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〖零れ話〗桜開花

「桜」というワードで懐古したのはきっと僕だけじゃない。ふと思い出したあの頃の出来事や心境が今、返り咲く__。

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やりたいことに夢中で怖いものなんてないに等しかった。そんな、まだまだ青くて痛かった頃の話。
ニュースでたまたま流れてきた「桜の開花時期」。もうすぐ桜咲くんか。そういや最近暖かい日が続いてて眠いんよなぁ。なんて思っていた。もう春休み。学校もないし久しぶりに出かけてみるか、と思い何の予定もなくただ近くの川沿いを散歩していた。まさに散歩日和という程に暖かくて心地良い風が吹く。少し先の川沿いには並木道があった。桜だ。蕾が明日には開きそうなほどたくさんの蕾が芽吹いていた。それを見た時、その時の自分はどうしても綺麗だと思えなかった。凄く自分が惨めに思えた。何も成し得ていない自分が恥ずかしいような気がした。急に現れ押し寄せてきた未来への不安。太く強く聳えている桜の木たちを目の前にして怖くなった。
その時ぼんやりと“桜の木って枯れたりしないんかな”と思っていた。そういえば放火犯はいるのに、何故か木に放火する人はいないんだよな、、と。
そもそも木を燃やしてやろうという考えに至らないんだろう。ましてや平和の象徴である「桜」を、なんて。日本人は桜を慈しみ愛でる人が多いイメージだし、花見は日本ならではの文化のような気がする。散っていく様が儚くて美しい、尊いと海外の友人も言っていた。

あの一瞬、確かに「全てがなくなってしまえばいい」と思っていた自分。散った後の花弁が道路に広がり、その上を何もなかったのように踏みつける人々。もう花弁が付いていない桜の木には見向きもしない。いつもそこにあるはずなのに。その光景を見る度「つくづく自己満足だ」と自分に対しても同様に思ってしまう。桜は咲いている短い間だけ、人気者。流行り廃りや旬ものと同じなのだ。ノスタルジーを感じるきっかけに過ぎない。出会いや別れを意識するきっかけ。自分にとってはあまり良い思い出ではない。青くて苦くて思い出。まだ終わってほしくないという気持ち。誰かに話してもすっきりできないんだろうと思っていた。

でもそんなある日。
その時話していた友人に何を思ったか、“桜の木がなくなってしまえばいい”と思ったことについて打ち明けてしまった。その時は“やべ、やってしまった”と思ったのだが、その友人はからっと笑って「面白いね」と言ってのけたのだ。正直“え、何言ってんだこの人”と思ったのだが(苦笑)。それでも馬鹿にした風でもなく、然程重大なことのようでもなく、ただただストンと受け入れてもらえたのが心地良かった。何を言われるかと構えていたのに拍子抜けした。自分にとってはそのくらいあっさりと聞き流してくれる程度で良かったのだ、“そっかそっか”と流してくれるくらいで。救われた気がした。自分の感性を否定せずにいられた瞬間だった。それは今の自分に繋がるきっかけでもあった。


これを読んでくれている貴方はどうだろう。今の僕自身はそこまで悪くないと思う。自分の感性を共有できなくても、そして誰かの感性に共感できなくても、「悪じゃない」と認められている自分がいる。それはきっときっかけをくれた人がいるから。自分から話すというきっかけを創ったから。そうした色々なきっかけが今の僕を形作っている。

もうすぐあの時期がやってくる。
今年も色んな思いを馳せながら、咲き零れる。


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