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私が見た南国の星 第1集「蛍と夜空」⑫

 通訳の馮さんが来てくれてよかったですね。馮さんは今でも野村さんと姉妹のようにいつも一緒です。本当にいい人が来てくれてよかった。

馮さんの故郷文昌


 馮さんの故郷は、海口市から車で一時間の地域にある文昌市という所だと聞いた。私はまだ行ったことがなかったが、文昌市には有名な文学者の生家があり、文昌鶏は世界へ輸出をするほど美味しいと、料理人たちは故郷をいつも自慢していた。料理人たちは彼女に文昌語で話すので、何を言っているのか私にはさっぱりわからなかった。海南島では海南語のでもいろいろな言葉があり、同じ海南人同士でも全くわからないこともあるそうだ。中国の文部省教育部の指導で、幼稚園のころから北京語の勉強を義務づけられているので、中国の共通語である北京語が話せれば問題ない。しかし、ここでは少数民族が多くて、このホテルの中では、民族の言葉が飛び交うことも多いので、これからは馮さんの助けを借りて少しずつ民族の言葉も勉強しようと思った
 料理長は、いつも故郷のことを自慢げに話すのだが、彼自身は海口市に自宅があり、故郷へは殆ど帰らないとの事だった。
「あなたは、いつも文昌市を自慢していますが、どうして故郷へは帰らないのですか」 
と、馮さんの通訳で聞いてみた。すると彼は、
「面白くないです。私の実家は、文昌市から少し離れた所にある小さな村だから」
との事だった。村は夜になると静か過ぎるし、遊ぶところも無くて楽しくないからなのだろう。昔から文昌市は華僑が多いという。文昌では、外国の国籍を取得して数年後に一度先祖の供養のために故郷へ戻り、県や地区に寄付をして貢献をする人が多かったため、海南島の中では発展が一番早かった所だそうだ。現在も開発が進んでいるが、華僑の援助で学校などは立派な施設が多いと聞いている。その事から料理長は自慢が出来る故郷と言いたかったのかもしれない。
 しかし、不思議な事が一つある。この島の何処へ行っても文昌出身の人に出会うということだ。その疑問を彼女や料理長に聞いてみると、
「文昌人は開拓者魂があるので、何処へ行っても頑張れるのです」
と、いう答えが返ってきた。私が、
「若い人たち故郷を離れてしまったら、現在の文昌市は高齢者と子供ばかりでしょう。誰が家を守るのですか」
というと、
「お姉さん!大丈夫ですよ、今の老人たちは元気ですから心配ないです」
と意味不明な答えが返って来た。私は内心、この人と討論しても解決不可能と判断して話題を変えた。
「今日は馮さんが来てくれましたから、美味しい料理をお願いね」
そう言って厨房を離れた。
「彼って、面白い人でしょう。いつも楽しい人だから不愉快な事があったら、彼と話をすれば忘れられるわよ」
という私の言葉に彼女は静かに笑っていた。
夕食時間になり、二人で食事をしていると、料理長と弟がやって来て「お姉さん、せっかく料理は美味しいですか」
なんて言い出すものだから、馮さんは食べていた物を急に噴出しそうになってしまった。
「馮さんが可哀想でしょう」
と言う私の言葉に彼は笑顔でうなずいた。食事が終わり部屋へ戻る途中、彼女は、
「本当に楽しそうな会社ですね。家族で仕事をしているみたいなので安心しました」
そう言ってくれたのが、とても嬉しかった。
 

トイレに行ったら手を洗う


 それから数日が過ぎ、馮さんも環境になれたようなので部屋の移動をお願いした。彼女の部屋は以前に龍氏が使用していたが、壁も綺麗だし彼女も気に入ってくれたので、その部屋を使うことになった。トイレは社員たちと共同だが、掃除は女子社員たちが交替で行うようになっているので、衛生面では問題がないと思われた。
  私が来た時には、ここの子たちはトイレ使用後に手を洗う習慣がなかった。私は何度も注意をしてきた。日本ではトイレから出てきて手を洗う事は当たり前の事だと思っていたが、ここでは当たり前の習慣ではなかった。
「いいですか、必ず手を洗って清潔にして下さい。そして使用後は水を流して次の人のために残りのペーパーも確認をしてね」
こんなふうに毎日、大きな声を出して指導をしていた。しかし社員たちは、どうして手を洗わなければならないのかということが分からなかったようだ。
「自分の手は汚れがついていないのだから洗う必要がないです」
と言われた時には唖然とした。ここの社員たちは農民の子供が多いため、
「農作業で手に土がついていれば洗う」という感覚なのだ。育った環境なのかもしれないが、この問題を理解させる事は難しかった。
「ママ、見て下さい。汚れが何処についていますか?綺麗でしょ!」
と、言われると確かに汚れは見えないが、衛生的に考えれば手を洗うことは大切だ。ましてサービス業であるホテルは、衛生管理を徹底しなければならない。社員たちは衛生面を考える前に「節水」を重視しているため理解が出来ないのだろう。そこで、私は朝早くからトイレの前に立って一人ずつ指導をした。夜もトイレから出てくる社員に「手を洗って!」と言う習慣がついてしまった。そして、汚物入れの蓋も開けっ放しで見知らぬふりをして立ち去る事も多かったので、目くじらを立てながら私はいつもイライラしていた。
「きちんと蓋をして下さい!」
と鬼のように注意する日々だった。それは、新人社員が入る度に教えなればならないので、神経がおかしくなりそうになった。中国人女性は美人も多いが、外見は綺麗でも中身が問題だ。ゴミが落ちていてもと拾わないで足で蹴飛ばし、ゴミ箱は足で移動させるという姿は、私の所の社員だけではない。病院の看護婦も傷の手当てが終わった後、汚れたガーゼ等を捨てたゴミ箱を自分の近くから遠ざけるために足で移動させる。至る所で見かける光景の一つだが、私から見れば人として恥ずかしい行動のように見えた。せめて、この会社の社員だけでもきちんとした生活習慣を教えなければと努力をしてきた。今では毎日の習慣の中から自然に行動が出来るようになったので、この子たちの将来にはプラスになったと思っている。

馮さんに聞く


馮さんに、このような過去の話を聞かせると、彼女は、
「親がダメなら子供も同じです。私は日本へ行ってから中国人の生活レベルの低さを感じました。特に農村では入浴する時さえ洋服を着たまま体を洗うのです。なぜなら、部屋の中には入浴をする場所がないためです」
と説明をしてくれた。外で身体を洗う時に周りの囲いがないため、誰かに見られたら恥ずかしいからだということのようだ。この点については理解が出来るが、手の汚れが見えないから洗わないという事については、理解出来なかった。このことは海南島だけではないと聞き、中国の発展が遅いのは当たり前かもしれないと思った。これからは中国の習慣も変わって行くと思うが、農村ではまだまだ時間がかかりそうだ。
 そこで馮さんが育った時代が知りたくて彼女に尋ねてみた。彼女の両親は二人とも教師だったそうだ。そして、彼女は長女で弟と妹がいて、両親の躾は厳しかったとの事だった。農村育ちではなかったから、洋服を着たままの入浴は経験がないと言っていた。しかし、青春時代は中国が開放されていなかったため苦労が多かったようだった。「日本へ行くきっかけは?」と、尋ねると、以前から日本には興味があったが、たまたま日本へ行くチャンスが舞い込んできた。親友と一緒に申し込みをしたら、彼女だけ合格したので、両親の協力もあって渡航することができたとのこと。
「日本で学んだ数々の文化や習慣は勉強になりました」
と言った。彼女にも、苦労もあったと思うが、日本人の悪い点については一切口にしなかった。
 その頃の中国政府は、この島を海南特別区と指定し、少数民族と森林自然保護に力を入れていたそうだが、子供たちの未来については具体的な方針が発表されていないようだった。子供たちを世界で通用する人材に育てるためには、大人たちが手本を見せなければいけないということがわかっていなかった。これも日本人から見た場合の事なので非難は出来ない事かもしれないが、この島の農民たちは、日々の暮らしが精一杯で、子供の躾どころではないのだろう。だから、チャンスがあれば外国で仕事をして、中国の家族へ仕送りをする中国人が多いと彼女は言っていた。

社員管理


 こうして話を聞いていると、私は社員たちの気持ちも理解が出来る気がした。しかし、ここは日本独資のホテルなので日本人としてのプライドもある。ここは中国だが、ホテルの管理体制は日本式に考えなければならない。この日本式は、いつまで続けられるのか不明だが、社員教育における数多くの問題を解決しなければならないと感じていた。今までは一人で悩んできた私だったが、馮さんが来てくれたお陰で、一つずつ解決の糸口が見えそうな気がしてきた。そして、言葉の問題については、彼女がいてくれるだけで誤解も少なくなることだろう。
この日は夜の12時ごろまで話し合っていた。社員の管理について考え始めたら、なかなか眠りにつけず、気がついたら朝方まで考えていた。翌朝は睡眠不足のせいで、頭の中がスッキリせず、明るい表情も出ない一日だったが、糸が見つかったような気がして、心は落ち着いていた。
 

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