『消しゴム山』が面白かったので、チェルフィッチュ入門中。
9月に新作を観に行くということもあって、慌てて出世作&代表作を配信で鑑賞した。観たのは、2017年12月@KAATで上演されたこちらのリクリエーション版。
2004年の初演時にはイラク戦争。再演された2017年といえば、今に至るイスラエルのガザ侵攻やウクライナ紛争はすでに始まっていた時期だ。いつの世にも戦火は絶えないが、だからこそ、その時時における戦争との距離をはかる作品は必要となり、それはいつか「時代劇」から「古典」になっていくのだろう。
『遡行』を読む
チェルフィッチュ入門ということで、今回は岡田氏の著書も手に取った。
2004年初演された『三月の5日間』だが、作品誕生のきっかけは2003年の3月中旬に六本木のスーパーデラックスにて上演されていたモントリオール出身のアーティスト、ジェイコブ・レンによる「Unrehearsed Beauty / 他者の天才」という即興演劇(出演者がその場で思いついたことをしゃべる)を観たことだと記述がある。
また、『三月の5日間』という芝居のタイトルはサンガツというバンドの「Five Days」から取られているそうだ。
日常の過剰な身体
さて、チェルフィッチュといえば独特な言葉としぐさだが、それについても分かりやすく解説されていたので、本題に移る前にここも引いておきたい。
この<イメージ>という言葉は誤解を招きかねない。そのため、岡田氏はシニフィエと便宜的に定義した上で、シニフィアンであるところの言葉としぐさがひとつの身体の上に、都度一致したりズレたりしながら並行して走ること、そこに生まれるノイズを捨てず、その拮抗をスリルとしながら、日常の過剰な身体を提示することで演劇的身体を実現している。というのがチェルフィッチュの独特な言葉としぐさの解説になりそうだ。
ここは特に唸った箇所。書籍、面白いのでオススメです。
『三月の5日間』の話法
と、以上のようなことを押さえていたとして、やはり最初は戸惑う。というのも言葉としぐさだけでなく、話法も実に独特だからだ。
同じ身体の中で語り手と元話者が常に入れ替わる。これは、私たちが世界を伝聞によって認識しているということ、特に戦争などはニュースなど通じて間接的に知ることになるが、その戦争と私たちの距離を間接話法の中からいかに直接話法的に認識できるか、あるいは世界はそのまま間接話法なのか。ということとも関連があるように思う。
と思ったら、こちらの紹介にそのままズバリ書いてあった。
『三月の5日間』リクリエーション版
若者の個性を活写する圧倒的なテキスト、話法によって流動的にシフトする感情。一瞬たりとも気が抜けない。観る方も大変だが、それを日常の過剰さをもって演じる方は当然大変だ。
このリクリエーション版を作るにあたってはドキュメンタリー映画(「想像」)も撮られているようで、それも気になってきた。
自分は、身体の過剰さや話法に慣れてきた2幕(朝倉千恵子が演じるミッフィーちゃんが登場)からグッとのめり込んだが、最後には演じた皆さんが気になる存在に。渋谷采郁さんは最近良く見かける(濱口竜介作品とか)ように思うが、他の方も頑張ってらっしゃるのだろうか。
オリジナルキャストも気になる
ここまで来ると、新旧やっぱり見比べるべきではないかという思いがムクムク。こちらの記事では新旧の比較が行われている。
なるほど、そういう変更があるのか。とは思うものの、やっぱりキャストの個性の違いやアンサンブルの違いも確認したいよなと思うので、暇を見つけてオリジナル版も観てみたいと思う。(赤ペン先生瀧川がオリジナルキャストだったとは…!)
日本人のための演劇
本作は世界30都市以上で上演されたということで、それに関して岡田利規の書いていたことがまた興味深かったので、最後にそれもメモしておく。