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チェルフィッチュ『消しゴム山』

6/8@世田谷パブリックシアターで行われたチェルフィッチュの「消しゴム山」東京公演。気づけばもう1ヶ月も経ってしまって、今更だけどメモを残しておく(毎回同じことを言っている…)。

なんと最前列だった!

作品概要

いま・ここにいる人間のためだけではない演劇は可能か?人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか?

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市では、失われた住民の暮らしを取り戻すべく、津波被害を防ぐ高台の造成工事が行われている。もとの地面から嵩上げされる高さは10メートル以上。そのための土砂は、周辺の山をその原型を留めないほど大きく切り崩すことでまかなわれている。

 岡田利規は、2017年に同地を訪れ、驚異的な速度で人工的に作り変えられる風景を目の当たりにしたことをきっかけに、「人間的尺度」を疑う新作の構想を始めた。コラボレーターには、コラージュを主な手法とし、演劇的な視点を貪欲に取り込み創作の領域を拡張させる美術家・金氏徹平氏を迎える。また、昨年からチェルフィッチュが力を注ぐ「映像演劇」も取り入れながら、俳優の身体や言葉のありようにも新たなアプローチが試みられる。人間中心主義から逸脱する先にあらわれる風景とは。演劇をアップデートし続けるチェルフィッチュの最新形。

https://chelfitsch.net/works/eraser-mountain/

作品概要を読んでも、どんな内容かさっぱり分からない。そもそもチェルフィッチュを観るのも初めて。今回は元の戯曲に目を通すようなこともせず、作品概要に目を通したくらいのほぼまっさらな状態にて観劇した。

ちなみに、この「消しゴム山」は2019年が初演。今回はコロナを挟んで4年ぶりの再演ということだったようだ。

演出・舞台美術

観てもらうのが早い。

舞台上には所狭しといろいろなモノが配置され、俳優はその間を縫いながら時にモノを手に取り、移動させ、何か配置の工夫を行っている(毎回アドリブとのこと)。すると、一人がマイクを手に持ち、冷蔵庫が壊れたと話し出す…というのが第1幕。

セノグラフィー(舞台美術)を担当した金氏徹平氏によると、舞台上のモノは毎回同じように並べられている=基本ポジションがあり、その基本ポジションは下記のようなことを考えて決められたそうだ。

  • 散らかっているが整列しているように見える

  • 無限に続いているように見える

  • 俳優を邪魔するように置かれ、必然的にモノと関わってしまう/意識してしまうようにする

それは、まさに

人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在する

という作品の創作の発端とも関連している。モノというのは普段、人が用を成すために使うもの。言い換えれば、モノは人に仕えている。ということになるが、その主従関係からモノを解放するため、舞台美術がむしろ俳優を邪魔するようになっている。


2019→2024

第1幕では、いつも当たり前に動いていた洗濯機がある日壊れ、それが修理不能だと判明して、当たり前と思っていた日常の不安定さが描かれると同時に、人とモノとの主従関係に揺さぶりがかけられる。第2幕では、公園に突如、見慣れぬ物体(タイムマシン)が現れる。第3幕以降では、その新しいモノにどう対処すべきか政治家が喧々諤々且つ戯画的に議論を繰り広げ、市井では新しいモノに順応する者もいれば、対応できずにおいていかれる者もまたいることが描かれていく。

この「消しゴム山」をつくるきっかけとなったのは、作・演出の岡田利規氏が話しているように陸前高田の堤防工事ということだが、こうしたモノと人の主従関係が逆転することへのとまどいは、例えば今であればAIにも感じる感覚ではないか。

あるいは、スマートホーム化を進め、カーテンが朝になると自動で開くと悦に入って、自転車のロック・自宅の鍵さえもスマホで解錠するようにした挙げ句、スマホの充電が切れたり紛失したりで途方に暮れていた知人を思い出したりもする。


なんと配信しているので、興味のある方は是非。


今後のチェルフィッチュに向けて

いつの時代にも通用する戯曲、というのはまさに古典の条件ではないか。そうしたテキストを手掛ける岡田氏が、東京芸術劇場の芸術監督になられたのだなと得心がいった。

その東京芸術劇場で顔見世興行、あるいは凱旋興行か。9月には「リビングルームのメタモルフォーシス」が予定されているので、できれば劇場に足を運びたいと思う。

ウィーン芸術週間からの委嘱により、チェルフィッチュ/岡田利規と藤倉大が初めてコラボレートし、”新たな音楽劇”の創出に挑む。ウィーンでの初演ののち、ヨーロッパツアーを経て、2024年には日本公演も予定。

 演劇と音楽、それぞれの分野で挑戦的な創作を続け、近年特にその活躍が目覚ましい二人が、ついに邂逅。これまで領域横断的なコラボレーションを数多く重ねている岡田と藤倉による共同作業では、両者の“コラボ力”が本領発揮され、これまでの音楽劇やオペラのように演劇と音楽のどちらかが主役となるようなものではない、演劇の上演でもあり音楽の演奏会でもある、まだ見ぬ新たなものを生み出そうとしている。岡田のテキストと藤倉の音楽、俳優の演技と演奏者の演奏、それらが舞台上に対等な関係で同時に現れるとき、観客の目前には一体何が立ち上がるのか……。

 本作では、チェルフィッチュの俳優陣6名と、世界トップレベルの現代音楽アンサンブルのクラングフォルム・ウィーンの演奏者7名によって、作品が紡がれる。住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語から始まるが、その家自体が人智の及ばない強大な力によって跡形もなくなることによって、その問題は解決される。そして、人間の世界の外側に広がる圧倒的な存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。

チェルフィッチュの旧作『消しゴム山』に続き人間中心主義から逸脱した世界を描く本作。前回は美術家・彫刻家の金氏徹平とともに人とモノの新たな関係性を探求したが、今回は藤倉とともに演劇と音楽の新しい関係を生み出すことに取り組む。

https://chelfitsch.net/activity/2023/05/metamorphosis.html


しかし、それまでにチェルフィッチュの過去作も振り返っておかねば。代表作「三月の5日間」は配信もされているようだ。


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