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私が見た南国の星 第4集「流れ星」③

 今はコロナで、なかなか日本に帰れません。いつになったら自由に行き来が出来るようになるのでしょう。日本への旅に胸躍らせる馮さん、一緒に旅を楽しむ野村さん、いろいろあっても、やはり日本での時間はホッと一息です。

日本へ


 とうとう帰国の日がやってきた。馮さんも妹との久しぶりの再会が嬉しそうで、私まで楽しくなった。名古屋までは香港経由なので、三亜市にある鳳凰国際飛行場から早朝の便だった。香港までは約1時間の空の旅だが、私たちは寝不足も重なり香港に到着するまで機内で眠ってしまった。着陸の車輪の音で目が覚めた私たちは、頭の中がボーッとしていた。
「馮さん、もう香港だわね。私たちは離陸して直ぐ眠ってしまったみたいね」
と声を掛けた私に、彼女もねぼけ眼だったが、
「お姉さん、香港の空港も私は久しぶりです!」
彼女はとても弾んだ声で返事をした。香港の空港内は、とても冷房が効きすぎて寒いくらいだったので、二人で暖かいラーメンを食べた。値段の割には美味しくない。
「ねぇ、本当に香港は物価も高くて、生活は海南島の方が楽だわね」
と言ったが、私の言葉が聞こえなかったのか、すでに彼女の心は日本の地に飛んでいた。
「お姉さん、先ほど何か言われましたか」
と言われ、
「えぇ?」
と思ったが
「このラーメンはまずいわね」
と一言で終らせた。いつも彼女に感心するのは、どんな食べ物も美味しそうに食べることだ。それに引き換え、私は子供の時から好き嫌いが多く、いつも学校の給食時間が嫌いだった。おまけに、一年風邪ばかりひいて母を悩ませていた。この年齢になっても、やはり風邪をひくと長引いて薬が私の友達のようになっている。その点、彼女は体格も良くて健康そうだから羨ましい限りだ。食事が終わって、空港内を散策しながら土産物を見たりして、時間の過ぎるのを待っていた。やっと、名古屋空港までの出発便の案内が表示されて、ゲートまで歩き出した。
「やっと出発だね、馮さん楽しいですか?」
と言うと、彼女は嬉しそうにうなずきながら頬を赤くしていた。日本は久しぶりの彼女が嬉しいのは当然だが、嬉しそうな顔が見たくて私は聞いたのだった。
 香港からの飛行機は「キャセイ航空」だった。機内は静かな雰囲気で落ち着けるので、お気に入りの航空会社だ。国内線の乗客はほとんど中国人、彼らは機内でも大声で話す人が多いので、うんざりする時の方が多い。国際線は静かで快適に感じる。いつも帰国は一人だったので機内食は美味しいと感じたことがなかったが、今回は二人だからなのか楽しくて、いつもと違って機内食を全部食べてしまった。食事が済んだら居眠りして、目が覚めたら話をして、空の旅を楽しんだ。やがて、飛行機は名古屋空港へと着陸態勢に入った。窓から見た名古屋の夜景が美しかった。名古屋空港へ到着したのは夜の9時だった。時差が1時間あるので、何だか時間を損した気分になった。飛行機は予定時間どおり名古屋空港へ到着した。

日本入国


 無事に帰国が出来たと思ってほっとしたのも束の間、大変な事が起きた。入国カードへ記入が終った馮さんが、上陸が出来ないかもしれないと係員に言われたのだ。原因は、入国カードに記入の際、日本での滞在住所を東京に住んでいる妹の所にしていたからだった。東京であれば、当然のように成田空港から入国しなければならない。名古屋空港で入国の場合、一般的に東海地方の住所を記入するのが普通なのだ。日本人ならば、国内どこの空港で入国しても問題がないが、中国人なので、偽物のビザと思われてしまったようだ。私も心配になり係員に、
「すみません、彼女に何か問題があるのでしょうか」
と尋ねた。
「彼女の上陸を許可するまでは、外へは出られません。現在調査中です。ここは中国語を話せる係員もいますから、あなたは心配しないで外へ出て!」と厳しく言われ、どうする事も出来なかった。
 入国審査を終えた私は、彼女の結果が出るまで様子を眺めていた。30分くらいで、彼女は上陸を認められたが、待っていた時間が本当に長く感じられ、終わった時にはホッとした。到着ロビーには、社長と河本氏が出迎えに来て下さっていたので、時間が掛かった事を申し訳なく思い、
「すみません。遅くなってしまいました。お出迎えありがとうございます」
久しぶりにお会いしたお二人に挨拶をした。社長は笑顔で出迎えて下さったので、先ほどまでの緊張感が薄れてきた。
「お疲れ様!元気だったようですが如何ですか」
と、社長から声を掛けられた馮さんは、先ほどのハプニングも忘れ、明るい声で、
「社長もお元気でしたか。今回は、本当にありがとうございます」
と答えた。彼女の挨拶は、空港内に響き渡るような明るい声だった。
「馮さん、今回は申し訳ないですが、中国大使館へ申請手続きをお願いします」
と、社長から言われ、急に緊張したのか、彼女は驚くほど大きな声で、
「社長、気にしないで下さい」
と答えた。その一言に驚いて、河本氏の細い目が大きく開いた。
 この日の馮さんと私は一緒にホテルで1泊した。翌朝新幹線で東京に向かう彼女を私は名古屋駅のホームで見送った。彼女は暫く妹と一緒に楽しい時間を過ごす事だろう。今回、彼女のお母さんも一緒に来たかったのだろうが、糖尿病の治療中為、同行しなかった。せっかくの機会なので娘に会いに来たかったと思うが、遠くで見守る母の愛は、国境を越えて日本まで届いていることだろう。
 「母の愛は海よりも深い」その言葉どおり私にも母の愛を、今になって感謝している。母に対して親孝行も出来ぬまま、私は母と離別してしまった。今は他界した私の両親に、こんな娘に育ったこと、親孝行ができなかったことを心から申し訳ないと思っている。今回の帰国中に先祖の墓参りをするつもりでいたので、馮さんが東京へ出掛けている間に墓参りを済ませた。
 馮さんは無事中国大使館で証明をもらって、16日の朝、新幹線で東京を出発して名古屋に戻ってきた。この日から一緒に、京都観光をする予定で、彼女の到着を新幹線ホームで待った。午前11時20分のひかり号で彼女は名古屋に到着した。荷物が多いため駅のコインロッカーに預けて京都へ向かった。京都は名古屋から近いので、のんびり「こだま号」で行く事にした。二人で食べた駅弁が、今でも楽しい思い出となっている。
 この駅弁は、箱も可愛い幕の内弁当だったので、彼女は持って帰りたかったようで、
「お姉さん、この箱は綺麗ですね。中国へ持って帰りましょうか」
と言った。私は彼女の言葉に、
「はい、そうしましょう」
とは言えなかった。そんなことを言っていたら、滞在中に荷物が多くなり過ぎる。中国へは、会社からの荷物をたくさん持って帰らなければならないのだから、
「馮さん、綺麗な箱は社長や河本氏が訪中される時に持参してもらいましょうね」
そう言って彼女を納得させた。


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