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めぐる、15号/徳島に住む理由「阿波國と呼ばれた北海道の地」のこぼれ話

「阿波國」と呼ばれた北海道の地

徳島から遠く離れた北海道に、かつて「阿波國」と呼ばれた地名があったのはご存じですか?
「阿波國」に暮らしていたのは、明治時代に徳島から移住した人々。
その移民者の多くは、藍作が盛んだった吉野川流域出身だったといいます。

明治25年の新聞には、当時の知事が掲げた「徳島県民20万人を移住させる計画案」が掲載されていました。
当時の徳島県の人口が約70万人、その1/3に近い膨大な人数を移住させようとした背景には、基幹産業であった藍業の衰退による徳島県の産業経済の停滞と不振があったといいます。
大胆な政策に驚くとともに、日本の人口が5000万程度だった当時、徳島には今と変わらない人口がいたことから、長きにわたって藍産業が徳島に大きな恵みをもたらしていたこと、そして産業や流通の変化が大きく人々の暮らしに影響していたことが感じ取れます。


徳島出身の写真家・露口啓二さんは、縁あって北海道に移住。
「地名」にまつわる写真作品の制作に精力的に取り組んでこられました。


『めぐる、15号』では、「阿波國」など徳島にゆかりのある地名や、移住についてコラムを執筆してくださいました。
「地名は土地の記憶」だと話す、露口さん。
徳島から北の大地に移住した人々の活躍や、北海道の成り立ちなど、私たちも知らなかったことを深く知ることができました。

ぜひ多くの方に読んでいただきたい記事です。

詳しくは、本誌めぐる、15号で。
webショップから購入可能です。

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