(画像大量)九州旅行しました
神戸に続く画像大量シリーズです。今回は二泊三日で九州に行きました。つまり、もっと画像大量です。しかもこのノートは旅行中に書いているのでテンション高めです。よろしくお願いします。
1日目:博多、百道浜、太宰府天満宮、天神等
福岡空港・博多へ
伊丹空港から飛行機で福岡空港へ。福岡は悪天候なので引き返す可能性ありとのことでちょっと心配でしたが、下降するときにかなり揺れたものの無事福岡に着陸できました。その後、地下鉄で博多駅へ向かいました。
ところで私はこの年まで実は飛行機に1人で乗ったことがなかったのです。しかも飛行機に乗ること自体も20年ぶりくらい? そのあたりの経験もつけようという目的の旅でもありました。手荷物預けるところでちょっともたついたけど、思いの外スムーズに行きました。空港職員さんに感謝。
福岡は土砂降りでしたが、最初の目的地へ向かう途中に止んできました。
百道浜(ももちはま)
第一の目的地、百道浜(ももちはま)。可愛い名前ですよね。
地下鉄西新駅からの道の途中に、「サザエさん通り」という道がありました。長谷川町子さんは百道浜を散歩中に『サザエさん』の構想を思いついたそうです。
季節柄ちょっと閑散としてましたが、ウォーターフロントの雰囲気だけで十分楽しめます。
ここに行きたかった理由は、敬愛するロックバンド・シドの『私は雨』という曲に登場するからです。作詞をしたボーカルのマオさんは福岡県久留米市出身です。
雨は止んでたのですが、実際浜風が気持ち良い場所でした。実際曲を聴きながら風景を眺めると、ちょっとわびしげだったのもこの曲の雰囲気には合っててかえってよかったかも。
太宰府天満宮
さて、次の場所へ。この辺から晴れてきました。
2箇所目、太宰府天満宮です。言わずとしれた天満宮の総本社のひとつ。私は京都在住なのでもう一つの総本社である北野天満宮にも行ったことがあり、これでどちらもお参りできました。
太宰府天満宮といえば有名なのが梅です。奉納された梅の木が境内にはたくさんありました。色も花の姿もいろいろ。
そして、一番有名なのがこの飛梅でしょう。
太宰府に流された主・菅原道真公を追って飛んできたと伝えられる飛梅。満開ではなかったのもあるかもしれませんが、小さく白い花が集まったその姿は慎ましやかな印象を受けました。奇しくも、私もこの日、京都から太宰府へと「飛んで」きたわけですが、決して近距離ではなく21世紀のテクノロジーを持ってしてもそれなりに疲れる旅路でした。可憐な飛梅には、見かけによらずタフな力が備わっていたのでしょうか。人も梅も見かけによらないのかもしれませんね。
資さんうどん
太宰府を後にすると、晩ご飯の時間。私が福岡に来たもう一つの大きな目的、それは「資さんうどん」でご飯を食べることでした。
資さんうどんは北九州を中心にチェーン展開しているうどん屋さんです。何かと話題になる藤井聡太棋士のお昼ご飯に選ばれたこともあるそうです。
私がこのお店の存在を知ったのは、クイズプレイヤー・東問さんのツイートでした。問さんは福岡に住んでいたことがあるそうです。地元民が愛する味、食べないわけにはいきませんよね。
ということで行ってきました。メニューが豊富で迷いますが……「幸せセット」なるものがあり、小サイズのうどん、小サイズの丼、ぼたもちがセットで880円。めっちゃお得じゃないですか。ということでこれにしました。うどんはもちろん東問さんおすすめのごぼ天かしわうどん。丼はタレカツ丼にしました。
小なりといえど炭水化物✕2なので結構なボリュームがあります。私はさほど大食いではありませんが、お腹が空いてたのでこれでピッタリでした。うどんの出汁は関西とは違い、鰹だしがけっこうきいている印象。タレカツ丼ってはじめて食べたけどご飯が進みますね。ぼたもちも甘すぎず米感があって好みの味でした。どれもおいしかった。問ちゃんマジ感謝!(元ネタ)
その時回りにいらしたお客さんについては、やたらニヤケ顔でうどんを食べる謎のアラサー女がいてすみませんでした……。
天神・中洲
夕食後少し時間があったので、地下鉄に乗って天神へ行きぶらぶら。この街も百道浜と同じく『私は雨』に登場します。
天神って名前の雰囲気からもっと猥雑な街のイメージがあったのですが、普通にファッション街&ビジネス街なんですね。中洲と合わせて、京都の祇園〜四条河原町〜四条烏丸や大阪の梅田・北新地を彷彿とさせました。
旧福岡県公会堂貴賓館や、辰野金吾氏設計による旧日本生命九州支店を見るなどしました。公会堂の前で家族連れに写真を撮ってほしいと頼まれたのですが、(英語で話しかけられましたが家族の会話を聞くに中国の方のようでした)お撮りしたら日本語で「ありがとうございました!」と丁寧にお礼を言っていただきほっこりしました。
その後はちょっと足を伸ばして中洲の歓楽街あたりまで行きました。行っただけですよ。知らない世界過ぎてなんだかいろいろ勉強になりました。お嬢さん方のドレスを売ってるお店があって単純にかわいかった。着るだけ着てみたい。あとネオンがビカビカしてる光景って京都では見られないので珍しく、レトロ感もありかなり好みです。屋台でなにか食べようと思ったの忘れてた。
1日目はそんな感じで終わりました。 九州弁で話す人だったり、ホークスのユニフォームを着てる人がいたりで福岡を感じました。 あと、最初に乗った地下鉄が「筑前前原」行きで、「ちくぜんまえばる」と読むのですが、原をはると読む九州らしい地名だなと思いました。あと春日原(かすがばる)という地名も発見しました。翌日の大分でもたくさん見たので改めて気になって調べたところ、韓国語の「バル(村の意味)」と関連があるのではないかなどの説があるようですが、はっきりしたことはわかりませんでした。
2日目 別府・門司港
別府
朝から特急にちりんシーガイアで大分県別府市へ。駅を出たすぐのところに温泉が湧いてました。さすが温泉の街です。
(血の池)地獄行きの(バスの)特等席だ!(ゴールデンカムイ)というわけで、最初はバスに乗って『地獄めぐり』へ。全部は回りきれませんでしたが、それぞれ特徴のある面白い温泉たちを見ることができて楽しかったです。地獄蒸しまんじゅうも食べました。驚くべきことに、温泉周辺では側溝の蓋の間から湯気が立ち上ってたりするのですね。地元の方は慣れっこなのでしょうが、なかなか衝撃的な光景でした。
その後はバスで別府駅に戻り、海の方へ。歩いてみてわかったのですが、東側にある海に向かって坂を降りていくような街でした。わくわくする地形ですね。
私が今回九州旅行に来た最大の目的が、別府を訪れることでした。部外者丸出しの発言をしていてなんですが、私は別府市生まれです。ただし、家族の仕事の関係で2歳で京都に転居し、そのまま四半世紀程が経っています。以来、一度も別府を訪ねたことはありませんでした。だから私の「出身地」は京都だと思っています。
ですが、元々父の出身地でもあり、ルーツともいえるその街を、私は長年片思いのように愛していました。自己紹介で出身を聞かれれば、できる限り「大分県生まれ、京都出身」としていました。覚えてもない街だけどね、とどこか申し訳無さを感じながら。いつか別府を訪ね、自信をもってそこが出生地だと言えるようになりたい。その願いをようやく叶えました。
滞在時間はそう長くなかったし、かつて住んでいた場所も訪ねましたがドラマのように記憶が蘇ることもありませんでした。別府の街が私を受け入れてくれたかどうかはよくわかりません。ですが、心地の良い街でした。私は今、自信をもって別府生まれだと言えます。
帰りに大分名物、とり天を買って食べました。衣はサクサク、お肉はジューシーでとってもおいしかったです。
これで私の「故郷旅」は終わりましたが、いつかまた必ず帰ってきたいと思っています。
門司港レトロ
電車を乗り継ぎ、本日最後の目的地、門司港へ。「門司港レトロ」と呼ばれる洋風建築の数々が建ち並ぶ一角が、現在夜になるとイルミネーションを行なっています。夜に見てみると、立派な洋館はどこかおそろしくも見えます(ゴシックホラーのイメージでしょうか)が、それ以上に幻想的です。港の夜景も綺麗ですし、フォトスポットも複数あります。デートにもいいかもしれません。ロマンティックな風景をバックに、一人で行ったのに架空の恋人に思わずプロポーズしてしまいそうになりました。
そんな冗談はともかく、3/17まで夜間イルミネーションをしているそうです。おすすめです!
3日目
唐津
最終日、佐賀県唐津市へ行きました。
まずは唐津城。今あるこちらの建物は1966年に再建されたものです。城主は寺沢広高。舞鶴城とも呼ばれているそうです。京都府民の私には舞鶴といえば京都府舞鶴市が連想され、また福岡にも同じ地名があります。それぞれに直接の関係はなく、その地のお城(唐津城も)が鶴が舞う形に似ているという意味で「舞鶴城」と呼ばれたのが由来とのこと。上毛かるたには「鶴舞う形の群馬県」の札がありますが、親しみのある横広がりなものには鶴っぽさを感じるのが日本らしい感性といえるかもしれません。
続いて旧高取家住宅、旧大島邸。前者は炭鉱を開発した高取伊好の、後者は唐津銀行の創業者である大島小太郎の邸宅だったところです。
そして最後が旧唐津銀行本店。現在は「辰野金吾記念館」として公開されています。唐津出身の辰野金吾が監修し、弟子の田中実が設計しました。初日に行った旧日本生命九州支店も設計した辰野金吾は、私の好きな建築家のひとりです。
彼といえば有名なのが東京駅の丸の内駅舎でしょう。今年発行される新紙幣にもその姿が使われることが館内に掲示してありました。
もちろんこの旧唐津銀行本店も辰野の他の建物と同じ特徴を備えているのですが、やはり弟子の設計ということで、他とは少し異なって見えました。館内の解説によると、当時の最新のデザインや材料が使われ、田中が意識的に若いエッセンスを与えたのではないかとのことでした。確かに、重厚ながらもどこか軽やかさ、新しさを感じました。
ということで、この後福岡空港に戻り、伊丹空港まで飛行機で飛んで全旅程終わり。短いながら充実した3日間になりました。それでもまだまだ九州の見たいところがたくさんあるので、また訪れるつもりです。 今度は南九州も行きたい!
おまけ
旅の途中に見つけたちょっとしたもの、かわいいものを紹介します。
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