第五十話:地獄

「熱い!」
 牛車を降りてすぐに竜胆が叫んだ。
 熱風が硫黄のにおいを運んでくる。
 呼吸をするたびに、喉が焼けるようだ。
「何度も来ていますよね? 火恋かれんに会いに」
「遊びに来るのと仕事で来るのじゃ、感じ方が違うのよ! 熱いわぁ、熱い」
 しきりに熱さをアピールしてくる竜胆をよそに、わたしは取り出した薬を一つ飲んだ。
「……ああ、そうか。翼禮よくれいは痛いのね?」
「少しですが、はい。いくら周波数渡航者フレクエンティア・トラベラー仙子せんし族とはいえ、周波数の違う地域に行けば多少頭痛はします。すぐ慣れますけど」
「そうよねぇ」
仙子せんしは少し時間が経てば周波数を今いる世界に合わせることが出来ますが、人間はそうもいきません。人間の周波数が変わるのは死んだ時だけ。人間は死ぬと周波数が変わり、地獄や浄土に合ったものになります。ですがたまに周波数がずれ、別の世界に引っ張られて行ってしまう魂がある。それが異世界への転生とされている事象です」
「難儀よね。人間は。その魂の貴重さのせいで、地獄での裁判後は善人なら引く手数多よ。いろんな周波数帯の世界が〈人間〉という存在を欲してる。もちろん、零度界リンドゥジェもね……」
 竜胆は大きくため息をつくと、困ったように微笑んだ。
「兄たちには渡せないわ。本当に。だから、さっさと調べて烏羽玉うばたまから倒しちゃいましょう」
「そうですね。頑張りましょう」
 わたしたちは閻魔大王に会うため、裁判所に向かった。
「相変わらず、大きな朝堂ですね」
 古代華丹かたん国の建築様式がふんだんに取り入られた朱色の大きな柱に、長く広い階段。
 それは葦原国の現世にある朝堂と大きさ以外はほとんど変わらない荘厳さをたたえている。
「大王様に合わせて作られているから大きいのよね」
「ええ、そうです。人間の最初の死者にして、広大な地獄を納める王。閻魔大王がいなければ、ここは無法地帯のままでしたから」
 閻魔大王が法を携え即位する前は、地獄は黄泉と煉獄との境が曖昧で、死者の魂は様々な周波数帯へ連れ去られ、それぞれの世界で食料にされたり、奴隷のように扱われていた。
 そんな恐ろしい世界で勝ち残り、法整備を行い、前世の罪を法によって正しく裁かれるようにしたのが閻魔大王なのだ。
翼禮よくれい殿ですな」
「閻魔大王様、お久しぶりでございます」
 朝堂に入ってすぐ、わたしの存在に気付いた閻魔大王が声をかけてくれた。
「よかった。ちょうど休憩をとるところだったのです。さっそくお願いとやらを聞きましょうか」
「ありがとうございます」
 遠くからでもわかる威圧感。ただ、それは不快なものなどではなく、圧倒的な安心感によるもの。
 芍薬のような赤い肌に、黒曜石のごとく煌めく黒い瞳。
 髭も髪も烏の濡れ羽のように艶めき、眼光は子を守る獅子のよう。
 かつて地獄を平定するためにふるっていた剛腕は、ゆったりとした礼服らいふくでもかくしきれていない。
 わたしと竜胆は閻魔大王が座る玉座の近くまで行くと、獄卒の鬼たちが最大限冷やす努力をしたと思われる冷たいお茶を運んできてくれた。
「八寒地獄の氷なのだけれど、こうでもしないと冷えないのです」
 くりぬいた大きな氷の中に収められた湯呑に注がれたお茶に、さらに砕かれた氷が入っている。
「お気遣い感謝します」
「いやはや、何千年もここで仕事をしておりますが、この暑さと熱は体力を奪っていきますからな」
「わたしなど、あと数十分もすればバテてしまいそうです」
「何をおっしゃいますか」
 閻魔大王の朗らかな笑顔に癒され、つられて笑っていたら、ここに来た本来の目的を忘れてしまいそうになった。
「あの、聞いていただきたいお話が……」
「存じております。烏羽玉の母親に関することですな」
「なぜ……。ああ、火恋かれんですね」
「そうです。火恋かれんはお茶をしにくるたびにいろんな話をしてくれます。その中に、最近、翼禮よくれい殿のお名前と合わせて出てくるのが烏羽玉だったので、気になって私でも調べてみたのです。零度界リンドゥジェは地獄の管轄外ではありますが、ひいては人間に関わること。私も黙ってはおれませぬ」
「お心遣いに感謝いたします」
「資料をお渡しします。それと、烏羽玉の母親を皇族に輿入れさせた人物の元へは、獄卒に案内させます」
「助かります」
「その人物がいるのは焦熱地獄の鉄鑊処てっかくしょにおります。どうやら生前の最期の罪が殺人教唆だったようで。おそらく大鍋で煮られていると思うので、獄卒に言って取り出してもらってから話を聞いてください。あと、これをどうぞ」
 そう言って渡されたのは、美しい布張りが施された巻物だった。
「それは私が出来得る限りの条件が描かれています。必要な時にお開けください」
「わかりました」
 わたしと竜胆は閻魔大王に再度お礼を言うと、朝堂を後にした。
「ご案内いたします」
 獄卒の鬼に案内され、さらに灼熱の場所へと向かう。
 その道すがら、何度も冷たいお茶をもらい、獄卒の人々の優しさに触れた。
「つきました。中は本当に暑いので、お気を付けください」
「ここまでありがとうございました」
「中にいる獄卒にはすでに連絡を入れてありますので、なんなりとお申し付けください」
「お気遣いありがとうございます」
 会釈し、わたしと竜胆は中へと入っていった。
「うっ」
「あ、熱い!」
 息をするたび、喉が焼け切れるようだ。
 自分の鼻息すら痛い。
翼禮よくれい様! こちらです」
 呼ばれた方へ行くと、灼熱の鍋の中に、何人もの亡者が煮られているのが見えた。
「こいつです。今出しますね」
 大きな木のお玉のようなもので掬われたその人は、ほとんど骨になっていたが、鍋から出るとゆっくりと再生を始めた。
 地獄では、刑の執行中は何度でも生き返り、何度でも苦痛に耐えなければならないのだ。
 獄卒が二人がかりでその亡者を刑場の端まで運んでくれた。
 わたしと竜胆には鉄製の椅子を用意してくれたのだが、熱くて座ることが出来ない。
「うっ、ぐ、だ、誰だ……」
 肉が焦げる臭いが立ち込めている。正直、吐きそうだ。
「わたしは仙子せんし族の杏守 翼禮あんずのもり よくれいです。隣にいるのは竜胆。あなたもよくご存じの、禍ツ鬼マガツキです」
「……ひぃえええ! 皇帝家の〈影〉と零度界リンドゥジェの王族が、今更何の用だ!」
「あなた、烏羽玉の母親を皇族に輿入れさせたでしょう?」
「……なぜそれを! ……なるほど。だから三日前、閻魔大王様が視察に来られたのか」
「そのようですね。で、その母親について教えてほしいのですが」
「……私に何の利があるというのだ。刑期はまだ何百年も残っているのだぞ!」
 わたしは閻魔大王から渡された巻物を開いた。
 そこには、わたしに協力した場合に得られる恩赦の種類が書いてあった。
 さすが閻魔大王。亡者のことをよくわかっている。
「一つ応えるごとに十年刑期を短くできると言ったら?」
 男はハッとしたような顔でわたしを見つめ、ニヤリと笑った。
「ほおう。たった十年じゃぁ、何も答えられないねぇ」
「じゃぁ、いいです。さようなら」
「ま、待ってくれ! じょ、冗談じゃないか。ほら、なんでも質問してくれ。なるべく細かくな」
「もし回答に嘘や捏造があった場合、それ相応の地獄でも刑を受けることになりますので、慎重に答えてくださいね」
「うっ……。わかった」
「では……」
 わたしは用意していた質問を始めた。
「烏羽玉の母親の名前は?」
「……あの女は本当に美しくてな。愁いを帯びた横顔はまさに芸術品のようだった。……呼び名は彩雲あやぐもの君。名は雪原 花信ゆきわら かしん。はるか昔に朝廷を牛耳っていた雪原家の末裔だ」
「どうやって当時の皇帝陛下に入内させたのですか」
「偽の家系図を作ったんだ。花信かしんの話じゃ、何百歳も生きていることになる。見た目は美しくても、百歳越えの女なんか誰も欲しがらないからな。有名な書家を買収して、良い感じに書いてもらったんだよ。それとあの書状と印鑑の写しがあれば、ばっちりだろ」
「でも、諜報機関の調査は免れないでしょう?」
花信かしんは使い切れねぇほどの金を持ってた。家族のふりをする面の良い奴らを集めるのなんざ、容易いことよ」
「どこで花信かしんさんと出会ったのです」
「男が連れてきた。……睨むなよ、お嬢ちゃん。そうだよ、烏羽玉が連れてきたんだ」
「なぜあなたのところに?」
「生前、一度も捕まったことの無い詐欺師だったからかな。どこかで知ったんだろ。俺の武勇伝を」
花信かしんさんの兄弟姉妹はご存知ですか?」
「……花信かしんに家族? 烏羽玉以外聞いたことも見たこともねぇな」
 嘘には聞こえなかった。竜胆も同じ意見のようだ。
「あ、でも……。花信かしんが一度、妊娠中の宿下がりの時に、夜空を見ながらなんか名前みたいなのを呟いてたことはあったな……」
「思い出してください」
「ううん……。たしか花と色が混ざったような名前で……。えっと……。そうだ! 菊! 菊宸きくじん!」
「雪原 菊宸《きくじん》……」
「だが、兄弟姉妹だとは限らないだろう? 何百年も生きていたのが本当だとするなら、恋中になった男の十人や二十人いただろうし」
「それもそうですね……」
 ただ、〈菊宸《きくじん》〉という名の者を探すのは良い手掛かりになりそうだ。
「知ってどうするんだ?」
「あなたには関係ありません」
「そりゃそうだが……。もしその花信かしんが生きていたとして、花信かしんの母親は皇女だった。つまり、どんなに頑張っても花信かしんの子供は女系だ。つまり、烏羽玉はどうあがいても皇帝にはなれんのだから、どうでもいいんじゃないか?」
「まぁ、たしかに。そう言われてみれば、烏羽玉は無理です……。が、しかし、彼がその血筋を完璧に証明すれば、堂々と皇帝の外戚だと主張できます。つまり、公爵は無理でも侯爵になる資格はあるということです。そうなれば、零度界リンドゥジェの代表として堂々と朝政に参加してくる可能性もあるということです。それも……」
 わたしは最悪の想像を口にした。
零度界リンドゥジェが現世と戦争するかしないかを条件に、定期的に生贄を要求してくるかもしれません。食料としての人間を」
「……まじかよ。そこまで考えなかった……。ただ、金払いの良い変な親子の作戦に乗っただけだったのに……」
 男は青ざめ、嘔吐し出した。
 わたしは獄卒に会釈し、男をまた鍋の中へと運んでもらった。
「ど、どうする? とりあえず、菊宸《きくじん》を探してみようよ」
「そうですね……。花信さんは名前を変えているかもしれませんし……。そもそも、簡単に会えるような場所に烏羽玉が隠しているわけないですものね」
「うん……。うちの兄弟が本当にごめん」
「竜胆さんは何も悪くないんですから。一緒に頑張りましょう」
「うん!」
 わたしは笑顔で竜胆を励ましたが、心の中は動揺でいっぱいだった。
 どちらにせよ、菊宸《きくじん》が鍵だ。
 先に探さなくては、何もかも手遅れになる前に。

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