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これからの健康を考える

こんにちは!

今日はわたしが思う「健康」について書いてみようと思います。

1.健康に対する概念。

健康とは、どんな状態のことを指すのでしょうか。

WHOは、健康の概念について【健康とは、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること。】と定めています。

つまり、必ずしも「病気でない状態」が「健康」とは限らないということです。

病名が付いてなくたって、「健康」でない人はたくさんいるということですね。

わたし自身、これまで有り難いことに大きな外傷もなく、入院をするような大病もなく、30歳まで暮らしてきました。

わたしは他人からみれば「健康」に見えているのかもしれません。しかし、歳を増すごとにひどくなる月経痛や信じられないほど硬い慢性的な肩のこりに悩まされる日々は、果たして「健康な状態」と言えるのでしょうか。

そう思うと、人の健康を見た目や所作で測ることはとても難しく、限りなく「無理」近いことなのかもしれません。

そうなると、一体誰が自分の「健康」について気にかけてくれるのでしょうか。

2.未病という考え方。

東洋医学には「未病」という考え方があります。

未病とは、発病には至らないものの軽い症状がある状態を指します。

わたしはこれまで、風邪をひけば病院に行って薬をもらったり、肌が荒れたら皮膚科に行って塗り薬をもらったりしながら病気や体の不調と向き合ってきました。

一般的にも、このようなケースが多いのでは無いでしょうか?

よくよく考えてみれば、わたしは当たり前のように「病気」になってから「病気を治すために」医者に通院していました。

30年間生きてきても、未病という言葉を頻繁に耳にする機会はありませんでした。

しかし、未病と向き合うことは軽いうちに異常を見つけて病気を予防することにつながります。病気へと向かう過程を改善することで、「健康」な状態へと引戻すことができるということです。

そう思うと、「病気とまでは言わないけれど、何だか心身に違和感がある」未病の状態を、わたしたちは「健康」であると錯覚している可能性が高いのかもしれません。

原因不明の肩こり、腰痛、頭痛、めまい、肌荒れ、慢性的な疲労、情緒不安定などなど、日常に溶け込む「不調」を「体のサイン」だと捉えず、「当たり前」と思って放置してしまっているのかもしれません。

3.心身からのサイン。

そこで、わたしたちは体の声を聞き逃さないようにしたいのです。

誰がわたしたちの「健康」をジャッジしてくれるのでしょうか。お医者様なのか。はたまた家族なのか。恋人なのか。はたまた、友人なのか。

前述したように、人の健康を見た目や所作で測ることは限りなく無理に近いような気がしています。そうなると、自分の心身の「違和感」は自分で気づく他ないという答えにたどり着きます。

一見当たり前のようなことに思えるのですが、それが難しいことだということを、私たちが1番わかっているかもしれません。

「気づく」ために必要なことは、自分を客観的に見る力や、ある程度自分をコントロールする力かな、と思うのです。

例えば、毎日自分の体をマッサージしてみたり、ストレッチやヨガで体を動かすことは自分の肉体を客観視することにつながります。

また、自分の心を自分に留めておくことは、自分をコントロールする力に繋がるかな、と思います。

例えば、自分の心をコミュニケーションがうまく取れない恋人や、威圧的な態度で接してくる上司、口うるさく迫ってくる姑、失敗した過去の自分なんかに心を奪われ、一喜一憂してしまうことは、今の自分以外の「誰か」に心が移ってしまっているということですね。

これらを上手にコントロールすることで、今の自分の状態に「気づく」ことに繋がるのではないでしょうか。

心身が発する「サイン」を見逃さないようにするためには、今の自分の体をよくよく観察しておく方が良いですし、今の自分の心を他の誰かに明け渡している暇などないのです。

SNSにのめり込んでいる時間もまた、改善の余地があるのかもしれません。

4.健康のメンテナンス。

水やりや草取りなどの手入れを怠ると花は枯れてしまうように、人間の体もメンテナンスをせずに長年酷使し続けると、未病の状態はより、病気の方向へと向かっていくような気がしています。

そこでわたしはいつも、人の心身にもメンテナンスが必要なのでは?という考えに辿り着きます。そして、そこでは「心身相関」の医学が役立つ舞台が待っていると思うのです。

心身相関とは、人間の心と体を1つとして捉える考え方です。

心が疲弊すると体に病気となって現れ、病気になると心が疲弊していく。逆に、心が元気になると病気は改善へと向かい、病気が治ると心は元気になっていく、と考えます。

心身相関の医学と言われている「東洋医学」や「アーユルヴェーダ」には、伝統的に受け継がれてきた先人の智慧が詰まっています。それらの智慧の恩恵を受けることが心身のメンテナンスにとても有効であることは、実は様々な研究で明らかにされているんです。

しかし、鍼灸や漢方薬・ヨガ教室など、どれか1つを1ヶ月でも続けようと思うと、出費は相場をとっても5千円〜数万円近くかかることは否めません。また、これらの医学は根本治療のため、抗生物質のようにすぐは効果が出ず、コツコツと一定期間継続をしながら成果を実感していく他ないのです。

このような理由もあってか、「未病」にお金をかけて「健康のメンテナンスをする」という考え方は、中々浸透せず、病気になってから薬を飲んだり、手術をしたりすることで「病気を繰り返す」ことをわたしたちは当たり前のようにしてきたのかもしれません。

「病気になる前」にお金をかけるのか。

はたまた、「病気になってから」お金をかけるのか。

こればかりはどちらが良い・悪いではなく、個人の価値観によるところも大きいのかもしれません。

5.最後に。

毎日毎日、わたしたちは本当に時間に追われる生活をしているような気がしています。

ギリギリの時間まで眠り、急いで身支度をし、朝食を抜いて大量の仕事をこなし、昼食を片手にSNSに見入り、満員電車に揺られて帰宅する頃には身も心もクタクタ。面倒だけどシャワーを浴びて、ベッドに潜り込みながらパソコンで動画を見るような生活。休みの日はたまった仕事や家事、育児、介護をこなすことで精一杯な日々。

現代社会に生きるわたしたちは、忙しい毎日に翻弄されて、「自分の心身と向き合うこと」や「自分の健康に手間をかけること」を犠牲にしてしまっているのかもしれません。

それ故に、体のサインに「気づく」ことすらできなくなり、病気になっては薬で抑えたり手術で取り除くことを繰り返しているのかもしれません。

だけど決して忘れてはならないことは、病気になる前の「違和感」は自分で気づくしかないということです。

忙しく毎日を過ごす人の心身のサポートができればと思い、わたしは鍼灸とヨーガの道を志しました。

もっともっと、たくんさんの人が自分を大切にできる世の中になりますように。

「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも」健康な生活を願って。

それではまた◎


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