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kotoba

歌詞カードを朗読する子どもだった。家で過ごす時間の中で、一番好きな時間だったかもしれない。

言葉の意図を考えることや、日本語の音そのものが好きだった。その音が乗る旋律の上がり下がりを矢印で記して、息を吸うところにも印をつける。息も言葉のひとつだ。全てはカラオケで歌うためなんだけど、ただそれだけのために一生懸命になれた。何度も何度も繰り返し音をなぞり、言葉をなぞった。そんな子どもだった。

大人になるとネット社会。音楽は配信が主流になり、歌詞はウェブでいつでも見ることができる。曲名が表示されるから好きな曲が何曲目なのか覚えなくてもいいし、曲順通りではなく気軽に新鮮なセットリストでランダムに聴ける。ボーナストラックを聴くために、無音の3分を過ごすこともなければ、ジャケットのどこかに隠されたボーナストラックの歌詞を探すこともない。

アルバムを作る時にやはり配信はすべきだと考えたけれど、配信とCDを同じ内容にしてしまうのは、なんだか寂しいと思った。きっと歌詞カードをわざわざ読む人は少ないし、買ってくれたとしてもネットで聴けるものをわざわざCDで聴く人は少ないだろう。

だけど私は、曲ができると歌詞を朗読する人間だ。子どもの頃から根付いている。旋律が先に出来ていたとしても、必ず言葉を読み、違和感があれば旋律ごと修正することもある。最終的に印象に残るものは、旋律よりも言葉であり、その言葉の奥にある聴き手の日々のなんとなくの記憶や感情である。そうであって欲しいと思っている。その記憶や感情を汲んで並べた曲順だって、なかなかの拘りがある。

もちろん、配信でも聴いてくれるのはとても嬉しい。ランダムで再生しても、一曲一曲が自信作だ。でもやはり、皆んなにもなるべくCDの音とともに言葉を読んでもらいたい。映画や本のように、「Life Alive」というアルバム全体のストーリーやテーマを感じて欲しい。

そこで今回、アルバムのCDにはボーナストラックを入れ、歌詞カードにプラスして私の日々の記憶を盛り込むことにした。そうしたところでやはり、CDを買いたい、エッセイを読みたい、という人は限られるのだろうけれど。

「Life Alive」というCD付きミニエッセイ集は、そんな私の寂しさとエゴから作られた、いわば歌詞も含めて私の日記なのだ。ただの自己満足にすぎない。それでも、その自己満足がいつどこでどんな形で誰に届くかは、やってみないと分からない。だって、子どもの頃の私のような人がどこかにいるかもしれない。これを機に、歌詞を読む人が増えるかもしれない。

昨今、言葉の使い方が話題だけれど、子どもの頃の私のように、歌詞カードや小説や漫画、雑誌でも新聞でも何でも良いので、興味を持ってわくわくしながら言葉を読む子どもが増えたらいいなーなんて、思ったという独り言。

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