でお金を借りるのも、東京旅行の同伴者にも杜崎拓を選んでいた。杜崎はいつのまにやら、尽くす側にさせられているが、悪い気はしない。その塩梅も絶妙だ。

この映画の公開はバブルは崩壊直後であり、当時の経済的な豊かさを垣間見ることもできる。なんとなくなのだが、「余裕」が漂っている。そして、土佐弁を堪能するための作品でもあった。久々に映画を観て、旅行してみたいな、と思った。高知で土佐弁をぜひ聞いてみたい。


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