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「人を傷つけたくない」というエゴ


皆さんこんにちは、めいです。
暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

今回は、『「人を傷つけたくない」と言っておきながら、それってただのエゴじゃない?』と思った出来事についてお話しします。

私、人を傷つけないよう自分なりに日々気をつけて暮らしているんですが、

人を傷つけないことで、他人に「あなたって優しいね」と言われることがあり、

そこにずっと疑問を感じていたので、、、。

なんとなーく描き始めました、てへ。
適当に書いてるので、適当に読んでくださいっ。

1、それって優しさ? ~優しさって何なん~

見出しが藤井風のようになってしまいましたが、、、!(藤井風『優しさ』『何なんw』)

<<「優しさ」のライブ映像めちゃいいんで載っけときます。>>


人を傷つけることって、誰でもある、と私は思っています。
悪気なく失言してしまったり、同じ言葉でも相手に全く違う意味で伝わってしまったり。

悪気なく傷つけてしまうことは仕方のないことだとわかっていますが、

できるだけ人を傷つけたくない私は、

人を傷つける確率がある状況の時、
自分が我慢したり傷つく方を選びがち(だと勝手に思っているだけかもしれませんが)です。
逆に言えば、相手が傷つかないような手段を選ぶ、ということです。

そのため、

人を傷つけないように行動した(自分の中では当たり前だと思っている)出来事を友人に話すと、
「めいは優しいよね〜」と言われます。

<<でも、それって、相手のためを思ってとった行動というよりは、自分にメリットがあるからやってるだけのことじゃない?>>

そう疑問が湧いてきました。

「人を傷つけたくない」という気持ちの根底には、

「その人とその周囲の人たちに嫌われたくない」というエゴがあるのではないかと思います。

簡単に言えば、
「人を傷つけない」→「自分が”いい人間”扱いされる」→「周囲から嫌われることはない」
こういうことです。

これって結局、自分中心の考え方で、優しさじゃなくない??と思ってしまいます。

2、言葉の受け取り方は1億通り

でも、友人にこのことを話すと、

『「人を傷つけたくない」という気持ちの根底が自分のエゴだとしても、結果的にその人を傷つけていないんなら、別にそれでいいやん。』

と、言われました。

、、、、、確かに。

水源から出る水が泥水だとしても、小川や地下をくねくねと流れていって、
最終的に綺麗な水になればそれでいいのかも。

(谷川俊太郎さんみたいなこと言ってみた気になっている)


正解を求めても疲れるし、正解は1億通りあるのだろうし。

そこをうまくやっていくのが大人なのかなと思いました。
(もう22歳だけんさすがにそろそろ私も大人になりたいところ。)

3、人を傷つけたくないというエゴ


そう言えば、この前寮の友達が、
「どんなに可愛くて綺麗な子でも、容姿に関して言われて嫌だったことって絶対あるよね。」
と言っていました。

私は、22年間生きてきて、誰かの何気ない言葉に傷ついたり、自分の何気ない言葉で友人や家族を傷つけてしまったことは数えきれないほどあります。

それは著名人だって、俳優だって、偉大な経営者だって一緒。

みんなその中で生きていて、時には自分が傷つかないように、時には誰かを傷つけないように、言葉を交わしてる。
その繰り返しの先に在るのが、「人とのつながり」なんだと思う。
自分の周りにいる人を思い出すと、自慢しかない人たちばかりで、なんだか嬉しくなる。


熱海の帰りに寄った根府川駅

今回、最近私の周りで「自殺」という言葉を聞くことが不思議と多かったので、改めて人との関わり方を見直す時間になりました。

さんざん「エゴはダメだ」と言ってきたようですが、

自分のことを一番大事にしなきゃダメなので、最後の最後には自分を優先に守る選択をしてもいいんじゃないかな、と私は思います。

自分がいなくなってしまったら悲しむ人が必ずいるけんですね。

話は少し逸れてしまいましたが、みなさんは人と関わる中で気をつけていることはありますか?
コメントで教えてくださると嬉しいです!

ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回もお楽しみに〜


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