第三十五話:遺児・前

 祇宮ぎぐう祭二十九日目。
 今日は丸一日かけてみやこ中の神社から順番に神輿が出発し、主上おかみの元へと五穀豊穣の祈りと治世の弥栄いやさかを讃えにやってくる。
 午前中から夕方にかけては盛り上がりもそのまま、平和でいいのだが、問題は日没後。
 毎年必ずと言っていいほど人間のふりをしてみやこに侵入しようとする凶鬼きょうきの一団が現れるのだ。
 豪華絢爛な神輿を担ぎ、肌に油性練り白粉ドーランを塗って元の色をごまかし、土で洗った法被を着て身体中に染みついた血のにおいを誤魔化しながら。
「去年も戦ったの?」
 真昼の陽射しの中、いくつかの用事を済ませ、わたしの両親と兄が営んでいる杏琳堂しんりんどうのひやしあめを飲みながら内裏へ帰る途中、法被を着た子供たちがはしゃぎまわっているのが目に入った。
 砂埃がキラキラと舞う。この混雑具合では、頻繁に打ち水も出来ないのだろう。
「ああ、去年は兄の体調が絶好調だったので、凶鬼きょうきたちがみやこに入り込む前に強烈な紫外線で追っ払ってしまいました」
「わぁお!」
「今年は慢性的な頭痛がひどく、戦えるほどの元気は兄にはないので、わたしたちで何とかしなければなりません」
禍ツ鬼マガツキの第二鬼皇子きこうし……、私の兄の軍隊も出てきているし、ちょっと不安ね」
 このあいだの戦闘から昨日まで毎日第二鬼皇子きこうしの軍隊が出張ってきている。
 人間の科学者たちが作った虎雷銃こらいじゅうが致命傷を負わせているからいいものの、きっと何か対策を考えてくるだろう。
 凶鬼きょうきは、もともとは木霊こだまという最古の精霊種。血の記憶として植物の知識を持っている。
 ゴムで出来た装備を作るくらい、わけもないだろう。
「ねぇ、それはそうと、あの米問屋の話聞いた?」
「お嬢さんが亡くなったらしいですね」
「私、不謹慎だとは知りつつも、ちょっと見に行っちゃったのよね、現場を」
「まったく。好奇心の塊ですね」
「んふふ。それでね、見たの」
「何をですか?」
「あれ、怨霊ののろいの仕業よ。瘴気の煤が残っていたもの」
「……え」
「だからちゃんと陰陽省に通報してあげたのに、やつらったら『祇宮祭期間中は日没以外の時間に穢れに触れることは出来ないから無理』みたいなこと言うのよ! 職務怠慢じゃない⁉」
「ま、まぁ、彼らの仕事の中には高貴な身分の人達を保護する任務もありますから」
「でも、殺人事件よ⁉ あの怨霊、二年後にまたやるわよ」
「なんでわかるんですか?」
「私だって一応零度界リンドゥジェの住人なんだから、召鬼法ネクロマンシーくらい朝飯前よ。それで他の霊たちに聞いてみたの」
 竜胆はわたしの耳に口を寄せ、声を小さくして話し始めた。
「どうやら怨霊は、昔あの米問屋に嫁ぐ予定だったお嬢さんらしいの。若旦那との間に婚前交渉による妊娠までしていたのに、他の有力者がお金を積んでそのお嬢さんを破落戸ごろつきたちに殺させて、自分の娘を嫁入りさせたらしいわ。その有力者の娘、若旦那に横恋慕していたみたいなのよ。それでね、問題なのがドレス」
「ドレス、ですか」
「そう。殺されたお嬢さんの実家が用意していたウェディングドレスを、あろうことか横恋慕娘が挙式で着たらしいの。それが引き金になってお嬢さんの霊は怨霊化し、ドレスがとんでもない呪物になったってわけ」
 ドレスが呪物になることはままある。
 絹糸は生体起源の素材だし、縫い付けられる宝石は人間の感情を吸い込みやすい。
 ただ、怨霊との親和性となると、あともうひとつ、重要な素材が思い浮かぶ。
「……なるほど。クジラの髭ですね?」
 髭、髪、歯、頭蓋骨、眼球など、生体組織の中でも頭部にあるものは特に呪物としての影響力が強い。
「さすがは翼禮よくれい。察しが良いわ。その通り、ドレスのパニエはクジラの髭で出来ているじゃない? 生体起源の物質。お嬢さんののろいがより濃く残ってしまったってわけ」
「ウェディングドレスなら、きっと何度も試着してサイズの調整をしたでしょうから、お嬢さんの汗も残っているでしょうし。これは厄介ですね」
「あのウェディングドレスが米問屋にある限り、横恋慕娘の血筋の女の子が十八歳になるたびに死ぬ羽目になるわ。子孫に罪はないのに……。怨霊の次の狙いは今回亡くなった子の妹。二年後には十八歳になるわ」
「横恋慕娘さんは怨霊に殺されてないんですか?」
「横恋慕娘は自分の娘が三人とも十八歳で死んだあとおかしくなって自殺したらしいわ。きっと、お嬢さんはお腹の中にいた子供の復讐をしているのね……。残された横恋慕娘の息子はさぞ苦しんだでしょうね」
「なんで十八歳なんでしょう」
「お嬢さんが殺されたとき、彼女も横恋慕娘も、十八歳だったからじゃないかしら」
 十八歳。わたしも、今十八歳。
 人間と仙子せんし族では寿命が三十倍以上違うから少し感じ方は違うかもしれないけれど、死ぬには早過ぎるってことはわかる。
 それに、お嬢さんは身ごもっていた。慈しみ、その目で成長を見届けるはずの愛しい我が子を。
 幸せになるはずだった人生で、最期に見たのが愛しい人たちではなく、残虐な破落戸ごろつきだったなんて、悲惨すぎる。
「今回殺されたのは横恋慕娘の息子の子供。横恋慕娘にとっては孫にあたる子よ」
 息子にとっては災難以外の何物でもない。
 母親と祖父が犯した罪の因果で、自分の娘が死んだのだから。
「問題のウェディングドレスはどうなったのでしょう」
「まだ米問屋にあるはずよ。どうする? 私たちでなんとかしてあげる?」
「……そうしましょう」
 わたしと竜胆は人の波をかき分け、米問屋へ向かった。
 ちょうど横恋慕娘の息子、米問屋の旦那が店の前でただ一点を見つめながら棒立ちしているところだった。
 五十代くらいの、とても上品な男性だ。濃い灰色の着物を身に着けている。
「あの……」
「……たしか、あなたは杏守あんずのもりの……」
「ええ、そうです。となりにいるのは従姉妹の竜胆と申します。今日は事件についてお話があってまいりました」
 旦那は怪訝そうな顔でわたしを見つめた。
「事件? でも、まだ犯人は捕まってないと警察の方が……」
「実は、犯人は〈人間〉ではないようなのです」
「……と、いうと?」
「お嬢さんの殺害はのろいによるものではないか、と、わたしたちは考えています」
「そ、そんなこと……。うちは所謂いわゆる大店ですが、誰かの恨みを買うほど富豪というわけでもありません。職業倫理から外れるような商売もしたことありませんし……」
 旦那は本気で困惑しているようだ。なぜこんな目に合うのか、本当に知らないらしい。
「原因はあなたや商売ではないんです。実は……」
 わたしと竜胆は旦那の母親と祖父が行った非道な行為について話し、その結果怨霊を産み出すことになったことを説明した。
「ま、まさか! そんな、母さんが……」
 旦那は青ざめた顔で店内を見つめ、膝から崩れ落ちてしまった。
「大丈夫ですか⁉」
「え、ええ……。でも、腑に落ちました。妹たちが相次いで十八歳で死んだのも、私の娘が……し、死んでしまったのも……。その、お嬢さんののろい……。もとはと言えば、うちの家族が原因なのですね……」
 旦那は膝に手を突き、地面にぽたぽたと涙を落とした。
「もしよろしければ、ウェディングドレスをお預かりさせていただけませんか」
「……できません」
「でも、このままではもう一人の娘さんが……」
「違うんです。もう、あのウェディングドレスは無いのです」
「え!」
「三年前、泥棒に入られたときに盗まれ、のちに燃え残りを警察の方々が発見して持ってきてくれたのですが……。そのまま捨ててしまいました。デザインも古く、娘たちに聞いても『着ない』と言われてしまっていたので」
「え、では……」
 正しい手順を踏んで能力のあるものが解呪したわけではないので、のろい自体が消えたりはしないが、弱まってもいいはず。
 それなのに、まだのろいはその強さを保ったまま。
 一体どういうことなのか。
「一つ、昔聞いた噂話があるのですが……」
 旦那はきょろきょろと周りを見渡し、立ち上がると、小声で話し始めた。
「その……、私が産まれた頃に、このあたりで若い娘の惨殺遺体が見つかった時、膨らんだお腹には胎児がいなかったそうなんです。もしかすると、若い娘が私の母と祖父が襲わせたお嬢さんだったのでしょうか」
 鼓動が跳ねた。
 嫌な予感どころではない。
 呪物は生きているのだ。
 今、目の前に。
 店の中に飾ってある写真に写っている横恋慕娘と、今目の前にいる男性に似ているところは無い。
 鼓動が早くなる。
 落ち着け、落ち着けと、自分の手を握る。
 深呼吸をし、目をつむり、そして、ゆっくりと開けた。
(この男性は、横恋慕娘の息子ではなく、お嬢さんの息子なんだ)
 竜胆もわたしの様子から何かを感じ取ったようだ。
 目を見開きながら旦那を見つめ、口元を手で覆った。
 お嬢さんの怨霊も、わたしと竜胆が息子の存在に気づいたことを察したらしい。
 空気が張りつめ始めた。
「あの、お二人ともどうされたのですか?」
「怪我をしたことはありますか? 命にかかわるほどの、大怪我を」
 旦那は不思議そうな顔をしているが、彼が纏っている空気は攻撃的に変化していった。
「幼い頃に一度、母の不注意で揚げ物油を全身にかぶってしまったことがあります。医者たちからは奇跡だと言われました。今では右腕にやけどの跡が残っているだけで、後遺症もありません」
 横恋慕娘はお嬢さんの息子である彼を殺そうとしたのだ。
 そして多分、彼はその時に一度死んでいる。
 今生きているのは、お嬢さんの怨霊が息子の魂を繋ぎとめているからだ。
 もし怨霊をはらい、解呪してしまうと、旦那は死ぬことになるだろう。
 命を繋いでいる糸が切れてしまうのだから。
(待てよ……。ということは、この旦那の娘はお嬢さんの血筋……。お嬢さんが殺す必要はないはずなのに)
「失礼なことをお伺いしますが、お嬢さんたちは実の娘ですか?」
「いえ。十年前に交通事故で亡くなった弟の子供です。その時に養子にしました。実の子供は息子が一人だけ。それでも、仲の良い姉弟きょうだいで、私も分け隔てなく愛情を注いで育ててきたつもりです」
 彼が纏っている空気がひどく恐ろしいものに変化した。
 お嬢さんはわたしに対して、自分の息子を人質に取ったのだ。
 『わたくしが殺したいのはあと一人。あなたはあの女の娘とわたくしの息子、どちらの命をとるの?』と。

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