第六集:畏怖嫌厭

「ここもなかなか……」
 樹海の奥にそびえ建つ青銅色の建物。
 さきほどの村の家とは打って変わり、荘厳さと冷たい雰囲気が漂う聖堂は、石造りで丸い屋根が特徴的。
 化粧板には銅が使われており、それが雨などで酸化して緑青色ろくしょういろになっているようだ。
 ステンドグラスにはこの聖堂が祀る聖人の姿と、その聖人が仕える〈神〉の姿が描かれている。
 何も知らずに見れば、美しいひとつの宗教建築だ。
 ただ、侵略の歴史を知っていると、なんだか頭の上から押さえつけられるような、そんな息苦しさを感じる。
 それだけ、威厳のある造りだということだ。
 その聖堂の重い木の扉を開くと、本来ならば礼拝堂の前室があるはずのところが、すでに魔窟ダンジョンへと変容してしまっていた。
 意を決し、入っていく。
「うわ、かなり明るいな……。石壁に飛び散っている液体は何だろう。どんな鬼霊獣グゥェイリンショウが出てくるのか想像も……、うわあ!」
 現れたのは背中から〈肉〉の翼が生えた堕天使たちだった。
「えええ……。気持ち悪っ」
 可愛らしい一、二歳くらいの子供のような姿なのに、眼球がなく、真っ暗な空洞が顔面に二つ空いている。
 ふくふくとした柔らかそうな四肢はところどころ腐っており、黄色い膿のようなものが絶えず流れている。ひどい悪臭だ。
 爪は両手両足とも紫がかった黒に変色しており、口は耳の付近まで裂けている。
「うわぁ……」
 堕天使たちは自身の腐っている部分から骨を抜き取り、それをもって襲い掛かってきた。
「いやいやいや、不気味すぎるでしょ」
 どろりとした肉塊付きの骨を持った飛ぶ子供に追いかけられる気味の悪さ。
 このあいだの鬼霊獣グゥェイリンショウなど、今思えば可愛く感じるくらい、わたしはとりあえず走って逃げた。
「え、増えるの? そういう生態なの?」
 三体だった堕天使は、気づけば十二体に増えていた。
「……さすがに無理! えっと……、堕天使の弱点ってなんだっけ? 脳味噌と心臓で動いてない種族の致死攻撃ってなんだっけか」
 わたしは全力で走りつつ呼吸を整えながら、仙術師の学校で学んだことや、それこそ曾祖母から習ったことを必死で思い出そうと脳を働かせた。
(天使には弱点と呼ばれるものはなく、殺すことはできない。ただ、天使は〈神〉と呼ばれる高位の〈精霊種〉と同じ性質を持っているため、固有の〈波長〉というものが存在する。振動は熱によって生じる物であることから、マイナス二百七十三点一五度――絶対零度では活動が出来なくなる。万が一、天使と戦闘になった場合は、相手を絶対零度まで冷却する以外に対処法はない。凍結後にバラバラに破壊したとしても、絶対零度以上の温度に戻せば、破片は互いに振動しあい、再生を始めるため注意……、だっけ)
 学校の授業はどれも大好きだった。
 一言一句とまではいかないが、卒業してそんなに時間も経っていないので、けっこう覚えている。
(で、ひいおばあちゃんはなんて言ってたっけ……、えっと……)
――「肉体を持つものはたとえそれがなんであれ殴れる。目を持つものはまばゆい光で痛みを感じる。手足を持つものは四肢をもげば動きは確実に鈍る。翼をもつものはそれを斬り落とせば飛べなくなる。だいたいの鬼霊獣グゥェイリンショウは首を落とせば死ぬ。鬼霊獣グゥェイリンショウじゃなくても、血が出るものは殺せる。そして……」
「どうにもならない相手と出会ったら、とにかく細切れにするか、縛り付けて一網打尽。殺られる前に殺れ。だよね、ひいおばあちゃん!」
 わたしは振り返り、大仙針だいせんしんを取り出すと、煌糸こうしを伸ばして叫んだ。
蓬莱弱糸ほうらいじゃくし!」
 煌糸こうしくうを駆けながら伸び、その末端は堕天使たちの遥か背後にまで及んだ。
「捕縛!」
 左手をぎゅっと握ると、煌糸こうしは堕天使たちの身体を巻き込みからめとりながら収縮し、蚕の繭のようになると地面にボトリと落ちた。
「ふぅ……。ガリガリ音がするな。糸を切ろうとしているのか? 残念だけど、煌糸こうしはそう簡単に切れないよ」
 わたしはガタガタと動く繭に氷結の魔法を何重にもかけ、絶対零度近くまで下げてから先へと進みだした。
「慌てていたから気づかなかったけど……、ここ、階段井戸だ」
 階段井戸とは地下深く何回層にも掘られた集合住宅のような井戸のことで、中心に深い中庭のような吹き抜けがあり、そこから下に向かって螺旋階段を降りていき、水をくむことができるようになっている。
 階段井戸は雨水を貯めることも目的とされており、雨期の水位上昇による被害を少なくするためにも活用されている。
「水が枯れているから彫刻がよく見える……。昔はとても美しい場所だったんだろうな……。そうか、聖堂はこの階段井戸を埋めて建てられたんだ」
 遥か昔には、この階段井戸に宗教的な意味合いもあったのかもしれない。
「治癒の女神ララナのために作られた井戸だったのかな……」
 少し感傷的な気分になりながら、螺旋階段を使って下へと降りていった。
 その間、何度も堕天使たちに襲われたが、先ほどのように捕縛し凍らせて対処した。
「あのぶよぶよした姿、夢に出てきそう……」
 わたしは溜息をつきながら、時計を見た。
「もう十七時。銀耀ぎんようを出発してから七時間近く経ってるってことか」
 腹がぐぅっと鳴った。それだけの時間が立てば、腹もすくというもの。
 まだ下を見ると何回層にも連なっている。
 本来の階段井戸よりも、魔窟ダンジョン化したことで階層が増えているのだろう。
「今いるのは地下十階くらいか……」
 わたしは一度休憩をとることにした。
 降りていた階段を少し戻り、水を貯めるための広くて何もない部屋フロアに入り、壁に梅の木の扉を取り付けた。
 外界ではもうすぐ陽が沈む時間。
 魔窟ダンジョン内が明るいので、今が何時なのかがわからなくなる。
「今日は泊りだな」
 翠琅すいろうは扉の中へ入り、ホッと一息ついた。
 幻想空域亜空間の中は外界と同じ時間が流れている。
 美しい夕陽が中庭を照らし、心地良い風が通り抜けていく。
 疲れた身体を休めるには、ぴったりの時間だ。
「先にこの制服についたドロドロをどうにかしないとね」
 わたしは浴室に向かい、全自動洗濯乾燥機の中に着ていたものをすべて放り込み、洗剤と柔軟剤を指定の場所に入れ、スイッチを押した。
 有名な錬金術師の一族が開発した最新型の洗濯乾燥機だ。龍脈の力を貯めた蓄電池バッテリーで動いており、少量だったら三時間で乾燥まで終わってしまう。
 仙術師や魔法使いの間で今一番売れている家事代行機械だ。
「髪から変なにおいがする……。お風呂も入っておくか」
 わたしは湯船に薬湯を入れ、身体を洗ってから中に入った。
「そういえば、今回はまだ怪我してないかも……」
 スペンサーから支給されたメイド服は本当に丈夫だ。堕天使たちの攻撃を受けてもほつれもせず、この身体を守ってくれている。
「スペンサーさんっていったい何者なんだろうなぁ……」
 わたしは浴室から出ると、脱衣所で頭を拭きながら、あの不思議な雇い人について考えた。
「人間にしては身長がすごく高いような気もするけど……、超高身長のひとはたまにいるもんなぁ。蒐集家って、〈蒐集家〉っていう種族だったりして。前に言ってたし。『身体は人間』って。……なんてね」
 わたしは考えるのをやめ、追加で持ってきていた制服に着替え、台所キッチンへと向かった。
 腹ごしらえは大事だ。夜もまた、戦うために。

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