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川上弘美(2003)『ニシノユキヒコの恋と冒険』の感想

川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』を新潮文庫で読んだ。単行本が2003年に出版され、2006年に文庫化されている。

読了して、まず思ったことは、なぜわたしの人生にニシノユキヒコは現れないのだろう、ということであった。

ニシノくんは、色男である。川上弘美は、現代の光源氏として、『源氏物語』の翻案として、『ニシノユキヒコの恋と冒険』を創造したのだと思われる。

十人の女性の目を通して、読者はニシノユキヒコを知っていく。

若き日のニシノくんを愛した女たちから見たニシノくんは輝いている。

一方、『ぶどう』に登場する若い女の子の愛ちゃん(九人目の女性)にとって、ニシノくんは"西野さん"に過ぎない。疲れた中年おじさんで、避妊もしてくれない、困った人である。愛ちゃんは、西野さんを愛してもいないし、一緒に死にたいとも思わない。愛ちゃんから見たニシノくんは全然素敵じゃない。ここで、読者は、冷や水をかけられたような気分になる。それは、美少年だった光源氏が、ただのセクハラオヤジに成り下がり、妻には浮気をされ、雲隠れをする流れと酷似しているではないか。

ニシノユキヒコは遊び人である。それと同時に、女性たちも、遊び人で残酷であったと思う。

この物語に登場する女性たちは、一見ニシノユキヒコに翻弄されているようで、実のところ、ガードが堅い。彼に遊ばれているようで、決して遊ばれてはいない。細心の注意を払い、予防線を張っている。

生きていけなくなるような恋の傷を負わないように、と。それは、つまるところ、ニシノくんごときに傷つくわけにはいかない、というプライドでもある。

ニシノくんが愛しているようで愛していなかったのと同じで、女たちも、愛しているようで、愛してはいなかった。

「私の人生にはあなたが必要だ」と誰一人言わなかったのである。誰もニシノくんに愛を乞わなかった。誰も、捨て身で体当たりしてはくれなかった。そのさみしさを一番知っていたのは、ニシノくんだったのではないだろうか。

女たちはさみしかったから、ニシノくんで暇つぶしをしたというのも、一つの真実であろう。

ただ、ニシノくんと別れた女たちは、ニシノくんとの思い出にかすかな痛みを感じ続けている。ちょっと嘘つきで、信用ならないニシノくんだって、みんなに忘れ去られることまでは、望んでいないだろう。それが輝きを失ったニシノくんに対する川上弘美の優しさではないかと思う。その点、紫式部は光源氏に対して容赦なかったように思われる。(光源氏の桐壺の更衣に対する恋慕が、ニシノくんにとってはお姉さんに相当する)

いい人ではない色男に、人生で一度ぐらいだまされたい。どこに行けばニシノユキヒコに会えるのかしら、そう思わせてくれる小説だった。

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