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#映画感想文174『スティル・ウォーター』(2021)の感想

映画『スティル・ウォーター(原題:Stillwater)』をAmazon Primeの配信で観た。

監督・脚本はトム・マッカーシー、主演はマット・デイモン、2021年製作、139分、アメリカ映画である。

いやはや、驚いた。インテリのマット・デイモンがオクラホマ州の片田舎のスティルウォーターに住む肉体労働者を演じている。保守のトランプ支持者が多く住むような地域の、アメリカで見捨てられたと感じているような人々の一人を何の違和感もなく演じている。キャップを被って、太ってヒゲを生やせば、普通のおじさんになれてしまうのは、マット・デイモンの強みであるのかもしれない。

冒頭、主人公のビル・ベイカー(マット・デイモン)はハリケーンで破壊された家の片付けをしている。学歴もなく、現場作業員として、不安定ながらも、黙って働き続けている人は少なからずいる。彼の妻は自死している。一人娘のアリソンはマルセイユに留学していたのだが、ルームメイトの恋人を殺したという容疑で、今は刑務所に入っている。娘は無罪を訴えており、ビルは何とか娘を助け出そうとフランス語がわからないながら、マルセイユに何度も渡航している。

アメリカ人のパスポート保有率は三割に過ぎず、頻繁に海外に出かける人はごく少数なのである。(調べてみたら、ワースト1位は日本で、23%だった)バイブルベルトに住んでいる人は、一生アメリカの外に出ない人がマジョリティの地域である。だからこそ、ビルとアリソンはこの地域においては特異な存在なのだ。

アメリカの田舎者であるビル・ベイカー(マット・デイモン)が外国人としてマルセイユの人々と対峙するところが、とてもよい。はじめのうちはフランス語もろくに学ばず、理解できない世界で、他人の力を借りつつ、前に進もうとする。ビルのサポートをしてくれるシングルマザーの英語は、明らかにノンネイティブで、言い回しが単純で、物言いがストレートである。そうそう、外国語を使うときって、失礼な表現を平気で使ってしまったりする。でも、フランスにおいて英語はマジョリティの言語ではないし、労働者階級のビルは失礼な表現かどうかなんてことは気にしない。本質的なコミュニケーションって、こういうものだと思う。

そして、自分の娘とは向き合えずにいたビルが、シングルマザーの娘のマヤの世話をすることで、父親の役割をやり直そうとする様子は、人間が変われる、という描写でもあり、とても微笑ましかった。

しかし、ビルにとって一番大事なのは、一人娘のアリソンなのである。本能的な愛情で、そこに理屈はない。

最後のシーンがとても印象的だった。ビル・ベイカーは自宅のデッキチェアに腰を掛け、見慣れているはずのスティルウォーターの風景を眺めてこう言う。

「何もかもが変わってしまった。すべてが違って見える」

ビルは文字通り外国に行き、働き、長い旅をしてきた。人と関わり、身近な人の知らない顔を知ることによって、彼は以前とは違う人間になった。この変化に対して思うことは、人によって全然違うのではないだろうか。とてもよい映画だった。

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