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わたしが夢見る贅沢

わたしはお金持ちになりたかった。何かを買いたかったわけではなく、貧困に陥る不安から逃れたかったのだと思う。ただ、そういう人間はお金に好かれない。お金はさびしがりやなのだから、もっと大きな財布に飛び込んでいく。

貧困への不安が消えたわけではないのだが、今、生活の中で取り入れたい、小さな贅沢が二つある。

まず一つは旬のフルーツを気兼ねなく買って食べること。値段を見ずに買える人間になりたい。昨今、それがなかなか難しい。ぎょっとするような値段であることが増えてきた。みかんやりんご、梨、ぶどうがテーブルの上に置いてあったら、それだけで結構幸せだと思う。令和の時代、果物がどんどん遠ざかっていく。農家のみなさんもコストをかけて栽培しているので、真っ当な価格であることはわかっているのだけれど、高い。高くないのだけれど、高いのが果物だと思う。

もう一つは、花を買うこと。花屋さんで適当に好きな花をピックアップして花束を作ってみたいが、あれも相当厳しい。フルーツと同じぐらい高い。しかし、部屋で作業をするのなら、noteを書くのなら、花瓶を机に置いて、一輪ぐらい活けても、罰は当たらないはず。無駄な買い物ではないとわかっているのに、どケチな性格なので、花より団子でここまで来てしまった。花を買うことぐらい自分に許可を出してもいいではないか。枯れてしまうことはわかっているのだけれど、花を飾りたい。それが文化的生活ってやつなのよ。

わたしがフォローしている文月路実さんは、先日、グランドピアノを購入したとnoteに書かれていた。

文月さんがピアノの演奏を再開して、ピアノに夢中になり、師事する先生を探し、引っ越しをして、グランドピアノを購入するに至るまで、あっという間の展開で、読者としては驚きつつも、うらやましかった。わたしも何かに夢中になって生きていたいのに、なかなかそれができない。

グランドピアノを買う勇気はないのだけれど、せめて花ぐらい買う生活がしたい。文化的に生きることは、それだけで喜びになるのだから、いいじゃない。

(書き終わって気付いたのだが、果物と花がほしいって、何だか入院患者のようである。まだまだ続くよ、コロナ後遺症)


チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!