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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑤

融資の話

 2005年は、期待も空しく廃業が決まった年になったが、この一年間も私にとっては波乱万丈の年だった。楽しい事や苦しい事も数多くあったが、それも私の運命だったと今では素直に受け止めている。
 日本では桜も散った4月中旬のある日、海南島では気温も上昇して暑い日々が続いていた。年明けから、何度も来店をされていた「五十嵐」さんと言う日本人の男性が、この日もホテルに来られた。彼には、以前このホテルの増築資金問題で話をした事があった。そして、外貨の送金で困っている事を気にかけて頂いていた。この日の彼は、思いもよらぬ事を言われて驚いた。
「実は、あなたのホテルが増築資金に困っていると伺ってから、その資金をお貸ししようと思っているのですが」
彼の言葉に、びっくりした私は直ぐ声が出なかった。以前、香港の株で信じられないほどの大金が入ってきたと、その時の彼はうれしそうな顔で言ったことがあった。私は、とても信じられなかったので、始めは半信半疑の気持で聞いていた。しかし、真剣な眼差しで融資の条件などを言われ、再び驚いた。
「本当でしょうか、もし融資をお願い出来るとしても、私が直ぐにご返事をする事が出来ません。社長にも相談をしてご返事させて頂きますのでよろしいでしょうか」
と、返事をした。彼も私の立場をご存知だったので、この日は納得をされて帰った。
「本当に融資をして下さるのだろうか、冗談だとは思えないし」と、事務所で暫く考えていた。もう一度、確認をしなければと思い電話を入れてみた。「先ほどは本当に有難いお話で感謝を致しております。ご融資の条件を社長や本社へ報告をしたいと思っていますので、宜しいでしょうか」
私自身、まだ信じられなかったので、遠まわしに尋ねてみた。すると、彼は「いいですよ、今日の話は本気ですから回答をお待ちしています」
と、簡単なに答えが返ってきた。やはり、この話は冗談ではなかったと思い、直ぐ報告書を作成して社長へファックスをした。次の日、社長から電話が掛かり、本社の役員会議で決定するとの事だった。社長も感謝の気持ちを伝えて欲しいと言われたので、増築資金については悩みがなくなるような気がした。
 数日後、本社の役員会議が開かれた。夜の8時頃、社長から電話が掛かってきた。
「五十嵐さんのご融資に甘えさせて頂こうと思っています。条件については同意しますからと、丁重にお伝え下さい」
この言葉を聞いてすぐに五十嵐さんに連絡をした。始めは副社長も融資の条件について渋っておられたようだったが、最終的には融資をお願いする事になった。五十嵐さんは融資の契約などで社長に会いたいと言われた。その事については社長も納得をされて、ゴールデンウイーク明けの5月9日に会談をする事になった。この数ヶ月間はずっとこのことで心を痛めていたので、急に気が抜けた思いだった。案の定、その日の夜から急に体調を崩してしまった私だった。「風でも引いてしまったのかしら」と思いながら、風邪薬を飲んで休む事にした。

体調不良

 明け方から再び高熱を出してしまった。朝、なかなか起きてこない私を心配して、馮さんが部屋へ来てくれた。
「お姉さん、具合でも悪いのですか?お粥を持ってきますから食べて下さいね」
彼女は熱のある私を見て、慌てて阿浪の所へ報告をした。阿浪も心配だったのだろう。部屋まで来てくれて
「病院へ行きましょう」
と言ってくれたのだが、私は動くのさえも辛かった。
「今日は休ませて下さいね。たぶん風邪を引いてしまったのでしょう。一日だけでも安静にしていたら治ると思いますから、貴方たちは心配しないで下さい」
と、言葉を掛けた。しかし、身体がだるくて話もしたくない状態だった。何度も馮さんが部屋まで来てくれていたそうだが、気付かないほど熟睡していた。熱が上がったり下がったりしていたので、シャワーを迷ったのだが、一日中寝たきりだったので馮さんとシャワー室へ向かった。体もサッパリして元気が出てきたので、2時間ほど事務所で仕事をする事にした。しかし、身体が冷えてきたのか、急に咳が出始めてしまい部屋へ戻るとすぐに、また高熱が出てしまった。
 この状態が数日間続き、5月のゴールデンウイーク中も我慢をしながら仕事をしていた。薬を飲んでいれば何とか治ると思っていたのが甘かったようだった。起床後に首が痛くなり、身支度をするのにも大変な状態になった。この日は夜の7時半頃、心配のあまり社長に相談をしてみた。
「診察をしていないから何とも言えませんが、温泉へ入り首を軽くマッサージをしてみたら」
と言われたので、露天風呂へと急いだ。馮さんにマッサージをしてもらって、露天風呂に入っている時は心地良くて首の痛さも忘れていた。
「きっと、今までの疲れが出てしまっただけだね」
馮さんに言われて、私自身もそう思った。その夜は気分的にも楽になり、少し早めに寝る事にした。ところが、次の朝から首が全く動かなくなってしまったのだった。
「どうしてなんだろう。あんなにも気分が楽になって眠れたのに・・・」不安になってきたが、忙しさのあまり痛み止めを飲んだりして我慢をしていた。咳もひどくなり、首は思うように動かない。腹立たしくなってきて、悔しくて涙が出てきてしまった。こんな事になるなどと夢にも思っていなかった。不安が脳裏を駆け巡っていた。日本の薬も効かなくなっていたようだが、現地の病院へ行く気はしなかった。現地の病院は、設備や衛生も良くないし、以前のように注射で意識不明になってしまったら大変だと思った。我慢をしながらも、仕事の事を考えていた。五十嵐さんと社長の会談は、広州市のホテルに決まっていたので、手配などに追われていた。私の体調は、かなり限界まで来ていたので、そのことを社長に報告をした。しかし、とても大切な会談なので、私のせいで中止する事は出来ない。我慢するしかないと思って、何とか元気を取り戻そうと必死だった。
 とうとう、その大切な日が来てしまった。広州の空港で社長を出迎え、そのままホテルへと向かった。五十嵐さんは一足早く来られていたが、用があるとの事で直ぐ会うことも出来なかった。五十嵐さんが来て、融資の話は順調に終わった。4人で夕食を共にして会話に花が咲いていた。次の朝、五十嵐さんは香港へと行かれる予定だったので、社長と私で見送りをした。今回、社長は二泊三日の予定で広州まで来ていただけたので、私の体調不良の事を相談し、広州市の人民医院でX線を撮った写真を見てもらった。軽い肺炎を起こしかけているかも知れないと言われ驚いてしまった。以前からの体調不良もご存知だったので、
「とても良い薬ですから寝る前に飲んで」
と言われ、心の優しき社長に感謝した。部屋に戻ってから頂いた薬を飲み、ベッドに横になって30分位した時、何だか息苦しいのと身体が痺れてくるのを感じ、
「馮さん、何だか身体が変なの!」
一言だけ言ったのだが、息苦しさは増すばかりだった。
「社長に連絡をしますから、待って下さい」
彼女が動揺しているのがわかった。しかし、私の身体は唇まで痺れてきていた。社長が部屋へ来られてからも、息苦しさと痺れは治まらなかった。そのうち、だんだん身体が硬くなっていくのを感じて、社長の言葉にも答える事が出来なくなった。声は聞こえても自分の力で声が出なかった。痺れが全身まで来たのだろう。
「もう、駄目!」
と心の中で思った瞬間、意識がなくなってしまった。
 気が付いた時には、中山医院の治療室にいた。救急車で運ばれたらしく、遠くから聴こえる社長の声がだんだん聞こえて来た。社長は医師なので、病院の担当医と専門的な言葉で話されていたようだった。注射をしてもらって30分位して、やっと意識がはっきりしてきた。深夜なのに、社長にまでも迷惑をお掛けしてしまい本当に情けなくなってしまった。救急車にまで付き添って頂いたと聞いた時には、目から火が出そうな気持になった。せっかく大切な薬まで頂いたのに、こんな事になってしまったのだから。私の身体は特異体質だといわれ納得した。だから、以前も三亜市の病院で、風邪薬の注射後に同じような症状になってしまったのだろう。社長には、私のために深夜まで眠れぬ思いをさせてしまった事をお詫びしながら、自己管理の悪さを反省した。その時のことは、今でも、広州へ行く度に思い出される。

入院

それから海南島へ戻ってからも体調が悪化して、数日後には再び深センの鈴木女医のお世話になった。鈴木女医の紹介で、「南山医院」という大病院を紹介して頂いた。私の身体は疲れも酷く、短期の入院をして検査が必要だと言われた。検査の結果、やはり風邪を拗らせているため肺に炎症があるとの事だった。毎日の点滴注射が苦痛になっていたが、個室は鈴木女医の計らいでVIP室を特別料金にしていただいた。鈴木女医も見舞いに来て下さったが、数多くの方に助けられながら生きてきた自分が情けなくてならなかった。そして、皆さんの暖かい気持に感謝をしながら、異国で生きる厳しさを知った。
 一週間の入院で、すっかり元気になった私だったのだが、一番大変だったのは「馮さん」だったと思う。この数年間、私の我侭に耐えてきてくれた彼女には、心から感謝をしなければならない。もし、彼女が私の側にいてくれなければ、きっと挫折して日本へ帰っていただろう。彼女は私にとって生涯、大切な妹と同じ存在なのだ。いつか、彼女には恩返しをしなければならないと思いながら、今でもお世話になっている。通訳としての業務は、決して満足がいくとは言えないが、彼女の優しい心は誰にも負けないと思っている。人間としての一番大切な「人への思いやり」という点では、私も彼女を見習わなければならないと思っている。退院後、海南島へ戻ってからも懸命に世話をしてくれているので、「ありがとう」という言葉だけでは、感謝の気持ちは伝えきれないと思っている。


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