第一集:奇々怪々

 春うららかな午後の日差し。
 木陰には小動物たちが集まり、心地よさそうに昼寝をしている。
「どいてどいてどいてぇぇええ!」
 眠りを妨げ、静寂を切り裂く大声に、鹿や猪などの大きな動物も逃げ出した。
「はやく連れて行かないと……!」
 深緑色の旗袍チーパオに黒いズボンを履いた少年が、裾が翻るのも気にせず、焦げ茶色の八穴エイトホールブーツで颯爽と森の中を駆け抜けていく。
 赤毛のポニーテールは陽が当たるたび、まるで火の粉が楽しそうに踊っているように煌めいた。
「どこらへんだっけ……。瓏安ろうあんみやこからそう離れていないって噂だけど……」
 太陽の位置や風向きを確認し、漂う匂いを感じながら、少年は抱えたものを落とさないよう、走り続けた。
 すると、三十分もしないうちにくすんだ銀色の緑門アーチが見えてきた。
 少年が足を止め確認すると、どうやら緑門アーチの向こう側には西洋庭園ガーデンが広がっており、その奥に尖った円錐の屋根と、鱗模様の建物の外壁が見えた。
「……あれかな? たしか西洋風の建物らしいって……」
 緑門アーチにはこう書いてあった。
 〈蒐集屋敷しゅうしゅうやしき銀耀インイャォ』〉と。
「……なんか怪しいけど、蒐集屋敷ってことはアレもあるはず!」
 少年は緑門アーチを通り、西洋庭園ガーデンを走り抜け、大きな灰色の屋敷の扉の前まで来た。
 両腕で抱えているので手が使えない。仕方なく、少年は不思議な力でノッカーを三回動かした。
 すると、軽やかな足音とともに、陽気な声色が近づいてきた。
「はああああい! お客様ですかぁあ⁉ ……ん?」
 中から出てきたのは、二メートルはありそうな長身に黒髪長髪三つ編みの男性だった。
 旗袍チーパオに西洋の正装であるスーツの上下を合わせており、漂う香りは沈丁花じんちょうげ
 顔は東洋とも西洋とも形容しがたい雰囲気だったが、美しいということは一目でわかる。
 ただ、声の調子と所作が少々大げさではあるが。
 少し面食らっては閉まった者の、時間がない。
 少年は名乗るのも忘れて用件を伝えた。
「……あ、あの! この子を助けるために大天使の羽根を譲ってくださいませんか⁉」
 そう叫ぶ少年の腕はひどい凍傷で、血がにじんでいる。
 抱きかかえられているものの力のせいだろう。
「ほう……。当屋敷は十五歳未満立ち入り禁止なのですが……そういうことならばいいでしょう。さぁ、中へ。精霊種を抱きかかえたお嬢さん」
 少年は抱きかかえている精霊を見つめ、そっと顔を上げると、促されるまま屋敷の中へと入っていった。
「あの、一応ですけど、わたしは男です。成人こそしていませんが、働いていますし、十六歳なので年齢的にもご迷惑はお掛けしないかと」
「それはそれは。申し訳ありません。この国……、花丹かたん国の人々はみな若々しいので、年齢の推測がうまくいかないのです。失礼いたしました、ミスター……」
「あ、わたしの名前は翠琅すいろうです」
「ミスター翠琅すいろう。良い名ですね。わたくしはここ銀耀ぎんよう館の当主、スペンサー・アップルトンと申します。ミスター翠琅すいろうは……貴族ではないのですね。聞いたことがありません」
「貴族ではありませんが、父と母は宮廷医師なので、何不自由なく幸せに暮らしていますよ」
「でも、働いているのですよね?」
「社会勉強です。それにしても……、よくこの子が精霊種だとおわかりになりましたね」
「伊達に何百年も蒐集屋敷の当主をしておりませんからねっ!」
 雑談をしながらも、スペンサーは歩みを止めることなく広い屋敷を進み、壁一面の引き出しや天井に吊るされた数多の剥製、床に設置されたチェスの駒の台に似た形の支えの上に置かれた透明な箱の中にも目もくれず、屋敷のさらに奥にある鉄製の小さな扉の前にやってきた。
「この奥はまさに魔窟とも形容される特別な蒐集部屋です」
「ヴンダーカンマー……、ですか」
「おお! ミスター翠琅すいろうは博識ですね!」
「いや、たまたま知っていただけです」
「では、まいりましょう。精霊種の息が風前の灯火のようなので。それに……」
 翠琅すいろうの腕の中でぐったりとしている精霊種――雪花精霊スノーフェアリーは、少しずつ、だが確実に弱っていた。
 翠琅すいろうの腕も限界だ。凍傷が肘まで広がっている。
 スペンサーが身をかがめて入っていった扉を、翠琅すいろうも後をついて進んでいった。
 よく手入れされているのだろう。カビや下水のような臭いは一切しない。
 どちらかといえば、薄荷のような爽やかで少し甘い冷たい香りが漂っている。
 螺旋らせん状になった階段を少し降りていくと、すぐに開けた巨大な場所に出た。
「す、すごいですね……」
 それしか言葉が出なかった。
 屋敷の中ももちろん素晴らしかったのだが、このヴンダーカンマーは別格。
(仙力が満ちている……)
 翠琅すいろうはシャボン玉のように浮かんでは消える仙力せんりょくの塊を見つめ、心臓が高鳴った。
(わたし以外にも、花丹国にそういうひとたちがいるなんて……。いや、仙力のこもった品を収集しているだけかもしれない)
 スペンサーは翠琅すいろうの表情の変化に、一瞬口元をにやりと歪め、すぐに優しげな顔へと戻った。
「では、こちらが大天使の羽根です。どうぞ、お使いください」
「あ、ありがとうございます!」
 翠琅すいろうはなりふり構わず仙術の行使を始めた。
 くうから黄金と結晶化した梅の木で出来た身長ほどの大きさの〈針〉を取り出し、大天使の羽根を雪花精霊スノーフェアリーの小さな身体に乗せ、よく定着するように仙力の〈糸〉で縫合した。
 すると、羽根はまるで綿あめが溶けるように雪花精霊スノーフェアリーの身体へと浸透。
 雪花精霊スノーフェアリーは身体がふわりと数回光ったあと、その目を覚ました。
「ココハ……?」
「目が覚めてよかった。冬の国へ行きそびれちゃったんだよね」
「ア、アナタハ! 火吹蜥蜴サラマンダーカラ助ケテクレタ仙子せんしネ!」
 その瞬間、スペンサーの目が大きく開き、だらしないほど恍惚とした表情になった。
 翠琅すいろうは内心「バレたか……」と思ったが、雪花精霊スノーフェアリーを不安にさせるわけにはいかない。
 笑顔で言葉を紡いだ。
「うん、そうだよ。じゃぁ、赫門ゲートを開いてあげるから、そこから仲間の元へ行こう」
「アリガトウ!」
 翠琅すいろうは針の切っ先で空間をひっかき、白く輝くゲートを作り出した。
「もう寝坊しちゃだめだよ」
「ウン!」
 雪花精霊スノーフェアリーは笑顔でゲートを通り、向こうの世界へと旅立っていった。
 部屋に残ったのは蒐集家と少年の二人。
「あの……」
「す、すんばらしい! 本物の魔法使いではありませんか! なんと美しいのか! 杖に関しましては生活感丸出しの〈針〉ということでちょっとガッカリですが……、とにかく! 素晴らしい!」
「え、あ、どうも……。それで……大天使の羽根のお代は……」
「あははっ! いくらあなたが素敵な魔法使いだったとしても……あ、いや、〈種族〉が違うから呼び方も違いますよね? 先ほどの精霊種がミスター翠琅すいろうのことを仙子せんしと言っていましたので」
「えっと、そうですね。仙子せんし族では自分たちのことを〈仙術師せんじゅつし〉と言うのが一般的ですが、別に魔法使いでもかまいません……。あの、」
「なぁあるほど! 承知しましたミスター翠琅すいろう! で、大天使の羽根のお代ですが……、五億ファです」
 スペンサーはにっこりと微笑みながら小首をかしげた。
 翠琅すいろうは細く息を吸い、身体が固まってしまったかのように動けなくなってしまった。
「……ご、五億ファ⁉ そ、そんな……。あの、何年でも払い続けますので、ぶ、分割とか……」
 冷や汗が出る。心拍数の上昇が止まらない。
「ううん、それは無理ですねぇ」
「え!」
 退路を断たれたような気になり、余計に絶望感が身体に満ちていく。
「実は買い手がついていた商品だったのですぅ。でも、あまりにも緊急事態でしたし、そもそも〈大天使の羽根〉なんて最高級の暁星珍品を知っているのがあなたのような少年だったことに驚き……、つい手を貸してしまったのです。つまり、わたくしにも非があるということですねっ! 共犯共犯!」
「いや、その……。じゃ、じゃぁ、どうすればいいですか……」
 翠琅すいろうは自身が仙子せんし族だとバレただけではなく、さらに五億という払えない借金を背負ってしまったことに青ざめた。
 当の借金の取り立て主は楽しそうに笑いながらクルクルと踊っているが。
「では、身体で払っていただきましょうか!」
「え……」
 血の気が引き、涙がのぼってきた。鼻がつんとする。
 怖かったが、何があっても対処できるよう、急いで腕の凍傷を治した。
「おやおや、いくら麗しい美少年でも、わたくしの好みからは遠いのでご安心を。身体で払う、というのは、働いていただく、という意味です」
 翠琅すいろうの治癒の仙術を興味深そうに見つめたまま、スペンサーはニコニコと笑っている。
「え、でも、わたしもう働いている場所が……。それに五億ファ分だなんて……無理です……」
「ミスター翠琅すいろうは早とちりさんですね! 精霊種の治療ができるあなたほどの仙術の使い手ならば、たった数回、探索者サーチャーとして派遣されれば、五億ファなどすぐに稼げますよ」
「……な、なんですかその探索者って……」
 怪しい響きに、翠琅すいろうは〈針〉を抱きしめ身構えた。
 スペンサーは大袈裟な動きで室内にあった大きな絵画を指さすと、楽しそうに話し始めた。
「探索者とは! 各蒐集家お抱えのトレジャーハンターのことです! 蒐集家は基本的にみんな〈人間〉ですから。かくいうわたくしも、身体はか弱い人間です。種族的に弱い人間のお金持ちの代わりに、危険に飛び込み、貴重な暁星珍品を持って帰ってくるのが探索者のお仕事なのです」
「へぇ……。じゃぁ、何回か行けば借金はチャラということですか?」
「できれば、そのあとも雇わせていただきたいですねぇ……。後宮に商いに行くのも楽になるでしょうし……。探索一回に付き基本的なお給金はこのくらいで」
 スペンサーは流れるような手つきで算盤そろばんをはじいた。
 翠琅すいろうが見せられた数字は、今働いている茶屋の時給の千倍だった。
「基本給……、ひゃ、百万ファ⁉ え、え⁉」
「持ち帰ってきた物品によっては特別ボーナスもたんまり出しますよぉ! 歩合制を導入しておりますので!」
 翠琅すいろうは一瞬大金に目がくらんだが、すぐに深呼吸を繰り返し、冷静になって考えてみた。
(探索一回が百万円ってことは、それだけ危険ってことだよね……)
 そんな翠琅すいろうの心の中を読んだように、スペンサーは優しい声で囁いた。
「まずは一回行ってみませんか? それで大丈夫そうだったら、是非うちで働いてください。ミスター翠琅すいろうは探索者にしては少し若いので、表向きはわが屋敷の〈フットマン〉ということにして世間を欺きたいと思っております」
「まずは一回……」
(どちらにしろ、大天使の羽根の分はどうにかしないといけないし……)
 翠琅すいろうは意を決し、スペンサーの手を取った。
「とりあえず、一回行ってみます! 契約書とかありますか?」
「しっかりしていますね! では、さっそく署名していただきましょう」
 翠琅すいろうは常々両親兄姉弟きょうだいから「翠琅すいろうい人すぎるから騙されないか心配……。いざというときは仙術力づくで相手を黙らしてでも逃げてきなさい」と言われて育ったので、契約書も隅から隅まで読んでから署名をした。
「では、翠琅すいろうさん、さっそく明後日出発してもらいます」
「は、はい!」
 明後日なら、ちょうど茶屋の仕事が休みの日だ。
「場所は旧どうりんです」
 翠琅すいろうは耳を疑った。
「……ええ! そこって百年くらい前に別の場所に移されてから誰も立ち寄らないっていう……憧温どうおん将軍のお墓ですよね⁉」
「そうでーす! 今は立派な魔窟ヴンダーカンマーになっているらしいですよ! ワクワクしちゃいますねぇ!」
「いや、魔窟ダンジョンってことですよね⁉ 捻じ曲げた当て字つけるのやめてもらえません?」
「まぁ、そうとも言いますかね? あはははは」
 翠琅すいろうは早くも署名したことを後悔し始めたが、もう遅い。
 書いてしまったからだ。彼が制作した契約書に、『きょう 翠琅すいろう』と。

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