第三十六話:遺児・後

 夜、みやこ周辺の村々まで降りてきた凶鬼きょうきたちの群れを追い払うべく、わたしと竜胆リンドウは激しい戦いに身を投じていた。
「ねぇ、どうするの! あの、米問屋のこと!」
 妖魔もののけたちを大剣でなぎ倒しながら叫ぶ竜胆に、わたしは明確な答えを言えずにいた。
「わかりません! 旦那さんも娘さんも、両方救う手立てが浮かぶまでは何もできません!」
 疑問と違和感がぬぐいきれないのだ。赤ん坊だった旦那をお嬢さんのお腹から救い出したのは誰なのか。
 当時、若旦那は血塗れだったはずの赤ん坊を何者かから受け取ったとき、なぜ警察に何も言わなかったのか。
 旦那を子供の時に煮えたぎった油で殺そうとまでした横恋慕娘が、実子でないことを伝えていないなんてことはあるのか。
 あの旦那、実は何もかも知っているのではないか。
 そうなら、旦那は自分が呪物であることも、母親が怨霊であることも知ったうえで生きていることになる。
 でも、どうやってそれを知った? どうやって呪物になった?
 本当は、すでに母親の怨霊はこの世におらず、あの旦那が呪物であるその力を利用してのろいを実行しているのでは……?
 旦那から出ていたあの異様な空気は、彼自身の瘴気だったとしたら……。
「まあ、猶予は二年あるけど!」
「今はとにかく、この場をどうにかしなくては!」
「そうね! 頑張るわ!」
 わたしはいつも通り、杖を太刀に変え、凶鬼きょうき妖魔もののけを斬り倒していった。
 戦場にいる誰もが休憩する暇もないほど、混戦を極めている。
 救護隊も戦いに加わるほかなく、今日は止血出来ればいいほう。
「こっち片付いたら、隣の戦場に行こうと思ってたけど、無理!」
「無理ですね!」
 そのとき、強烈な光が三度、夜空を昼間のように照らし、妖魔もののけが一瞬で溶けていった。
「兄さん!」
「おお、翼禮よくれい。大丈夫か?」
「え、なんで来たの⁉ 頭痛は⁉」
「今日なんか調子よくてさぁ。母さんが新開発した頭痛薬が効いたみたい」
「え、じゃぁ……」
「全力ってのは無理だけど、七割くらいの力でよければいける」
「た、助かった……」
 兄の力は絶大だった。
 わたしたちが五時間戦ってきたよりも多くの成果を、たった一時間であげてしまった。
「山の中まで押し込んだけど、もう少しいけるぞ」
「いや、充分すぎるくらいだよ。もう帰って寝ていいよ。ありがとう、兄さん」
「お安い御用だ。明日も一時間くらいなら手伝えそう。神輿の期間はあいつらしつこいからなぁ」
「助かる。でも、無理はしないでよ」
「俺が無理するわけないだろう。怠惰な自分を誇りに思いながら生きているからな」
「ああ、うん。そうだね」
「じゃぁ、おやすみ妹よ」
「おやすみ、兄さん」
 明日も神輿が出る。
 兄が手伝ってくれるならば、こんなに楽なことはない。
翼禮よくれいのお兄さん、本当に強いわねぇ……」
「もしあれで身体も超健康体だったら、葦原国を一人で護れるくらいには強いと思いますよ」
翼禮よくれいも充分強いと思うけど」
棘薔薇いばらの制約が無ければもう少し活躍できそうではあります」
兄妹きょうだいそろって大変ね」
「あはは」
 わたしと竜胆は夜明けまでのおよそ三時間半、他の戦場を助けて回った。
 そのおかげか、救護班が治療に専念することが出来、今日も死者は一名も出なかった。
 ただ、疲労は確実に身体を蝕んでいる。
 日付が変わり、祭はあと二日。
「はぁ、疲れたぁ」
「今日もよく頑張りました」
「そういえばまだ弟君にはあったことないんだけど、どこにいるの?」
「ああ、全寮制の学校に通っているので、次に帰ってくるのは……、来月ですね」
「人間の学校?」
「いえ。仙子せんし族の学校です」
「あら、それは楽しそう」
「厳しいですが、そうですね。楽しいですよ」
「どこにあるの? 遠いの? 外国?」
「いえ。この世界とはまた少し違う、聖域シードと呼ばれるところにあります」
「ああ……、妖精王族の領域ね?」
「そうです。とてもいいところですよ」
「へぇ……」
「もし禍ツ鬼マガツキを卒業することがあれば、一緒に行きましょう。案内しますよ」
「あら、覚えていたのね。私が何に成れるのかを」
「ええ、もちろん」
「因果が付きまとうから嫌なんだけど……。翼禮よくれいたちとずっと一緒にいられるのなら、悪くないかもって、最近思っているのよ」
「それはよかったです。わたしが仕えている妖精女王も喜ばれることでしょう」
「もう、気が早いわよ」
「すみません。ふふふ」
 わたしと竜胆はくたびれた身体をかばうように歩きながら内裏へ向かい、自分たちの仕事部屋へと帰ると、そこから空枝空間くうしくうかんへ入った。
 
 昼過ぎ、起きて支度を済ませ、仕事部屋へ出ると、米俵が置いてあった。
「これ……」
 つい最近感じた何かに似た、強い殺意が空気に走った。
 手が伸びる。米俵に触れようとしたその時、身体が後ろに傾いた。
翼禮よくれい! 触っちゃダメ!」
 竜胆に腕をひかれ、後ろから抱きしめられた。
 ゆっくりと腕の中から抜け出して振り向くと、竜胆がひどく怯えた顔をしていた。
「ど、どうしたんですか?」
「植物の中には、ただそこに存在するだけで退魔の力をもつものがあるわよね。桃、杏、藤とか。お米もそう。だけど、お米って特殊で、呪術でもその力を発揮するの」
 竜胆は米俵に近づき、どこからともなく手にした大鎌の刃で貫いた。
 すると、まるでそれが生き物だったかのように血が噴き出し、部屋中に飛び散った。
「な、なんですかこれ……」
「これは兄、第二鬼皇子きこうしがよくつかう手。兄はこの世の植物のほとんどを操り、のろいに変えることが出来る……。これは私への宣戦布告だわ」
 わたしは杖を取り出し、尚も米俵からドクドクとあふれ続ける血に杖の先を浸けた。
 すると、杖にバチバチと何かが当たって激しく弾けだした。
「……血米の集束クラスター爆弾ですか」
「そう。もし翼禮よくれいが米俵に触れていたら、棘薔薇いばらごと米粒が身体を貫いて、今頃肉片にされていたわ」
 わたしは手から杖を放し、仙術でそれを動かして裂けた米俵の中へ差し入れた。
 ぴちゃぴちゃクチャクチャと音がする。鉄と油と潮風が混ざったようなにおい。体内をかき回しているようで不快だ。
「何か入ってますね……、うわ」
 それは人の形をした紐の塊だった。
あさで編まれた、胎児……」
 麻が血を吸い、泡立っている。手には何か紙を握っているようだ。
 わたしは人形を杖で慎重に転がしながら引き寄せ、手に握っていた紙を触れないように仙力で引き抜いた。
「手紙……。ああ、そういうことか」
 それは米問屋の旦那からだった。
――杏守あんずのもり 翼禮よくれい様。あなたのことだから、もう気づいているかもしれませんが、ええ、その通りです。私は怨霊化した母のために自らを呪物に変え、その無念を晴らすために妹たちを殺し、さらには弟の娘まで手に掛けました。
――詳しいことをお伝え出来ず残念に思います。でも、ご安心ください。
――あなたや、背教郡王様が余計なことをしなければ、もう一人の娘は生かしておくことにしました。私のことは探さないでください。絶対に。それが条件です。
――きっとあなたは数多くの疑問を抱いていることでしょう。一つだけお答えできるとすれば、私を母のお腹から救い出してくれたのは、禍ツ鬼マガツキの王子の一人だということです。いや、やはり言うべきですね。その王子とは、第二鬼皇子きこうし様です。
――私はみやこを去ります。米問屋は十五歳の息子に譲りました。もう二度と会うこともないでしょう。
――私に欠片ほどに残っていたわずかな人間性でこの手紙をしたためております。
――では、これにて。さようなら。優しき仙術師様。
 読み終わると、まるでタイミングを計ったかのように手紙は燃え、灰となって血の中へと落ちていった。
「兄が、人間を、救った……? ありえない! そんな、ありえない……」
 わたしが手紙を読み上げるのを聞いていた竜胆は、激しく動揺した。
「あのひとは、一番〈人間〉を憎んでいるのに!」
「何か理由があったのかもしれません。ただ、結局は呪物になる手助けをしたのですから、旦那さんも第二鬼皇子きこうしに利用されたと言えるのではないでしょうか」
「……そうなのかもしれないけれど、何のために?」
「お神輿ですよ、多分。今までどうやって凶鬼きょうきの一団が祇宮祭中にみやこに入り込んでいたのか、不思議だったんです。米問屋の旦那さんが内側から招き入れていたんですね。呪物としての力を使ってみやこの結界に穴をあけていたのでしょう。気付きませんでした」
「お米は触れるまでそれが退魔のものなのか呪物なのかわからないから……。大きな米俵の中に米と一緒に入ってみやこに侵入されたらわからないわよ」
「それもそうですね……」
 複雑なものを打ち破るために必要な物は、思いのほか単純で簡素だったりする。
 人を殺すのに、剣など必要ないのと同じように。

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